第23話 焼きたらこの親子

本日は、今朝早くに佐野さんが持ってきてくださった白菜を使って、肉団子と一緒に煮物を作ります。


たっぷりのおろし生姜とお醤油で味をつけた肉団子を揚げていきます。


チキンスープや、お砂糖、お醤油、お酒を入れた土鍋に、白菜と一緒に肉団子をコトコトと煮ていきます。


じっくり煮込み蓋を開けると、白い湯気と共に、くったりとなった白菜と、味がしっかりと付いた肉団子が姿を現し、寒い冬に心も体も温まる煮物の完成です。


瑞々しい白菜、揚げる事でコクの増した肉団子とスープを、是非召し上がりに来てくださいね。


「葉子さん、具合はいかがですか?」


葉子さんの部屋の扉を開けると、お布団からちらりと顔を出して「は、鼻が・・・」と困ったように笑っています。


枕元には、ティッシュ箱と、ごみの沢山入ったゴミ箱がありました。


「これ、良かったらどうぞ。もうお昼ですから何か食べないと。ゆっくりしてくださいね」


私は、傍にある小さなテーブルに土鍋と湯飲みを乗せたお盆を起きました。


「あれ、何ですかそれ・・・?」


葉子さんは体を起こして、覗き込みました。


「生姜たっぷりのお粥と、卵酒ですよ。体も温まりますし、卵酒は鼻風邪に効くと言われているので。食べられそうなら、しっかり食べてくださいね」


「食べます、食べます!あー、ハルさんのご飯・・・唯一の楽しみですぅ・・・あぁ、息がくるしい。鼻がぁぁ」


葉子さんは1度鼻をかんでからテーブルの前に座りました。


「はー・・・温かい。美味しい」


卵酒をふぅふぅと冷ましてから一口飲み、そう言いました。


卵と日本酒、お砂糖を加熱して作る卵酒はぽかぽかと体も温まります。


卵白に含まれる成分は、鼻水や痰を出す手助けをしてくれるのだとか。


アルコールは加熱することで殆ど飛んでしまいますが、残っているアルコールは血液の循環を良くしたり、眠気を誘ってゆっくり寝られる効果もあるのだそう。


お子さんに作るときは、しっかり加熱するか、日本酒の代わりに牛乳を入れてくださいね。


「ごめんくださーい」


食堂から、女性の声が聞こえてきました。


「ごめんなさいね葉子さん。お店に戻りますね」


そう言って、葉子さんの部屋を後にして急いで食堂へと降りました。


「お待たせしてごめんなさいね。いらっしゃいませ」


階段を降りると、食堂の入り口に30代前後の女性と、鮮やかなピンクの着物姿の女の子がいました。


女の子は小学生くらいでしょうか。


しゃがみこんで、ぽんすけを嬉しそうに撫でています。


「今、お昼ごはんってやってます?」


「えぇ、すぐにご用意しますね。お席へどうぞ」


親子はストーブの側のテーブル席に座り、ぽんすけは入り口に座って、女の子に遊んで欲しそうに見ていました。


「えっと、メニューは・・・」


「おすすめのおかずはご用意してありますが、基本的にはお客様のお好きなお料理をお出しするようにしています。おにぎりの具も、お好きなのをご用意致しますよ」


私のその言葉に、女性は娘さんに「何が食べたい?」と聞くと、「ハンバーグ!」と元気一杯に答えました。


「ハンバーグって・・・そんな手間の掛かるものは流石に・・・他に何か無いの?」


「構いませんよ。少しだけお時間は掛かりますが、おにぎりやお味噌汁を召し上がる間にお作りしますよ」


「わー!ハンバーグ!ちぃ、チーズが乗ってるのが良いな!」


「えぇ、良いわよ。とろーりチーズ、乗せておくわね」


女の子は「チーズ!チーズ!」と、着物で動かしにくい足を、大きくバタつかせて喜んでいました。


「無理言ってすみません。私は、おすすめの物でお願いします」


女性は申し訳なさそうに言いました。


「おばちゃん!おにぎり、タラコが良いなぁ。ちぃもママも好きなの!」


「あら、それは是非作らなくちゃね。おばちゃん、とっておきのタラコでおにぎり作るわね」


「やったー!あははっ!まだかなー、まだかなー!」


はしゃぐその子の隣で、女性は「もう!すみません」とこちらに頭を下げておられました。


パチッ パチッ


ふっくらしたタラコの色が、網の上で次第に薄いピンクに変わってきました。


じっくり焼き、こんがりと焼き色も付いたら、皮が弾けてしまう前に火から下ろしてほぐします。


「良い匂いですね」


女性は店内に広がる、焼きタラコの香ばしい匂いを胸に吸い込んで言いました。


「お腹すいたぁっ」


女の子も待ちきれないようで、席に座ったままずっとこちらを見ています。


「おにぎりとお味噌汁、あとお母さんのおかずはすぐにお出ししますね」


炊きたてご飯に、程よい塩味の焼きタラコをほぐして入れます。


あとは、白菜と肉団子の煮物をスープもたっぷり入れてお皿に盛りつけます。


優しいお味噌の香りが漂う、温かいお味噌汁も一緒に。


お漬け物は、壬生菜みぶなと言う、京都の伝統野菜の浅漬けをご用意しました。


