第24話 土いじりを通して
少し薄暗い、午前6時30分。
えんじ色の毛糸のショールを肩に掛けて、食堂の裏口で靴を履きます。
畑用具を手に取り、自慢の畑へ出ます。
寒い冬の早朝です。
ピンと張りつめた12月の冷気が頬に触れると、寝起きの頭も冴えます。
吐いた息が白いのを見ると、何だかワクワクするのはおかしいでしょうか?
こどもの頃に白くなる息が面白くて、外に出るとしきりにはぁはぁと息を吐いて遊んでいたのを思い出すのです。
今日はお野菜の収穫をします。
畑には収穫期を迎えた野菜たちが、元気に育ってくれています。
胸いっぱいに澄んだ空気と土の香りを吸い込み、気合いを入れました。
空には白い月が浮かんでいます。
防寒対策に畑に被せていたビニールを取ると、もっさりと姿を表したのは春菊。
青々とした緑鮮やかな春菊を収穫しましょう。
少し苦味もあり、独特な香りをもつ事から苦手な方も多いようですが、体にもとても良いとされています。
ちなみに、私が育てた品種は、葉の切れ込みが浅いもので、苦味や独特な香りも少ないものなので食べやすいのです。
元気いっぱいの春菊の前にしゃがみこみ、お気に入りの収穫用のハサミを手にします。
株元の葉を数枚残して、チョキチョキと切ります。
こうしておくことで、また次の葉が出てくるのです。
私は静かな畑で1人、収穫した春菊を次々と竹かごに入れていきました。
「ハルさぁん、私も何かお手伝いお手伝いしましょうか?」
せっせと春菊を収穫していた頃、食堂の方から紺のジャンパーを羽織った葉子さんがやって来ました。
「あら、おはようございます。お部屋に居てくださって大丈夫ですよ?」
「トイレに降りてきたら、ハルさんの姿が見えたので。いつもこんな早い時間から畑に来てるんですか?」
葉子さんは私の隣にしゃがみこんで、もさもさと葉を広げる春菊を覗きこんでいます。
「えぇ。朝早くに畑に来て、静かな空気の中で土いじりをするのは、とても気持ちがよいものですから」
私がそう言うと「へぇ・・・私、毎日は流石に起きられません」と笑っています。
「では、この葉っぱ3・4枚を残して収穫していただけますか?」
「はーい」
葉子さんに説明して、柔らかくひんやりした土に手をあてます。
私の自慢の畑。
柔らかい土作りから始めて、ここまで作り上げました。
たくさん手をかけた畑は、新鮮な野菜を授けてくれます。
私は、そんな自然の優しさに寄り添い、ゆっくりと生活することが好きなのです。
誰もがそれぞれに悩みをもっています。
生きる場所、環境が違えば悩みも変わる。
同じ様に思える悩みや、似た境遇があったとしても、その人1人1人が抱える悩みの大きさは全く違うのです。
私は土を触っていると、本当に大切なものが何なのかを教えてもらえる気がします。
物事をシンプルに考えられるようになり、植物の生きる姿からは、人生においての考え方のヒントを与えられます。
土が乾けば水をやり
生きることには栄養も必要
雨ばかりではなく、太陽の光も無くてはならない。
どんなに強い風に吹かれても、一生懸命生きる植物たちは、時に勇気をも与えてくれます。
ここに来る方たちにも、そんな逞しく生きる野菜達のエネルギーを感じてもらえたらと思いながら、心を込めてお世話しています。
「これだけ沢山の春菊が採れたら、夕飯にまわせますかね?」
葉子さんが竹かごに春菊を入れながら言いました。
「えぇ。お客様が来たとしても余るでしょうから、夕飯に使いましょうね」
私がそう言うと、葉子さんはいっそう張り切って収穫をしてくださいました。
わんわんっ!
