幽魂九相図

東方雅人

死屍観想

 私の祖父、鳥辺とりべ仁徳じんとくは仏教絵画の蒐集家だった。

 美術商で財を成した祖父は、この吉野の地に立派な屋敷を建て、七十三歳で亡くなるまで自宅に美術品を集め続けた。その数、実に千点超。死後、屋敷と蒐集品は父が相続し、私はこの屋敷で生まれ育った。

 屋敷の至るところに絵画や掛け軸が飾られ、それらに囲まれて育った私が美術に関心を抱くことは、至極自然な成り行きだったといえるだろう。今では県外のT大学で美術史を専攻している。

 大学が夏季休業に入り、私は一年ぶりに故郷へ舞い戻った。

 今回はただの帰省ではない。仏教絵画をテーマにした卒業論文を書くにあたって、その下調べを兼ねているのだ。幸い、祖父のおかげで参考資料には事欠かなかった。

 改めて家中の作品群一つ一つに目を通していく。大学でそれなりの知識と審美眼を蓄えた今ならはっきりと分かる。祖父のコレクションが如何に貴重であるかを。

 これほどの宝の山に囲まれて育っていたとは――今更ながら驚きを禁じ得ない。


     *


 帰省して一週間。

 その日、屋根裏部屋を漁っていた私は、そこで一纏めに束ねられていた掛け軸を見つける。

 クラフト紙で粗雑にくるまれた包装を解くと、複数枚の絵が出てきた。

 最初の一枚目を見て、私は堪らずはっと息を呑んだ。一人の女性が描かれている。豪奢に着飾った美しい女性。その目が眩むほどの美しさに、絵の中へ吸い込まれてしまいそうな強烈な陶酔感を抱く。

 その絵を何気なく捲った時のことだった。二枚目――そこに描かれていたものに、私は思わずぎょっとした。

 ――死体だ。一本の枝垂しだれ柳の下に、一体の死体。一枚目の女性が裸のまま野晒しにされている場面が描かれていた。

 初めは〈九相図〉だと思った。九相図――美術書の図版でしか見たことはないが、死体が朽ち果てていく過程を九つの場面に分けて描いた仏教絵画のことだ。私は今、九相図を手にしている――そう考えると、自ずと絵を捲る手に力が入る。

 三枚目――腐敗が進行していた。ガスで膨張したその姿に、生前の美しい面影は微塵もない。

 その次――四枚目がどうなるかは、容易に想像できた。腐敗はさらに進行し、皮膚が破れ、肉が崩れ、骨が剥き出しになっていることだろう。

 案の定、予想はおおむね的中していた――が、一点だけ私の予想を裏切る箇所があった。死体の口から白いもやのようなものが出ているのだ。まるで湯気や吐息のように。色褪せか何かだろうと、その時はそれ以上気に留めなかった。

 五枚目――青黒く変色した死体の上に蛆が湧き、周りに蠅がたかっている。白い靄はその面積を広げ、四枚目より一段と目を引いた。気のせいだろうか――それはぼんやりとだが、どこか人の形をしているようにも見えた。

 これはただの九相図ではないのかもしれない――そう感じ始めたのは、六枚目を目にした時だった。死体に残った僅かな肉を啄む烏や獣。そして謎の白い塊は、朧げながらくっきりと人の輪郭を象っていた。これは自然にできたものではない。水墨画のような擦れた筆致で人為的に描き加えられたものだ。

 だとしたら何のために? その答えを求めるように、私は即座に次へと捲る。

 七枚目――死体は完全な白骨と化していた。その上にぼぅっと人の像を結んだ白い影。後ろの背景が透けて見える。奇妙なことに、その姿は、死体となったはずの女とそっくりだったのだ。

 それは死体の傍に立ち尽くしてはいるが、足は下へいくに連れて色が薄れ、やがてすぅっとなくなった。その今にも消え入りそうな佇まいは、あるものを連想させた。霊、あるいは魂――

 瞬間、背筋を冷たいものが駆け抜ける。

 八枚目――残された骨も風で散り散りに――しかし、もはや関心は死体のほうにはなかった。肉体が醜く朽ちていく一方で、白い靄は完全に生前の美しい姿を取り戻していた。一枚目と同じ艶やかな姿。

 変化はそれだけに止まらなかった。首が真正面を向いていたのだ。じとりと虚ろな瞳をこちらに向けている。なぜだろうか――咄嗟に「見られた」という言葉が頭を過った。顔が真正面を向いただけのことなのだが、私はその時、なぜかそう思ったのだ。

 いよいよ次が九枚目、最後の一枚だ。絵を捲る手に冷や汗が滲む。私は八枚目に手をかけ、しばらくしてから大きく息を吐き出し、勢いよく捲った。

 そこには、女の姿が一回り大きく描かれていた。

 ――

 まるで絵の外に出てこようとしているかのように、五、六歩ばかりこちらへ――。

 ブ……ブブ……ブン……。どこからともなく、微かな異音が耳に飛び込んできた。これは、羽音――虫の羽音?