水菜と姿は似ていますが、少しピリッとくる壬生菜はクセになりますよ。


それらを先に親子の席にお運びしました。



「おにぎり!たらこ!」


女の子は真っ先におにぎりに手を伸ばして、大きな口を開けてかぶりつきました。


「おいしい!ママ、おいしいよ!」


もう1つおにぎりを手に取り、母親である女性に差し出しました。


「本当だ、美味しい。すごーい・・・」


「タラコは今が旬ですから。身もたっぷりと詰まっていますよ」


もうひとくち食べる母親を、女の子は嬉しそうな表情で見てから、自分ももうひとくち食べていました。


「ハンバーグ、すぐに焼きますからね。あと少し待っていてね」


先に準備して寝かせておいた挽き肉を成型し、熱したフライパンに乗せました。


ジューッ


両面を焼き付け、火が通ったら、チーズを乗せます。


蓋をして、チーズが溶けてきたらお皿に移します。


手作りのハンバーグソースをかけて、チーズがとろりと溶けた、ふっくらハンバーグの完成です。


今か今かと、ワクワクした様子の女の子の元へと運びました。


「わぁ!チーズハンバーグ!・・・おいしーっ」


ハンバーグを食べた女の子は、その後もパクパクと食べてくれました。


「無理言ってすみませんでした。ありがとうございます」


女性は嬉しそうにハンバーグを食べる女の子を横目で見ながら、私に言いました。


「このくらい大丈夫ですよ。あまり子供にご飯を作る機会が無いので、これだけ喜んでもらえると嬉しいんです。子供の笑顔は、私も元気を貰えますから」


「このお料理、どれも凄く美味しいです。白菜のも、味はしっかり染みてるのに、濃くなくて優しい味で。私、料理が下手でよくわからなくて濃くなっちゃうんですよね」


恥ずかしそうにそう言うと、柔らかい肉団子を半分にお箸で切って食べました。


「味を染み込ませるのはコツがあるんですよ。調味料の量ではなくて、ゆっくりした時間なんです」


「ゆっくり・・・?」


「えぇ。肉じゃがなんかもそうなんですけど、火から下ろして1度ゆっくり冷ますんです。その間に味が染みるんですよ」


「そうなんですか!知らなかった・・・」


「煮物は1日おいたら美味しいって言うでしょう?別に1日煮込んでるわけでもないのにね。そう言うことなんです」


「あぁ!なるほど!」


女性は納得したように、そう言いました。



「お嬢ちゃん、着物綺麗だねぇ。おばちゃん、あなたが来たとき見惚れちゃったわ」


綺麗に食べてくれたハンバーグのお皿を下げながら言うと、女の子は嬉しそうに席から下りて全身姿を見せてくれました。


ピンクのその着物は、華やかな毬や四君子と言う蘭や竹、菊や梅をあしらった、とても美しく可愛らしいものです。


「七五三だったんだぁ。これ、ママのおさがりなんだってー。ちぃの友達、ウサギの絵が描いてる着物で可愛かったのに」


「あら。確かにウサギも可愛くて素敵な意味を持つ柄だけど、おばちゃんは今の着物もとても可愛いと思うわよ。毬も四君子も、健やかな成長を願う素晴らしい柄だもの」


「そうなの?」


その子は初めて知ったように、きょとんとした表情をしていました。


「えぇ、そうよ。それにお母さんの着ていた物を、そんなに綺麗な状態で我が子の七五三まで置いておくなんて、凄いことよ。おばちゃん、羨ましいわ」


その子の前にしゃがみこみ、着物を見て言いました。


「そっかぁ!ママ、ありがとっ」


女の子は一気に元気を取り戻しました。


「この近くで七五三のお参りをしたんですか?」


私は食後の温かいお茶をお出しし、尋ねました。


女の子の名前は、下野 千鶴ちゃん。


千鶴ちゃんは、ぽんすけとボールで遊び始めていました。


「はい。隣村に大きな神社があるんです。よその人はあまり知らないと思いますけど、古くて歴史もあるらしくて。私、その村が故郷なんです。と言っても両親は離婚してて、そこに住んでた母も去年亡くなりましたから、誰もいないんですけどね」


そう言って、下野さんは湯飲みを両手で包むようにして持ち、ゆっくりとお茶を飲みました。


「仕事が忙しくて、お友達が七五三をした時期に行けなかったんです。でも遅くなってでも、ちゃんとやりたくて」


彼女は、ボールをそこらに転がして、ぽんすけが取りに行く遊びをする千鶴ちゃんを見つめました。


「あの着物を、あの子に着せたかったんですよね。3歳の時は出来なかったんです。旦那の暴力のお陰で離婚したりで、やってやれなかったから・・・」


下野さんは、小さくため息をつきながらそう言いました。


「着物、千鶴ちゃんによく似合っていますね」


「そうですね。あの着物は、母が買ってくれたんです。自分も離婚してお金もないのに。いつも色々我慢してきた私へのプレゼントだからって。いつか私に子供が出来たら着せたいと思って、大切にしていたんです」