食堂でぽんすけが吠えています。
「あら、誰か来たのかしら」
「まだ7時ですよ?」
葉子さんも不思議そうに、春菊を入れた竹かごを持って立ち上がりました。
「私が見てきますから、残りの春菊の収穫をお願いできますか?」
「まかせてください!」
私は葉子さんにお願いして、食堂へと戻りました。
「ぽんすけ、どうしたの?」
裏口から食堂へ入った途端、大きな人影が目の前に現れました。
「金を出せ」
突然正面から口を押さえられ、低い男性の声でそう言われました。
右手には、私の使っている包丁が握られています。
「早く出せ、出さないと・・・」
私は静かにレジの方を指差しました。
男性は私の口から手を離し、腕を掴んで包丁を突き付けながらレジの方へと向かいました。
「もう押さえていなくて良いのですか?」
「黙れ。早く金出せ」
レジの前で、私にお金を出すよう要求しますが、レジの鍵なんて普段から掛けていません。
私はお金を入れているところを開けて、三千円を渡しました。
「ふふっ。こんな田舎の食堂だもの。売り上げなんてこれくらいなの。ごめんなさいね」
もう空だと言うことを見せるため、レジの引き出しをめいっぱいに開けて見せます。
「き、金庫は!?」
その時、裏口から葉子さんが入ってくる音が聞こえました。
「春菊、みーんな収穫してきました・・・って、きゃあっ!」
男性が私に突き付けたままの包丁を見て、葉子さんが悲鳴を上げました。
「うるさいぞ!」
男性は慌てて葉子さんの方に行こうとするので、そっと腕を掴みました。
「心配しなくても、こんな時間に誰も来ませんよ。金庫は本当に無いのよ。お財布のお金でよければ持っていってちょうだい。待っててね、そこの鞄にあるの」
私は奥の部屋から鞄を持ってきて、お財布の中身の一万円を渡しました。
「ねぇ、あなた。お腹が空いてるんじゃない?頬が痩けてるわよ」
「は?あんた、こんな時に何言って・・・」
「朝ごはん用にご飯を炊くから、一緒にいかが?」
男性は、私が渡した一万三千円を握り締めて、唖然としています。
葉子さんは、こっそり食堂の柱にくくりつけられてしまっているぽんすけの紐を解いていました。
「あぁ。その包丁返してくださる?それが無いとお料理が出来ないの。これは、お客様を元気にするための大切な道具の1つなのよ。誰かを傷付ける物じゃないの」
「あ・・・あぁ」
握る力の緩んだ手から、そっと包丁を取りました。
「どうもありがとう。ストーブもついてるから、傍の席は暖かいですよ。葉子さん、お茶お願いできますか?」
「え。は、はい!お茶ね、お茶っ」
ぽんすけは店の隅で、男性の方をじっと眺めて様子を見ています。
「あ、あんた。なんでそんなに落ち着いてるんだよ。警察呼ばないのか?」
私が土鍋にお米を入れて炭を乗せたところで、彼は尋ねました。
「呼びませんよ。あなたは泥棒ではないもの」
「ど、泥棒だろ。あんたに包丁突き付けて・・・」
私は小さなお鍋にお豆腐やわかめを入れて火にかけながら、彼の言葉に笑ってしまいました。
「何が面白いんだ」
「お店の包丁を武器にしなきゃいけないなんて、そんな丸腰でやってくる泥棒は知りませんよ。私にとって今はお客様です。お金は、貴方の新しい人生に使ってくださいな」
彼はテーブルに置いた一万三千円を握りしめます。
「どうぞ。熱いので気を付けてください」
葉子さんが、湯飲みに入ったお茶を彼の前に置きました。
「春菊はお嫌いではないですか?貴方が来る前に、新鮮な春菊を収穫していたの。お鍋でもしようかと思って。お時間はあります?」
「好きでも嫌いでもない。時間なんて・・・いくらでもある」
男性がそう言うと、足元にぽんすけがやってきて彼を見上げています。
「くくりつけたりして悪かったな」
ぽんすけの頭を撫でると、嬉しそうにそのまま座り込みました。
1人用の小さな土鍋を準備します。
昆布だしをベースにして。
鶏もも肉、しいたけ、白菜、白ネギ、お豆腐、春菊。
