第8話 おばちゃん亭

「雅美さーん。居ないのかな・・・にゃんたはご飯食べたのー?」


にゃあ。


「本当は食べてても、食べてないって言いそうだもんねぇ・・・」


にゃんたを持ち上げて聞いてみても、猫語は理解出来ないからどうしようもない。


早起きの雅美があげてるだろう思ったが、やたらと寝起きのさち子にまとわりつくものだから、まだ食べていないのかしらと思い、雅美を探していたのだ。


「雅美さーん、居ませんかー」


台所を覗いてみても居ない。


だが、コンロの鍋には、温かい味噌汁が出来ている。


さっきまで朝食を作っていたのだろう。


「どこ行ったんだろうねぇ」



冬の寒い朝だ。


まさかとは思ったが、ふと庭に目をやると、縁側のガラス戸に隙間が開いている。



「うー・・・寒い」


ガラス戸の隙間から入ってくる冬の空気。


冷蔵庫どころか、冷凍庫くらいに感じる。


体に巻き付けたストールを、きゅっと握りしめた。


「雅美さーん。おはようございますー・・・」


外を覗くと、隅にある花壇の前にしゃがみこむ雅美の姿があった。


「あら、さち子さん。おはようございます」


「何やってるんですか、寒いじゃないですか。風邪引きますよ」


「これ。あるから平気よ」


いつもの低い声のトーンで、膝に乗せていたカイロを、嬉しそうに見せてくれた。


「いやいやいや。それでも寒いですって。何してたんですか」


「あぁ。せっかく花壇があるから、何か植えられないかしらと思って」


「・・・それで寒い中、花壇を前にして考え込んでたんですか?」


私が信じられない思いで尋ねると、「えぇ」と真面目に答えたのだ。


「ほ、ほらご飯!食べましょうよ。今日はおばちゃん亭を開くんでしょう。あ、そうだ。にゃんたはご飯食べました?」


「にゃんたは、残さずちゃんと食べてましたよ」


雅美が庭用のサンダルを脱いで、部屋へ上がりながら言った。


「えー、じゃあにゃんたは何で・・・」


さち子が首をかしげて台所に向かおうとした時、後ろで雅美が何かに気付いたように「あら」と言い、クスクスと笑った。


「どうしました?」


振り返ると、雅美がさち子のスカートの後ろを指差した。



ニットのスカートに、キャットフードが1つくっついていたのだった。



「誰か来ますかねぇ」


居間の長テーブルに、作った手芸作品を並べていく。


「来なかったら、二人で食べたら良いですよ」


台所から雅美が戻ってきた。


「素敵。良いじゃない」


ラベンダーを刺繍したブックカバーを手に取った雅美が、うっとりとした声で言った。


「ありがとうございます。自信作なんですよ。生地も良いでしょう」


淡いグリーンの布は、ここの手芸屋で買った物。


「買い取りたいくらいだわ。これ本当にタダであげちゃうの?」


「えぇ。素人の趣味でやってるだけですから」


「そう・・・あら、誰か来た?」


「え?」


雅美が何かに気が付いて、玄関に耳を傾ける。


「おばちゃーん、居るー?」


「あ!健太郎君だ」


さち子は急いで玄関へと向かった。



「こんにちは。どうしたの?」


「今日から、おばちゃん亭やるんでしょ?お昼ご飯がてらに来てみた。母さんも後から来るって」


「あら、こんにちは。どうぞ、あがって」


雅美が健太郎を招き入れる。


「おじゃましまーす。うわ、お前。急には反則だって!」


居間から駆け出てきたにゃんたが、健太郎の足元を走り回る。


「健太郎君、にゃんたは平気になったの?」


さち子は、にゃんたを抱き上げた健太郎を見て尋ねる。


「うん。こいつ噛まないし引っ掻かないもん」


そう言って、にゃんたの顎のあたりを撫でた。




健太郎が、並べてあったトートバッグを手にとって感動したように言った。


「でも年頃の男の子は、そういうの好きじゃないでしょ」


「持ち歩くにはちょっと可愛すぎるけどさ。でも、すげーなぁって思った。ていうかさ!おばちゃん達も、よくこんな田舎に来たよね。何もないのに」


健太郎がそう言うと、雅美が鍋を抱えて、台所から出てきた。


カセットコンロに乗せ、キッチンミトンを外す。


「あら、ここは都会に無いものが沢山あるわよ」


「そうかなぁ」


「健太郎君が大人になって、ここを離れたら気付くと思うわよ」


雅美の言葉に、健太郎は半信半疑の様子だ。


「朝ごはん、寝坊して食べてないから腹減ったよ。何作ったの?」


「これよ」


雅美は得意気に土鍋の蓋を開ける。


白い湯気がふわっと立ち上がったあと、姿を見せたのは美味しそうな熱々のおでんだ。


「おー!昼からおでんだ!食べて良い?もう母さん待ってられないよ」