彼女は懐かしむようにそう言って、娘の姿を見つめていました。


「この辺りは全然変わらないんですね。相変わらず何もない」


下野さんはそう言って、最後のひとくちのお茶を喉に流し込みました。


「ふふっ。そうですね。確かに何もないです」


私は後片付けを済ませ、キッチンの丸いすに座りながら、窓から店内に優しく差し込む、冬の午後の日差しに目をやります。


「何もないからこそ、小さなものにでも気が付き、些細なことに幸せを感じることが出来るんです」


窓の外で吹いた風がカタカタと、小さく窓を揺らします。


「あぁ・・・そうだったかなぁ」


下野さんはそう呟いて、窓の外でハラハラと舞う、真紅から少し色褪せてきた楓の葉を見つめました。


「ママ!お外行きたい!」


千鶴ちゃんが駆け寄ってきてそう言いました。


「こんな寒いのに外で遊ぶの?」


「ぽんすけと、外で遊びたい!おばちゃん、良い?」


千鶴ちゃんは、私に期待したような表情で言いました。


「ぽんすけはお外で遊ぶのも大好きだから、おばちゃんは構わないわよ。お母さんが良いって言ったらね」


私がそう言うと、千鶴ちゃんはお母さんを見ました。


「もう。良いわよ、着物は汚さないでね」


「うん!大丈夫!」


千鶴ちゃんは、ぽんすけを連れて店を出ました。


「待って!ママも行くからっ。すみません、少し遊んだら戻りますからっ」


そうして、慌てて上着を着た下野さんも、店の外へ行きました。


店の外から、きゃっきゃとはしゃぐ声が聞こえます。


時折、窓越しに顔の半分だけを覗かせ、私と目が合う度に「ぎゃはは」と騒いでいました。


今日は天気も良く、降り注ぐ太陽の日射しが、冬の寒さを少し和らげてくれていますが、いつも以上に空気は冷たく感じます。


それでも、こどもは風の子。


寒さなんて感じていないかのように走り回っています。


私は下野さん親子が外へ出てから少しの間、キッチンで本を読みながら、楽しげで幸せな親子の声を聞いて過ごしました。


時刻は、午後2時半。


階段を降りてくる足音がしたかと思うと、葉子さんが顔を出しました。


「ハルさん、これ。寝ちゃってて・・・遅くなってすみません」


空っぽの土鍋と湯飲みを乗せたお盆を差し出してきました。


「あら。そのままで良かったんですよ。わざわざごめんなさいね、ありがとうございます」


「あれ、お客さんは?」


葉子さんは、ぽんすけも居ない店内を見回します。


「お外で遊んでもらっているんですよ。もう30分も経ちますね。ふふっ。余程楽しいんでしょうね」


私は笑いながら、りんごを取り出しました。


りんごの上部分を切ります。


「何してるんですか?」


葉子さんは不思議そうに見ています。


「お客様のおやつに、焼きりんごを作ろうと思いまして。後で葉子さんにもお持ちしますよ」


すると葉子さんの表情が、パッと明るくなりました。


「焼きりんご!楽しみにしておきます!やったー!」


葉子さんはまだ少し鼻声ながらも、上機嫌で部屋に戻っていきました。


生き物たちが温かい土の中で眠る静かな冬も、その無音までもがとても贅沢で、私は大好きです。


ですが、今日は楽しそうにはしゃぐ親子の声に耳を傾けるこの時間がとても幸せ。


かけがえの無い二人の時間は、きっと千鶴ちゃんにとって、お母さんとの幸せな記憶として宝物になるでしょう。


勿論、お母さんにとっても。


「あ!!ママ、見て!!」


外から千鶴ちゃんの大きな声が聞こえました。


声につられて窓に近寄ると、ちらちらと雪が降っていました。


お母さんの隣にいる千鶴ちゃんは、私に気が付き「ほら、雪!」と、目をキラキラさせて空を指差しています。


ぽんすけは、嬉そうにくるくると走り回っており、その姿に思わず笑ってしまいました。



それから暫くして、ちょうど焼きりんごが完成した頃、下野さん親子とぽんすけが、賑やかに戻ってきました。


おふたりとも、焼きりんごをとても喜んでおられました。


帰り際、千鶴ちゃんが大人になって手が離れたら、故郷の村に住むのも良いかもと、仰っていました。


食堂が気に入ったから、その時には毎日でも来たいのだそうです。



七五三のお参りをした千鶴ちゃんが大人になるのはまだまだ先のこと。



ふふっ。


私もまだまだ頑張らなくてはいけませんね。

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