昆布だけでなく、椎茸の旨味や白菜の甘さもプラスされた、和風の美味しいお鍋の完成です。
「おにぎりは、何の具がお好きですか?それと何とお呼びすれば良いでしょうか?」
彼は戸惑ったようすでしたが、すぐに顔を上げて少し恥ずかしそうに言いました。
「青柳です。おにぎりは昆布で・・・」
「はい。とっておきの佃煮を入れておきますね。お味噌汁ももうすぐ出来ますから、あと少し待っていてください」
「・・・はい」
葉子さんが作ってくれているお味噌汁も、もうすぐ完成。
おにぎりに手作りの昆布の佃煮を詰めて、優しく心を込めて握ります。
海苔を巻いてお皿にのせます。
小皿にぽん酢を入れて準備はばっちり。
青柳さんの前に、お料理を並べました。
「お待たせしました。昆布出汁がとっても美味しいお鍋ですよ」
私は、テーブルに置いた土鍋の蓋を開けました。
柔らかな白い湯気が立ち上ります。
ふるふるのお豆腐や、緑の鮮やかな春菊、瑞々しい白菜や、白ネギが、昆布や椎茸の出汁がたっぷり出たスープの中でぐつぐつと煮立っています。
青柳さんは、ぽん酢の小皿に鶏肉や白菜、春菊を入れて、春菊を最初に召し上がってくださいました。
「あぁ・・・すみません」
小皿とお箸を手に、青柳さんは俯き、小さく鼻をすする音が聞こえました。
静かな朝の店内に、パチパチとストーブの音と、カタカタと冬の冷たい風が窓を鳴らします。
「ゆっくりしていってくださいね」
俯いたままの青柳さんは1度頷いてから、小皿に残っている鶏肉を食べました。
「おにぎりも味噌汁も、旨いですね」
青柳さんは、お味噌汁を全て飲み、おにぎりを頬張りながら言いました。
「お味噌汁は、私の昔からのこだわりが詰め込んでありますからね。その佃煮はね、亡くなった主人のお母さんから教えてもらったんですよ」
「そうですか。うちのお袋も、出汁とった後の昆布で佃煮を作ってました。子供ながらに白飯に乗せて食べるのが大好きでした。懐かしくて、色々思い出しますね」
それから、青柳さんは静かに食事を召し上がっておられました。
葉子さんはぽんすけに朝ごはんをやりながら、その様子を眺めています。
私はそんな食堂を、キッチンの丸椅子に腰掛けて見ていました。
「ごちそうさまでした」
青柳さんが手を合わせ、私は綺麗に空になったお皿や土鍋を下げました。
「春菊がこんなに旨いなんて思ったことなかったです。と言うか、どの料理も本当に美味しかった」
「ふふっ。それは良かったわ。寒空の下で毎日一生懸命お世話しているお野菜ですもの」
私がそう言うと「大変ですね」と、青柳さんの表情が緩んで笑顔を見せてくれました。
葉子さんが淹れ直した温かいお茶を飲んで一息つきました。
「怖い思いをさせてしまい、本当にすみませんでした」
「あら、私は怖くなんて無かったですよ。こんな朝に、犬に吠えられながら丸腰でやってくるんですもの。きっと泥棒になるつもりで此処に来たんじゃないって思いましたから」
青柳さんは「ははっ。敵いませんね」と照れたように笑いました。
「さっき言ってた・・・ご主人は亡くなったんですか?」
「ええ、娘もね」
「そうでしたか・・・大変ですね。俺なんかよりずっと。そんな人にとんでもないことを・・・」
「人の悩みや苦しみに、大きいも小さいもありませんよ。辛いと思うことに程度なんてないんです」
私の言葉に「そうですね」と、小さく呟きました。
「この近くの村に神社があるんです。別れた嫁さんがその村の出身で。こどもの七五三なんかをそこでしたいって言ってたから、何となく行ってみたんです。居るわけ無いんですけどね」
剃っていない髭が生えた頬をさすりながら、ぽんすけの方を眺めます。
「今更会いたいなんて言いません。私が悪いんですからね。ずっと年下の嫁さんを貰って子供まで授かっといて、酒飲んで暴れる男から逃げるなんて当たり前です」
私は静かに話を聞いていました。
葉子さんは何か言いたげでしたが、私の様子を見て、堪えているようです。