 ほどなくして音はやんだ。九相図の、その実物を見ながら描いたかのような真に迫った筆致に、思わず幻聴が聞こえてきたのだろうか。

 尋常ならざる恐怖に苛まれ、私はすぐさま絵を仕舞った。これは九相図ではなく、幽霊画か何かの類ではないだろうか。

 身の竦む思いだが、抗いようのない好奇心に駆られていたことも事実で、私はこの九相図もどきをテーマに卒業論文を書こうと決めたのだった。


     *


 新学期。

 彼女は芸術学系棟にいた。香椎かしい美都子みつこ。オカルト研究部に入っている同級生がいたことを思い出し、私は彼女に話を聞いてもらうことにした。

「九相図――」

 彼女は二枚目の絵を目にするなり、そう呟いた。瞳を燦々と輝かせ、

「これって本物の九相図?」

 私は実家の事情を彼女に話した。

「図版で見るより生のほうがよっぽどリアルね」

 さすがオカ研部員、九相図を前にしてもたじろぐ様子は微塵もない。むしろ嬉しくて堪らないとでも云わんばかりに、ずいとこちらに詰め寄る。

「初めのうちは自分も九相図だと思ってたんだけどさ、捲っていくうちにちょっと様子がおかしくなるんだよね」

「おかしい?」

 彼女はすべての絵に目を通したあと、眉間に皺を寄せて低く唸った。

「確かにこれは不可解ね。まさか九相図で始まって幽霊画で終わるなんて……」

 彼女もこれに類似した絵画を見たことはないという。しげしげと絵を眺め回したあと、彼女は私に問うた。

「九相図が描かれた理由は知ってるよね?」

「仏教の教えを説くため……だよね」

「そう、悟りの妨げとなる煩悩を払い、現世の肉体を不浄で無常なものだと知るための修行。いわゆる〈死屍観想〉ってやつね。その一環として描かれるのが九相図だと云われているの。だから最後の一枚は、色欲や肉体への未練を完全に断ち切った悟りの境地に至ることを意味するとされた」

 執心を取り除くための荒療治といったところか。

 九相図のモデルで有名なのは、小野小町や檀林皇后などだ。信心深かった檀林皇后に至っては、実際に自身の遺体を放置させ、九相図を描かせたという逸話まで残っている。

「でも、この白く描かれた像が霊だとすると、おかしいと思わない? 矛盾してるのよ」

「矛盾?」

「醜く朽ち果てる死体は、肉体がいかに儚く脆いかを見せつける、無常さの象徴。対して、生前の姿を保つ霊や魂といった概念は、この世への未練や肉体への執着を表す、いわば我執の象徴。九相図の精神性とは正反対なのよ」

 云われてみれば、確かにその通りだ。理に適わない。

 霊になるということは、いわば自然の摂理から外れること。肉体という牢獄から解放され、時間や空間、物理の支配から逸脱した存在。時の不可逆性に抗い、生前の美しい姿を取り戻すことは、九相図本来の意図と相反するのだ。

「つまり、真逆の価値観が同時に混在してるってこと?」

「私にはこれが修行のために描かれたものとは思えないのよ」

「だったら何のためにこんなものを?」

 ややあって、彼女は一つの奇怪な仮説を口にした。

「ただ、だけ……なのかも」

「ありのままって……死体から魂が抜け出るところを? 霊を見ながら描いたって云いたいのか?」

 おいおい、それはいくらなんでも飛躍しすぎなんじゃ――そう口を衝いて出かけたものの、九相図の、あの妙に生々しく写実的な描写が脳裡にフラッシュバックし、私は思わず言葉を呑み込んだ。

 彼女は眉間の皺をさらに深め、

「でも、なんだろう……この九相図からは、どこかしっくりこないものを感じるんだよね。違和感とでもいうのかな」

「違和感?」

「どこがどうとは云えないんだけどさ」

 彼女はその後も睨めつけるようにして最後の一枚を見凝め続けたが、結局、違和感の正体は分からず終いだった。


     *


『九相図は元来、見る者に〝時〟の無常さをまざまざと突きつけ、この世に永遠不変のものなど何一つ存在せず、一切合切が生滅変化して移ろいゆくという絶対的真理を悟らせるものだ。

