第11話 憧れ

「いただきまーす」


「いただきます!」


さち子の向かいに座るまりが、台所にいる雅美にも聞こえるように大きめの声で言った。


「しっかり食べてちょうだい。朝ごはんは、1日の重要なエネルギー源ですから。ほら、これも。良かったら」


雅美は台所から持ってきた、深めの小さな器をテーブルに置く。


「あら、昆布じゃないですか。佃煮ですか?」


さち子が尋ねると、にっこりと微笑んで頷いた。


「お味噌汁の出汁に使った物だけど。じっくり煮てあるから、柔らかくなってるわよ」


「美味しそう・・・!早速頂いちゃいますね」


まりは待ちきれず、真っ先に佃煮に手を伸ばす。


「おーいしー!さち子さんも食べてくださいよ。本当に柔らかい」


白ご飯を口に放り込み、更に幸せそうな表情になる。


「ではでは、私も・・・本当!柔らかいですねぇ。甘辛くて、お茶漬けも合いそう」


「喜んで貰えて良かったわ。私も、朝ごはんにしましょ」


よいしょと座布団に正座した雅美は、静かに手を合わせて「いただきます」と言った。



「今日は雨ですかねぇ」


冷奴を食べながら、ガラス戸越しに空を見上げた。


灰色がかった空は、ずんと重い雲が覆っている。


いつもなら爽やかすぎるほどの朝陽が部屋に差し込んで目覚めると言うのに、今日はにゃんたに起こされるまで寝てしまっていた程だ。


「あ、そう言えば雅美さん。夜の内に完成しましたよ」


「あらっ。楽しみだわ」


「え?何々。何ですか?」


まりが、さち子と雅美を交互に見ながら言った。


「エコバッグ。雅美さんに頼まれてたんですよ。お買い物するのに折り畳めるのが欲しいって頼まれてたんです」


さち子は、そう言って味噌汁を一気に飲み干した。


「へー。エコバッグですか」


「滝じぃさんのお店で、食器や雑貨を買うのにハマっちゃってね」


まりは「あー、あそこのお店の」と呟いた。


「まりさんは?何かやりたいことってあります?」


さち子が尋ねると、まりは「うーん」と暫く考えるような仕草をした。


「夢はここに住まわせて貰ったことで叶ったんですよねぇ。田舎暮らしがしたくて、下見にこの町に来たようなものなので」


「あら、良かったじゃない」


食事を終えた雅美は、飲んだ湯飲みをコトンとテーブルに置いた。


「まぁ・・・あえて趣味をあげるなら、食べ歩きですかね」


「食べ歩きですか。まぁ、ここに居たら雅美さんの美味しい料理が色々食べられるし。田舎暮らしと食べる趣味。一石二鳥じゃないですか」


「嬉しいわねぇ。食べ歩きがしたいなら、食べながら家の中を歩いてみます?」


雅美がクスクス笑いながらそう言うと、まりも流石に「えー!それは流石に行儀が・・・」と苦笑いした。



お腹も膨れたさち子達が、くだらない話に花を咲かせていた時。



にゃんたが何かに気付いたように、玄関に走っていった。




「健太郎君じゃない。どうしたの?」


さち子がにゃんたを追いかけて出てきてみると、玄関先に百合子の息子、健太郎が立っていた。


「あら、おはよう。今日は学校よね?具合でも悪いの?」


浮かない表情の健太郎を心配して、雅美が健太郎に近寄る。


まりは初対面なので、にゃんたを抱きながら、さち子の後ろで不思議そうに様子を見ていた。


「おはよ。学校はサボったんだ」


少し言いにくそうにそう言うと、さち子達から目をそらす。


「んー。ま、とりあえず上がったら?」


「そうねぇ。サボっちゃったものは仕方ないわ。どうぞ」


さち子の提案に、あっさりと雅美も賛同して招き入れた。


まりは「ええっ。良いんですか?お母さんは・・・」と戸惑っていたが、構わず健太郎を連れて居間へと戻ることにした。



「はい、どうぞ。ジュース入れてくるわね」


雅美は健太郎の足元に座布団を置いて、台所へ入った。


さち子とまりは、健太郎の向かいに座る。


にゃんたは健太郎の左側に、背中を付けるようにして丸まった。


「健太郎君、にゃんたと仲良しになったね」


「うん。こいつ良いやつだから」


ちらりとにゃんたに目をやって健太郎が言う。



さっき台所に入った雅美が、お盆にオレンジジュースの入ったグラスと、お茶をいれ湯飲みを3つ乗せて戻ってきた。




「お母さんは、学校行ってないの知ってるの?」


雅美が健太郎に尋ねると、首を横に振った。


「具合が悪い訳じゃないんだね?」


さち子は、うつむき加減の顔を覗き込む。


健太郎はしっかりと頷いた。


時折、強く吹く風が、カタカタと縁側のガラス戸を鳴らしている。



「おばちゃんは、何でここに来たの?」


さち子と雅美、そしてちらりと初対面のまりを見てそう言った。



「何でって」


さち子に続けるように、雅美は「ねぇ・・・」と表情を変えずに静かに言うと、テーブルの真ん中にある篭に詰んだみかんを4つ手に取り、皆の前に置いた。


「こんな田舎で何にも無い町、俺はすぐでも出たいんだよ」


