白の連鎖

ロボと呼ばれたかった男

〜白の世界で出会った2人の黒い悲しみ〜

 空から落ちてくる、白い雪。

 僕の掌に落ちたと思うと、儚く溶けて消えて行く。

 その鮮やかな儚さに、僕は愛おしさすら感じていた。


「雪は天からの手紙である」


 そう言った大学教授がいた事をふと思い出す。

 もしも本当に雪が天からの手紙なのであれば、掌に落ち、鮮やかに消えていったその手紙は、僕に何を伝えたかったのだろう。

 それが知りたくて、虚ろな視線を空に向ける。


 本来そこにあるはずの青色を全て飲み込んだ鈍色が果てしなく広がっていた。

 そして鈍色の空は、数えるという思念すら起こす事が出来ない程に、無数の白い小さな手紙は大地に向かって降りそそぎ、徐々に辺りを白く染め始める。

 そんな情景をぼんやりと見つめながら、僕は彼女と初めて出会った時の事を思い出していた。


 あの日も雪が降っていた。

 学校の帰り道、いつも通る公園のブランコの上に彼女は座っていた。

 それだけであれば、特に気にかける事もなかっただろう。

 ただ、その時ブランコに座っている彼女の姿は、僕の目には奇異なものに映った。

 その日の雪は本格的に降っていて、公園全体が約五センチ程の雪で覆われ、一面真っ白になっている。

 ブランコに座っている彼女の肩にも薄っすらと雪が積もっている程だ。

 そして、公園には誰の足跡もついていない。彼女の足跡さえも。

 ひとつの汚れもない、真っ白な雪が敷き詰められた公園の中央のブランコに、肩を雪の白で染めた女性が一人。目を引かれない方がおかしいだろう。


 その光景に息をのみ、思わず立ち止まってしまった。

 僕が見ているこの光景は、本当に現実なのかと。

 それ程までに、なんの穢れもない真っ白な世界にポツリと存在している彼女に、一瞬にして魅入ってしまったのだった。

 彼女は目を開いてはいるのだが、その見つめている先にある何かを見ているのではなく、僕には見る事が出来ない何かを見つめているように感じた。

 口元から一定のリズムで吐き出される白い息が、彼女が生きている人間であると証明していた。

 何故だろう。僕は何の躊躇もなく、公園に足を踏み入れ、彼女に近づいていった。


 真っ白な公園を歩く。

 一歩進む毎に、誰にも汚される事のなかった雪が、まるで僕を拒むかのように足の下で小さな悲鳴のような音を立てる。


「…何をしてるの?」


 沈黙。…僕の声が聞こえていないのだろうか。そう思った時、虚空を見つめていた彼女の目が僕に向き、瞬間その目に今まで感じなかった生気が宿る。


「あなた…誰?」


 少し間をおいて、彼女が僕に聞く。

 言葉に詰まった。

 何も考えずに彼女に声をかけてしまったが、まったく面識のない相手だ。不審者と思われたかも知れない。

 どんな返事を返そうかと戸惑っている僕に、彼女は自分で発した質問を意に介していないかのように流し、僕の問いに答えた。


「雪がすべてを覆い隠してくれないかなって思ったの。全部真っ白にしてくれないかな…って」


 彼女の応えに何の言葉も返せないまま、また訪れた沈黙。


「ねえ。人ってなんで嫌な事を忘れないでいるんだろう。…悲しい希望なら持たなきゃいいのに」


 僕の発した沈黙を包み込むようにそう言った後、彼女は冷たい雪に包み込まれながら、温かい笑顔を浮かべ、それに誘われるように、僕も彼女を見つめて微笑んでいた…。



「皆様、どうぞ中にお入りください」


 彼女と出会った時の記憶の中を漂っていた僕は、この場にいる全員にむけられた言葉で現実に戻った。

 黒い服に身を包んだ人達。

 全員が、声がかけられた方向に向かって歩きはじめる。

 中には握りしめたハンカチを目に当て、肩を震わせている人もいた。

 僕もその人達と同様に、同じ方向に歩を進める。


 黒い悲しみに身を包んだ人達の上に降り注ぐ、白く小さな手紙達。

 そのあからさまなコントラストの中、異様な熱気が漂う会場内に足を踏み入れた。

 窯の扉が開き、鉄で出来た、人間を乗せるストレッチャーのような台の上に、純白に輝く木の枝のようなものが並んでいる。


 この世に、これ以上純粋に輝く白はあるのだろうか。

 眩しすぎて僕はそれを直視できない程だった。

 純白のそれが並んでいる台の上には、数時間前までは桐の箱に納められた君が乗っていたのに。


 今はこれ以上ない純白になった君だったものの残骸が乗っているだけ。

 鈍色の空から舞い降りてくる小さな白なんて、君の純白の前では灰色でしかない。

 君と僕が公園で出会った時、君はすでに知っていた。

 自分が純白になる事を。


 そんなどうにもならない事実を目の当たりにした君は、雪に埋もれて全てを覆い隠してしまいたかったのではないのだろうか。

 悲しく、叶わない希望なら、いっそ全て忘れたいと願っていたのではなかったか。

 だけどあの日から、落ちては溶けるはずの雪が溶ける前に降り積もっていくように、僕と君の心は、ほんの僅かな温かさを求めながら冷たく重なり合っていったのだ。


「あなたと出会えて良かった。残りわずかだと知ってても、あなたは私の希望だったから」


 君が僕にくれた言葉が頭の中で蘇る。

 この言葉は僕の喜びとなったし、希望になった…はずだったのに。

 君を亡くした今、あの真っ白に染まった公園のブランコの上で雪に埋もれようとしていた君の気持ちがハッキリと分かったような気がする。


 …僕は君の希望ではなく、悲しい希望を覆い隠す雪だったんじゃないのだろうか。


 君は僕という雪で覆われる事で、昨日を忘れ、今日を生きようとし、明日から目を背けようとしたんじゃないのだろうか。


 けれどいずれ雪は溶ける。


 君の悲しい希望を覆い隠した雪も、君の死と共に消えたように。


 そして、今僕の胸に押しせまる絶望も、いづれ君が僕という雪を見つけて一瞬だけそれを覆い隠せたように、これから出会う何かで隠す事は出来るのだろう。


 しかし、いずれ雪は溶ける。


 雪が溶けた後に現れる真の絶望が訪れるのは、絶望を隠そうとした本人になのか、それとも絶望を隠す為に利用された誰かになのかは分からないけれど。

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白の連鎖 ロボと呼ばれたかった男 @tekito-lobo

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