「ただ、今年は七五三に来られたのかなって。娘と嫁さんが見た景色を見たくなっただけです。でも、そんな事をしていたら、だんだん自暴自棄になって。金もない、仕事もないで、もうどうにでもなれって思って歩いてたら、ここに来て。何を思ったのか・・・あんなことをしてしまいました」
青柳さんは残っていたお茶を一気に飲み干し、湯飲みをカタンとテーブルに置きました。
すると、床に両手両膝を突いた彼は「すみませんでした」と、土下座をしたのです。
私は席を立ち、彼の前にしゃがみこみました。
「それは、本当は私ではなく、ずっと怖い思いをさせた奥様やお子さんに言わなきゃいけない事だったのでは無いですか?」
「はい。もう連絡も取ることはできませんが・・・」
彼は頭を下げたまま、震える声で言いました。
「貴方がした事は、傷となって必ず残ります。それだけは忘れないでくださいね」
「・・・はい。本当、どうしようもないですね。仕事もクビになるんだから・・・ははっ」
青柳さんは体を起こして、目を拭いました。
「その一万三千円のお金はね、今までここに来てくださったお客様が、沢山の悩みや苦しみを感じながらも一生懸命働いて得たお金なんです。私はその大切なお金を、貴方の再出発の為に差し上げたいんです」
私がそう言うと、彼はお金を握った手を開いて見つめました。
「二度と誰かを傷付けたりしないでください。必死で努力してください。お酒で本当に大切なものを見失わないでください」
「・・・はい」
「疲れちゃったらまたいつでも食堂にいらしてください。人間も植物も、頑張るばかりでは、耐え抜くばかりではいつか壊れちゃう。栄養も光も水も必要。人がお世話をして元気に育つように、人も時には誰かとゆっくりお話をする事も必要なんです」
「ありがとう、ございます・・・」
彼は、握っていたお金の中から代金を差し出してきました。
「今日は要りません。その代わり、誰かを傷付けたりせずまっとうに生きるって約束してちょうだい。人と繋がり、相手を幸せに出来る事を考えて。そうして、元気な姿を見せに来てくださいな」
私がそう言うと、青柳さんは深々と頭を下げられました。
「ハルさん、本当にありがとうございました。これから酒も止めて頑張ります。約束します」
青柳さんは、食堂のドアを開きました。
温かい店内に、12月の冷たい空気が入ってきます。
外はすっかり太陽が昇って、土手の草も日光を浴びてキラキラと輝いています。
青柳さんは頭を下げてから、私達に背を向けて出ていこうとしました。
「青柳さん」
私の声に、彼は振り向きます。
「いつでも御待ちしておりますから」
「はい」と笑顔でもう一度軽く頭を下げてから帰っていかれました。
「酒飲んで暴れるなんて、奥さんと子供さん可哀想ですよ!本当、信じられない」
葉子さんは、少し怒りながら後片付けを手伝ってくださっています。
「そうですね。ですが、これ以上同じ事を繰り返さないように、彼は頑張らなくてはいけませんから」
娘さんの・・・千鶴ちゃんの七五三
とっても可愛らしかったですよ。
私は青柳さんの帰っていく後ろ姿を思い出しながら、その彼の背にそう言いました。
「ハルさん、こんにちは」
「久しぶりに来ちゃったわ」
橘さん夫婦や白井さん、栗原さん夫婦が見えられました。
「まぁ、寒い中ありがとうございます。今日は温かいお鍋のご用意が出来ていますよ」
私がそう言うと、皆様はとても嬉しそうに席につかれました。
「だるまストーブなんて懐かしいわねぇ」
「おにぎりは特製うめぼしで頼むよ」
食堂はあっという間に賑やかになりました。
「葉子さん、お茶をお願いします」
「はーい!」
動物や虫達も眠りにつく静かな冬の日も、食堂は明るい笑い声に包まれています。
炊きたてのご飯と、香り高い田舎味噌のお味噌汁の優しい匂い。
もうすぐ今年もおしまいです。
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