 ところが、現代社会は死をなるべく遠ざけ、見えづらくしている。人々は死や血を連想させるものを〝穢れ〟として忌避し、死体は自然に還る前に人の手が加えられ、宗教儀礼の中に取り込まれる。死が脱色され、清潔な死が跋扈する時代だ。

 そんな現代の死生観において、九相図は本来の目的とは違う新しい役割を獲得し得るのではないだろうか。自然の為すがままに任せた手つかずの死体は、我々に〈死〉本来の姿形を教えてくれるのだ。

 〝死を想えメメント・モリ〟――『人はいつか死ぬ。だから今を楽しめ』――古代ローマでそう使われていた言葉が、キリスト教世界に伝わると一転、生の空虚さと死の普遍性、不可避性を訴える警句として、広く芸術作品のモチーフに用いられ始めた。

 時代と文化を超え、九相図の精神は、この言葉と奇しくも符合した。死を遠ざけ、見えない振りをすることは出来ても、それを完全に消し去ることは決して出来ない。〝死〟は、誰の身にも平等に必ず訪れるのだ』

               ――鳥辺良真「九相図の現代的再受容」より抜粋



 論文の執筆も佳境にさしかかった年の瀬、私は年末年始を実家で過ごすことにした。

 帰省がてら父に訊いておきたいこともあった。あの九相図擬きはどういった経緯で描かれたのか――論文を書く上でどうしても知っておきたかったのだ。祖父をよく知る人物であれば何か知っているかもしれない。

 夕食後、中庭で一服している父に、私はずばりと切り出した。

 彼は「九相図」と聞いた途端、かっと両目を開け広げ、指の間から煙草を取り落とし、私に詰め寄った。

「見たのか?」

 怒りとも恐怖ともつかない形相で、私の肩をがしりと掴む。これほど取り乱した父を見るのは、この時が初めてだった。

「見た」

「九枚とも?」

 私が黙って頷くと、彼は溜息を一つ吐き出し、何かを考えあぐねるかのように目を泳がせた。

「何か知ってるんだったら、教えてよ」

 しばしの沈黙ののち、父はおもむろに口を開いた。

「その九相図は〈幽魂ゆうこん九相図くそうず〉といってな、蓮台寺に世にも稀有な九相図があると聞いた父が、大枚をはたいてそこの住職から譲り受けたものだ」

 その九相図には、とある〝曰く〟があると父は云う。なんでも、絵の作者である崇幻すうげんという蓮台寺の修行僧には、霊が見えるとの噂があった。

 ある時、自分の死後の姿を記録してほしいと懇願する女性が彼のもとを訊ねる。崇幻は彼女の望み通り、その目が捉えたありのまま――死体が朽ちる過程、そして肉体から魂が抜け出る様を、九枚の紙の上へ丹念に描き出してみせた。

 以上が〈幽魂九相図〉に纏わる伝承だそうだ。

 そしてもう一つ、不気味な言い伝えがあった。その九枚の絵すべてに目を通すと、その者の前に霊が現れるというのだ。

「親父はこの絵を手に入れてから僅か二か月で亡くなった。お前には詳しく話してなかったが、その時の様子が不自然でな。死因は不明。その上、親父の、顔が……」

 死体の第一発見者は父だった。当時の状況を思い出したのか、言葉を詰まらせる。

「顔が、歪んでいたんだ。何か恐ろしいものでも見たかのように、ぐにゃりとな。しかも死体のそばにはこの九相図が散らばっていて……」

 九相図に描かれた霊が祖父を呪い殺したとでも云うのか?

