第7話 夕凪町
「じゃ、ちょっと行ってきます」
「行ってらっしゃい。あれ、お願いしますね」
「厚揚げですね。勿論ですよ」
玄関に見送りに出てきてくれた雅美が「1日にゃんたと遊んでいます」と、にゃんたを抱き上げて言う。
そんな1人と1匹に軽く手を振ってから、家を出た。
今日は夕凪町を散策。
あとは買い物だ。
黄色く色付いたイチョウの葉が、通りを明るく彩る。
少し歩いて曲がった先に商店街がある。
「流石に空気は冷たくなってきたなぁ」
空が高くなり、見るもの全てが秋を感じさせる。
「やぁ花村さん。出掛けるのか?」
角を曲がった所で、腰くらいの高さの本棚を乗せた荷台を押す、滝じぃに出会った。
「散歩と買い物です。それは売り物ですか?」
「あぁ、これかい。引っ越す家族がいて、引き取って欲しいって言われてね。いくつか運び終えて、これが最後だよ」
「へぇ・・・大変ですねぇ」
あんなに売り物で溢れているというのに。
こう言うのは、滝じぃの善意なのかもしれない。
「どんどん人が出ていくから、年寄りばかりだ。あんたも物好きだね。はっはっは」
肩を揺らして滝じぃが笑った。
「私もいずれは年寄りですから。ここで静かに楽しく過ごせたら良いですよ」
「そうかそうか。あぁ、引き留めて悪かったね」
滝じぃは「失礼するよ」と言うと、重そうな荷台を押して店へと向かって行った。
「ごめんください」
「いらっしゃい。見ない顔ねぇ」
布が散らかったテーブルで作業をしていた60代くらいの女性が、外した眼鏡を置いて、さち子をまじまじと見ながらこちらへ来る。
その小太りの女性は、すぐに優しい笑顔を見せた。
「何かお探し?」
そうさち子に尋ね、店の中へ「どうぞ」と招き入れた。
花柄やドット柄。ヴィンテージっぽい布。
色とりどりの刺繍糸や、カラフルな毛糸たち。
見ているだけでもワクワクする。
「ゆっくり見ていってね」
おばちゃん店主はそう言うと、再び席について眼鏡を掛け、何かを縫い始めた。
「それ、何やってるんですか?」
「え?あぁ、これはパッチワークよ。私はこれが専門なの」
彼女は、様々な色柄の生地を縫い合わせたそれを見せてくれた。
「今は、孫にぬいぐるみ作ってるのよ」
そう言って嬉しそうに笑って見せた。
「あなたはパッチワークはするの?」
そう尋ねられたが、正直見てるだけで気が遠くなる。
「いえ。私は挫折したので」
「あらまぁ、そうなの」
少し残念そうにそう言う店主に、「商品、見せてもらいますね」と言ってその場を離れた。
「ありがとう。また来てね」
店の外にまで、おばちゃん店主は見送りに出てきてくれた。
会釈をしてから、店をあとにした。
刺繍糸を三種類と、無地の布を数枚。
「結構良いものがあったわね」
ぽつりとそう呟き、それらが入った袋を握り締めて、商店街を歩く。
気に入ったものを買えたときの胸の高鳴りはたまらない。
何を作ろうか?
そんな事を考えて、思わず顔がにやついた。
「わぁ・・・素敵」
商店街を抜けて坂道を降りた先には、海が広がっていた。
風が穏やかな今日は、さざ波が優しく打ち寄せる。
海風になびく髪を軽く抑え、深呼吸をする。
太陽の光が反射して、水面がキラキラと輝いていた。
遠くに見える水平線。
小さく船も見えた。
「本当に良いところだわ」
靴と靴下を脱いで、豪快にばたんと直に砂浜に座り込む。
さち子は夕凪町に来て、1番のお気に入りの場所を見つけた気がした。
どれくらい座っていただろう。
ぼんやりと水平線を眺めていると、うっかり時間も忘れてしまう。
「ずっと居れるなぁ」
今度は雅美も連れてこよう。
あと、にゃんたも。
にゃんたは猫だから嫌がるだろうか?
「平和だなぁ」
電線もない、大きく広がる青空を見上げた。
「あ。厚揚げ買わなきゃ!」
さち子は慌てて立ち上がり、パンパンとスカートについた砂を払ってから、商店街への道を戻った。
「厚揚げ、大きいの1つちょうだい」
「はい。ちょっと待ってよー」
百合子が厚揚げを用意して、袋に入れる。
「ん。お金」
「はい、ありがとね。どう?生活は慣れた?」
お金を受け取った百合子が尋ねた。
「うん。さっき海も見てきて、凄く気に入った」
「そっかそっか!よかったよ。大きなお店も近くに無いし不便も多いだろうけどさ。もし、買い物に困ったら言ってよ。旦那が、たまに車でまとめ買いに隣町に行くからさ。買ってきてもらうように頼んであげる」
「助かるわ。ありがとう」
「働いてる時、さち子には散々お世話になったからねぇ!ま、ここは悪い人も居ないからさ。困ったら色んな人に頼りなよ。皆、きっと聞いてくれると思うからさ」
そう言って百合子が笑う。
「わかった、本当にありがとう。また来るね」
そうして、豆腐屋を後にして、雅美の待つ自宅へと急いだ。
「雅美さーん!お待たせしました」
玄関で靴を脱ぎながら、大きな声で雅美に言う。
スリッパの足音が、玄関に近づいてきた。
「おかえりなさい。大丈夫ですよ。買ってきて下さってありがとうございます」
さち子が渡した厚揚げの袋を受け取りながら、雅美が言った。
「あ、雅美さん。明日、海行きません?」
「海ですか?・・・これ?」
雅美が両腕をクロールをするようにくるくると回す。
「あははっ。違いますよー。寒いじゃないですか。ぼーっとしに行くだけです。商店街の向こうなので、歩いて行けますし」
「あら、良いわね」
雅美が目を細めてみせた。
にゃんたが居間のドアの隙間からするりと出てきた。
「にゃんたも行く?」
さち子のその言葉に、にゃーと答えて奥の部屋へと入っていってしまった。
それを見て、雅美はクスクスと笑っていた。
夕方、縁側で縫い物をしていると、台所の方から食欲を誘う匂いが漂ってきた。
出汁の優しい匂い。
あの厚揚げを炊いているのだろうか。
「にゃんた、お腹すいたねぇ」
にゃんたはさち子の隣の座布団に丸まっている。
返事はしないが、さち子の言葉に耳をピクつかせた。
何もない1日。
何もない幸せ。
さち子は手元の布を整え、再びチクチクと縫い始めたのだった。
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