「へぇ」


みかんの筋を取りながら、さち子と雅美が口を揃えて言う。


「親戚が東京にいてさ、そっちに引っ越したいんだよ。なのに、母さんは話も聞いてくれないし」


「そりゃあ、ねぇ。まだ中学生でしょ?せめて高校からじゃないと許してくれないんじゃない?」


そう言って、みかんを口に頬張るさち子を見て、不満そうに口をへの地に曲げた。


「14歳でしょう?義務教育ももう少しで終わるじゃない。それからお母さんと話すのでも遅くないと思うわよ」


雅美が諭すように言うと、小さく「うん」と頷いた。


「おばちゃんは初めましてだよね?ここに住んでるんでしょ?母さんに、店に来たって聞いたよ」


突然話を振られたまりは、驚いて飲んでいたお茶にむせた。


「うぅ・・・ごめんなさい。えっと、八坂まりって言います。ここに住まわせてもらってるよ」


「おかしいよ。何でこんな所に・・・この前だってまた一件引っ越しちゃったし、普通は出ていきたいよ。おばちゃんはここには良いところがあるみたいに言ってたけどさ。俺には解らないよ。こんな何もなくて暇なところ」


不満タラタラの健太郎の言葉に、3人は思わず笑ってしまった。



「確かにゲームセンターもショッピングセンターも無いわねぇ」


雅美はクスクスと笑った。


さち子は縁側の方を指差して、健太郎に「ほらみて」と促す。


「何?木?」


健太郎は訳がわからず、身を乗り出すような姿勢でさち子が示す方を見た。


「鳥。見える?」


「あ、ほんとだ」


「木の実をね、食べに来てるんだよ」


「ふーん・・・」


だから何なのだと言わんばかりの健太郎だが、さち子は満足げにお茶を一口飲んだ。



「おばちゃんはね、今まで生きてきて色んな物を見て、経験して。疲れたなーって、行き着いたのが此処なの」


雅美とまりは、共感するように深く頷く。


「海もあって、遮るものが殆ど無い広い空。鳥が飛んで、花が咲いて、緑に囲まれて。都会には無かった、今の私には十分すぎるほどの贅沢がここにはあるのよ」


「同じ年頃でもつまらないと思う人も居るでしょうけどねぇ」


苦笑いする雅美に続いて、まりも「その方が多いかもしれませんけどね」と笑った。


「四季を感じて、静かであることを楽しむ。のんびり気ままにダラダラと生きる」


「お金はあるの?」


健太郎のあまりに現実的な質問に、さち子は吹き出すように笑ってしまった。


「独身、趣味無し、恋人無し。それなりに年数働いた女の貯蓄は、中学生の君には想像もつくまい。はっはっは」


そう言って胸を張った。


「まぁ、ここの良さは、健太郎君がずーっと何年も経っておじさん・・・いや、おじいさんになったくらいにはわかるかもしれないわ。ねぇ」


雅美がまりに振ると、まりは「その頃、私たちはヨボヨボかもしれないですね」と悲しそうな表情を作ってみせた。



それから、気が付けば他愛の無い話に盛り上がっていた。


町の人たちの話や、夕凪町の話。


とんでもなく、くだらない話にも盛り上がっていた。


「おばちゃんたち、ありがとう。やっぱり今はまだ都会に行きたいと思うけど、とりあえず卒業するまでは我慢するよ。母さんとも仲直りする」


「うんうん。それが良い。百合ちゃんもわかってくれるよ。何たって、彼女もそう言うところで仕事して、遊んで。良いところも悪いところも知ってるんだから」


いつの間にか夕方になっていた。


庭が夕陽のオレンジ色に染まっていた。


「そろそろ帰るね。また遊びに来てもいい?」


「もちろん。いつでもおいで。おばちゃん亭はダラダラ遊びに来るところだから。適当に玄関入って来たら良いよ」


「うん!じゃあね!」


そうして健太郎は帰っていったのだった。




「いやぁ、みかんって気付いたら食べ過ぎちゃいますね」


まりが、テーブルのみかんの皮を片付けながら言った。


「あ!みかん風呂しましょうよ。ね、雅美さん良いと思いません?」


台所で湯飲みを洗っていた雅美が「思います」と、提案するのをわかっていたかのように微笑んだ。


「チンしたら乾燥させられますかね?」


「えぇ、出来ると思いますよ」


さち子の疑問に答えた雅美は、引き出しからネットを取り出してきた。


「これに入れてお風呂に浮かべましょう。良い香りだと思うわ」


「楽しみですね!」


まりも興奮気味にそう言った。



甘酸っぱくて、食べる手を止められない美味しいみかん。


爽やかな柑橘の香りで、みかん風呂としてまで楽しめるなんて贅沢な事だ。


慌ただしい生活の中では感じる余裕の無かった、小さな幸せ。


庭に止まる鳥や、季節ごとに移り変わる自然の色をどれほど見過ごして来ただろうか。



当たり前に広がる目の前の事に、いちいち幸せを感じる。



さち子は、みかん風呂に浸かりながら、爽やかで温かい幸せをひしと感じ、噛み締めていた。




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