「父さんは九相図を見なかったの?」

「ああ、言い伝えを真に受けたわけじゃないんだが……親父の最期を思うと妙に気味が悪くてな」

 そして九相図を掻き集め、屋根裏部屋に隠しておいたというわけだ。その際、絵を見ないよう細心の注意を払ったという。

「でも、九枚とも見たお前がぴんぴんしてるってことは、あの言い伝えはただの作り話だってことだな」

 と、父は笑い飛ばしたが、私は乾いた笑い声を絞り出すのが精一杯だった。

 九相図を最後まで見た者の前には霊が現れる。その言い伝えが本当だとしたら、私は――「いや、ありえない。馬鹿げた迷信だ」

 そう自分に云い聞かせるも、漠とした不安が脳裡にこびり付いて離れることはなかった。


     *


 その日の夜、自分の部屋で論文の結論を書いている時のことだった。不意に、携帯電話の着信音が鳴り響く。相手は香椎だった。

 ブブブブブブ――と、ノイズがひどくてよく聞き取れない。

「前に見せてもらった九相図のことなんだけどね、違和感の正体が分かったよ。鳥辺くんが持ってる九相図ってあれで全部だった?」

「あの九枚で全部だけど……それがどうかした?」

 そう声を張り上げるが、

「鳥辺くん? ねえ、聞いてる?」

 どうやら相手も聞こえにくそうだった。

「九相図って九つの場面で構成されているんだけど、中には生前の姿を描いたものを含めて十枚とするものもあるんだって。だから、あの一枚目は九相図に含まれていない――つまり、最後の一枚は別に存在するのかもしれない」

「あの九相図には続きがあるってこと?」

「私が絵を最後まで見終えたあとに抱いた違和感の正体はね、中途半端さだったの。あれが最後の一枚には思えなくて……」

 耳障りな雑音はますます大きくなる。

「ブブブブ……きをつけて……ブブブ……最後の一枚は……ブブ……絶対にブブブ見ないで……あちらと……ブブブこちらの……ブブブ……」

 その雑音は電話口からというより、もっと近いところ――耳鳴りのように脳内で搔き鳴らされているようだった。そして―—

「ブブッブブブブ……ブブかいろブブブ……が……ブブ……ひらブブブ……」

 彼女の声は完全に掻き消された。

 ブブブブブ……ブブブ……ブブブツン――ツー……ツー……


 不通音を垂れ流す携帯電話を握りしめたまま、いつからだろうか――私は自分の頬が緩んでいたことに気が付く。あの九相図は一枚欠けていた可能性がある――そう聞いて心底ほっとしている自分がいたのだ。

 私は父から聞いたオカルト話を、頭では荒唐無稽だと考えていながら、心の底では恐れていたというのだろうか。

 最後の一枚はどこにいったのか。なぜその一枚だけがないのか――疑問がぐるぐると脳裡を渦巻く。言い伝えを真に受けた誰かが隠したか、あるいは廃棄したのかもしれない。父の話を聞いていなければ探していたところだが、今はとてもそんな気にはならない。


     *


 九相図の九枚目を机に広げ、果たしてこれを題材に論文を書いていいものかと、私はかれこれ小一時間ほど考えていた。

 これが最後の一枚でないとしたら、一体このあとの場面はどうなっているのだろうか――ふっと一抹の好奇心が湧き上がり、しかしすぐに頭から払い除ける。

 これ以上は関わらないほうがいい。直感がそう告げた。

 熟考の末、私は九相図を屋根裏部屋へ戻すことに決めた。これは誰の目にも触れられない場所で埃を被ったままでいるべきなのだ。

 善は急げ――すぐさま九相図を片手に屋根裏部屋へ向かった。その途中、祖父の書斎を横切った時のこと。部屋の前に飾られた一枚の風景画が目に入る。物心ついた頃からずっとここに飾られていた、ただの風景画だ。

 それを目にした瞬間、私はすべてを悟った。

 ――ああ、これか。これだったのか。

 一本の枝垂れ柳――ただそれだけがぽつんと――不自然に空いた空間――幼少期から見慣れていた一枚。ひどく地味な山水画だと気にも留めていなかった一枚だ。

 私は、のだ。を。とっくの昔に――それこそ生まれた時から。

 この絵は、

 それは、死体が跡形もなく土に還り、霊がどこかへ消え去ったあとの、〈幽魂九相図〉の最後の一枚だったのだ。

 私は絵の前から動けなかった。絵の上から目が離せなくなった。それが恐怖によるものなのか、何か得体の知れない力が働いているのか、私には判別がつかない。

 とにかく、いくら身体を動かそうとしても微動だにできないのだ。指先の一つでさえも。

 ブブ……ブブブ……ブ……ブン……

 どこからともなく、耳障りな虫の羽音。ぼとり、ぼとり、と何かが滴る音。鼻を衝く腐臭。首元にかかる刺すような冷気。

 終わりの見えない硬直の只中で、ふと私はある言葉を思い出し、ぼそりと呟いた。電話が切れる間際に香椎美都子が放った、あの一言を。

「あちらと……」

 ああ、そういうことか。

「こちらの……」

 やはり見てはいけなかったのだ。見て〝理解〟する行為が、両者間に一種の内的な相互作用を生んでしまうから。そしてそれは芸術の本質そのものでもある。そう、最後まで見ることで――

「回路が開く」

 いる。間違いなく、いる。五感がそう告げた。

 は、私のすぐ――


 後ろに。


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