第12話 1日のスタート
窓の外も暗い、午前5時。
ふと目が覚めたさち子は、布団に仰向けの状態で耳をそばだてる。
はっきりは聞こえないが、何か音楽が鳴っている。
「こんな時間に何・・・?あ、にゃんた居たの。ごめん」
体を起こすと、掛け布団の上で勝手に寝ていたらしいにゃんたも飛び起きた。
まだ肌寒い3月の早朝。
枕元に畳んで置いておいた毛糸のカーディガンを羽織り、部屋を出た。
ギシッと軋む階段を降りていくに連れて、次第に音楽が聞き取れるようになってきた。
腕をよーく伸ばしてー
大きく回しまぁーす
いっちっ さーんしっ・・・
「ラジオ体操?」
縁側のある居間。
庭の方から聞こえているようだ。
こちらに背を向けている人影が2つ。
リズムよく音楽に合わせて、体操をしている。
「雅美さん・・・?」
あともう1人は。
滝じぃだ。
こちらに気づいていないらしく、さち子はとりあえず、こたつに座って待つことにした。
後を着いてきたにゃんたは、自分の本来の寝床であるクッションに丸まっている。
雅美が早起きなのは知っていたが、まさか滝じぃまでこんな時間に活動しているとは。
篭に詰んであるみかんを手に取り、剥きながら二人の背中を眺めていた。
「あ、おはようございます。昨日遅くまで起きてたみたいなのに、大丈夫?」
体操を終え、こちらに気付いた雅美が縁側から居間へと上がりながら言う。
「滝じぃさんも。お茶淹れますから。さち子さんのも淹れるわね」
「はい、すみません。私、何もしてないのに。滝じぃ、おはようございます」
「あぁ、おはよう。お邪魔するよ。すまないね、朝から」
よいしょの掛け声と共に縁側へ上がり、座布団に腰を下ろしてこたつに入った。
「元気そうだな」
さち子ではなく、その向こうにいるにゃんたを見て頬を緩める。
「えぇ、にゃんたはよく食べるし、よく寝ますよ。これ、良かったらどうぞ」
みかんを手渡すと「こりゃすまんね。ありがとう」と、しわしわの手で皮を剥き始めた。
「はい。お待たせ」
雅美が、湯気の立つ湯飲みをお盆に乗せて、台所から出て来た。
「ありがとうございます」
「ありがとう。いつもすまないね」
「良いんですよ。私も早起きする理由が出来て、楽しいですから」
雅美は優しく笑って見せた。
「毎日やってたんですか?あれ。ラジオ体操」
「えぇ。でも、まだ1週間程よ」
「よく買い物に来てくれてね。健康の秘訣は何だって聞くから、毎朝ラジオ体操をしてるくらいだと言ったら、一緒にやりたいって言うもんだから。だからー・・・何て言ったかな、ほら。あれのついでにここまで来てな」
そう言うと、腕を振って歩く仕草をしてみせた。
「ウォーキングですか?」
さち子が答えると、「あぁ、それそれ」と力強く頷いて笑う。
「うぉーきんぐ。それをしながらここに来て、ラジオ体操して。そんでお茶して帰るんだよ」
みかんを頬張りながらそう言った。
「そうでしたか。私がぐっすり眠りこけてる間に。私も起きられたら参加しようかな」
さち子の言葉に、雅美は嬉しそうに「是非」と微笑んだ。
空の色が少しずつ、真っ暗から濃い青。朝陽が差してきて水色へと変わり、喋っているうちに7時になっていた。
「いかんいかん。すまんね、長々と。そろそろ帰るよ」
「いいえ、楽しかったので。また買い物にも行かせて頂きますね。あぁ、コップは置いててくださいよ」
滝じぃが台所へ返そうとした湯飲みを、雅美が受けとる。
「おはようございますー・・・ん?」
「おや。また1人増えたのか」
滝じぃがじっと見るので、まりが慌てて頭を下げた。
「初めましてっ。えっと、あーっと・・・八坂まりと言います!」
「これはご丁寧に。滝畑屋っていう店をやってるから、いつでも覗きにおいで。掘り出し物もあると思うから」
状況が掴めないまりは、滝じぃが帰っていく間も、ぽかんとした表情で、少し離れた所から見ていた。
「皆さん、早起きなんですねぇ。いただきまーす」
「いただきます。私は起きられる時しか参加しませんけどね。雅美さんは流石です。きっちりしてるって言うか」
昨夜の残りの、イカと里芋の煮物。
焼き鮭とお味噌汁。
雅美の作った朝食を並べたテーブルを囲んで、まりとさち子が言った。
「では、私もいただきます。私のは習慣よ。母の介護をしていたからか、朝早くに起きる癖が抜けなくて。やること無いから、身体に良いことでもと思って。時々、にゃんたも付き合ってくれるんですよ」
「へぇ。あ、この里芋おいしい。夕飯のときより、何か・・・ほっくりしてる」
「ほっくり?」
まりがさち子の不思議な表現に首をかしげながら、里芋を眺める。
「しっくり?うーん。2日目のカレーとか肉じゃがみたいな。あぁ、これこれ!って感じの」
「なるほど」
「えっ。雅美さんわかったんですか?・・・私だけわからない。美味しいですけど」
まりが悔しそうに、口を尖らせた。
「あ、そういえば昨日、新しい鞄作ったんですよ。桜の刺繍入り!ほらこれっ」
朝食を終え、手作りの鞄を雅美とさち子に披露した。
「わぁっ、素敵です!可愛い!」
まりが興味津々にまじまじと鞄を見る。
「本当ねぇ。私が欲しいくらいだけど、是非ここへ来てくださる方にもお見せしましょう」
「貰い手が居なかったらあげますよ。居たとしても、新しく雅美さんの分も作りますね」
「あら、嬉しい。お願いします」
「雅美さんは料理で・・・私は何か出来ること無いかなぁ」
まりが顎に手を当て、困ったように「うーん」と唸る。
「ゆっくりで良いのよ。無かったら無かったで、来てくださる方とお喋りを楽しんでくれたら良いんだし」
「そうですよ。あせる必要なんて無し!仕事じゃないんですから。ただの趣味ですよ。さ、看板出しにいきましょう」
そうして、さち子はまりの手を引いて玄関へと向かった。
のんびり
ゆっくり
時間は沢山ある。
みんながそれぞれ、自由に気楽に楽しめたらそれで良し。
さぁ、つばめ荘「おばちゃん亭」
今日も小さな憩いの場、スタートです。
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