「どうぞ。沢山あるから好きなだけ」


雅美がお皿と箸を渡し、健太郎は大喜びでおでんにがっつき始めた。



「こんにちはー!さち子ー、健太郎来てる?」


玄関に百合子がやって来た。


「ごめんねぇ、あ!もう食べてる」


百合子が、居間でおでんを食べる健太郎を見て言う。


「遅いし。腹減ったし」


「ちょっとくらい待っててくれても良いのに・・・わぁ可愛いじゃなーい!さち子は相変わらず器用ねぇ」


ラベンダーの刺繍をしたブックカバーを手に取り、まじまじと見ている。


「気に入ったのあったら持ってってよ。その為に作ったんだから」


「本当にいいの?本当に?」


百合子が何度も聞いてくるので「当たり前でしょ」と言うと「やったねー!何しよっなかなぁ」とトートバッグやらポーチやらを見比べている。



「雅美さん、私も食べて良いですか?」


さち子は、皿と箸を持って尋ねると「もちろんよ」と雅美がにっこりと笑顔を見せる。


「いただきまーす」


茶色く、味の染みた大根。


ぷりぷりのこんにゃく。


程よく油が出て、出汁にコクをプラスしてくれる練り物たち。


卵だって外せない。


「おーいしー!」


さち子は、大根を食べて思わず声に出して言った。


「よーし!決めた。さち子、これとこれ。いただくわねっ」


ようやく百合子が決めて手に取ったのは、コーヒーミルやティーカップ、クッキーを刺繍したエプロン。


もう1つは、ラベンダーを刺繍したブックカバーだった。


「どうぞ、持ってって。ありがとね。また頑張れるわ」


「ラッキー!ありがと!私も、おでん食べよ」


百合子は健太郎の隣に座って、おでんを食べる。



いつの間にか、にゃんたは机の下で、健太郎の足の上に座って、丸まって眠りこけていた。


「ところで、このおばちゃん亭は何曜日とか決まってるの?」


百合子が、こんにゃくを食べながらさち子に尋ねる。


「うーん。適当。やってるときは玄関開けとくし、そこの通りの所に看板でも立てとくわ」


「そうね。また看板も作らなきゃね。お料理は殆どが軽食になると思いますから。憩いの場なので、つまみながらお喋りしたり、ぼーっとしたりが出来るように」


さち子に続いて雅美がそう言うと、百合子は「なるほどね。またこまめに見に来よう。ね、健太郎」と言った。


食事を終えた健太郎は、にゃんたを撫でながら頷いた。



「良いねぇ、ここ。広いし、何か落ち着くし」


百合子が足を伸ばして、部屋を見回す。


「こたつが欲しい」


健太郎が冷えた足をモソモソとしながら言うと、雅美が「確かに。良いわね」と言った。


「はい、どうぞ」


さち子は、大人用に珈琲と、健太郎にココアを運ぶ。


「ありがとう。はー、あったまるぅ」


百合子が珈琲の入ったマグカップを、テーブルの上でそっと両手で包む。


「ふー、ふー。あ!にゃんた、熱いから来るなよ」


寄ってきたにゃんたを追い払うような仕草をしながら、健太郎が言った。



それから二時間ほど、私たちはそれぞれのこれまでの話や、ちょっとした愚痴などを喋りまくり、とても楽しい一時を過ごしたのだった。


「ごちそうさま。楽しかったぁ。お金取りなさいよ。払うわよ」


百合子が申し訳なさそうにそう言ったが、さち子も雅美も首を横に振った。


「良いの。私も雅美さんも食べてるんだから。楽しんでもらえたら良いのよ。そのつもりで最初からやってるんだから」


さち子が言うと「そう・・・?じゃあお言葉に甘えるわ。ありがとう!」と百合子が言い、健太郎も頭を下げた。


二人が帰った部屋を、雅美と一緒に片付ける。


「さち子さん、こたつ。欲しいわね」


「本当ですねぇ。出られなくなっちゃいそうですけど」


「ふふふっ。そうね、確かに。でもあったら、皆もゆっくり過ごせるし」


「じゃあ、明日。滝じぃの所に見に行ってきます」


すると「私も行くわよ」と雅美が嬉しそうに言った。



台所で、カチャカチャと雅美が洗い物をしていく。


さち子は隣で受け取り、一つ一つ丁寧に拭いていった。


木造の古い家は、隙間があちこちにある。


キンと冷たい空気が、部屋に流れ込んでくる。



こたつのある生活。



素敵すぎる。


「みかんも買いましょう、雅美さん」


すると雅美は「当たり前でしょう」と笑って見せた。



ベタな風景だけど、そんなベタなものが好き。



こたつに、ぬくぬくと。


にゃんたを撫でて。


手が黄色くなるくらい、みかんを食べる。


雅美と喋りながら、縁側のガラス越しに寒そうな雪景色の庭を見る。




あぁ、なんて贅沢。

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