第22話 大根の煮物

煮たった米の磨ぎ汁の中で、大根が次第に透き通ってきました。


竹串がスッと通るのを確認したら、下茹ではおしまい。


今度は普通のお湯で煮ます。


沸騰したら火から下ろして洗います。


このひと手間で、ぬか臭さが抜けるんだそう。


出汁と薄口醤油、みりんとほんの少しのお塩と一緒に、柔らかくなった大根を鍋に入れます。


この時に、薄いガーゼなどで包んだ鰹節を一緒に入れておきます。


落とし蓋をして煮ていきましょう。


寒い季節だからこそ、グツグツと鍋の煮たつ音が心地よく感じます。



じっくり煮たあと、1度火から下ろして冷まします。


こうすることが、出汁の染みた煮物に繋がるのです。


冷めた頃には、真っ白だった大根も、すっかり美味しそうに色付いていますよ。


もう一度火にかけ、少し強めの火で短く煮ます。


更に味が染み込むのだそう。




煮物は熱すぎると、味がわかりにくいので、少し冷ましてから盛り付けます。


ぶ厚い大根から、じゅわっと出汁が染みだし、鰹節の香りが口いっぱいに広がる、冬ならではの煮物の完成です。


「ハルさん、佐野さんからお手紙が来てますよ!北原さんとの文通、上手く言ってるみたいですー」


煮物で使った大根の皮を切っていると、葉子さんが外から戻ってきました。


「あら、それは良かったですねぇ。北原さんも、何事もなく退院できると良いですね」


葉子さんはそう言うと、手紙を封筒に戻してから、キッチンの側にある棚に置きました。



大根に続き、にんじんも細く切ります。


「今日は何作るんですか?」


葉子さんは、いつもそうやって嬉しそうに私が料理する手元を覗きにきます。


「大根の煮物と、大根の皮を使ったきんぴらです。大根の皮は厚く剥いてあるので、歯応えもあって美味しいんですよ」


「はぁー!すっかり冬メニューですねぇ。大根美味しそう・・・」


大根の鍋を見て、葉子さんが言いました。


「味見と言うことで、食べますか?」


私の言葉を待ってましたと言わんばかりに、足早にお皿を取りに行きました。


「ふふふっ。葉子さんはいつも美味しそうに食べてくれるから、私も嬉しいですよ」


柔らかい大根にお箸を入れた葉子さんに言いました。


「だって美味しいんですもん!いただきまーす!」


そう言って、大根を口に入れた時でした。



「こんにちは、ハルさん」


店の扉が開いて、入ってきたのは木ノ下 拓海さん。


以前、街へ行くときに利用した駅の、若い駅員さんです。


「あら、いらっしゃい。来てくださったんですね、ありがとうございます」


口が大根でいっぱいの葉子さんに代わって、木ノ下さんを出迎えます。


「晴れてるのに寒くて寒くて・・・余計に体力使った気がします。お腹減っちゃいました、あはは!」


もうすぐ12時。


「さ、どうぞ。お料理の準備を致しますから、その間ストーブで身体を暖めていてくださいな」


木ノ下さんを、席にご案内しました。


その足元を、ぽんすけも着いてきます。


「あら、ごめんなさいね。お食事の時には離しますから・・・」


「いえ、大丈夫ですよ。僕も実家に犬がいるので大好きなんです。ほら、おいで。一緒に暖まるか?」


だるまストーブで暖まる木ノ下さんの元に、ぽんすけもすり寄っていきます。


「木ノ下さん、おにぎりの具は何が宜しいですか?おかずもお好きなものをお作りしますよ」


私がそう言うと、木ノ下さんはぽんすけを撫でながら言いました。


「前に鮭とおかかのおにぎりを頂いたので、梅干しにしてみようかな?おかずは、おすすめが食べたいです」


それから彼は、葉子さんがお出しした温かいお茶を飲みながら、ぽんすけと遊んでいらっしゃいました。


ジューッとフライパンに垂らした砂糖醤油が音を上げます。


さっと絡めて、大根の皮のきんぴらが完成。


小鉢に移して、別のお皿には大根の煮物を盛り付けます。


葉子さんに、出来立てのお味噌汁をお椀によそってもらう間に、私はおにぎりを作りましょう。


土鍋の蓋を開けると、炭を乗せて炊いたご飯が、もわっと白い湯気と、お米の甘い匂いを立たせました。


自家製の梅干しをほぐして、炊きたてご飯に詰めて握ります。


完成したお料理を、木ノ下さんの席にお運びしました。


「いただきまーす!大根の煮物ですか」


私はキッチンに戻り、葉子さんと後片付けをしながら、食事風景を眺めていました。


「美味しいですねぇ。きんぴらも、母親を思い出します」


「あら、それは嬉しいですね」


洗いものをして濡れた手を拭きながら言いました。


「実家、たまには顔出さないとなぁ」


木ノ下さんはお味噌汁を飲んで、おにぎりにかぶりつきました。


男性が口いっぱいに頬張る姿も、とても嬉しいものです。


「暫く帰ってらっしゃらないんですかー?」


葉子さんが食器を拭きながら尋ねました。


「えぇ、こっちに就職してからずっと。ちょっと懐かしくなりました」


木ノ下さんは「はははっ」と照れたように笑っています。


その時、もう1人お客様がやってきました。


「こんにちは、ハルさん今いいかな?」


栗原さんの旦那様です。


「いらっしゃいませ。お一人ですか?」


私が出迎えると「うーん。頼みがあるんだが・・・」と、浮かない表情で顎をさすりながら言いました。


「弁当を作ってくれんかな?ほら、白井さんとこにも作ってやったみたいな・・・」


「えぇ、構いませんよ」


「そうかそうか!いやぁ、良かった。そこのお客さんと同じおかずで構わんから頼む」


旦那様はとても嬉しそうにそう言うと、木ノ下さんの隣のテーブル席に腰かけました。


「こんにちは」


木ノ下さんがそう言うと、栗原さんはいつものように愛想よく「あぁ、どうも。こんにちは」と仰られました。


「栗原さん、お茶どうぞ。最近、寒くなりましたよねぇ。朝晩も冷え込んじゃって」


葉子さんがそう言って、湯飲みに入った温かいお茶と、ひとくちサイズのお饅頭をお出ししました。


「あぁ、ありがとう。そうなんだよ、それで母さんも風邪を引いてしまってね」


栗原さんは、お茶に息を吹き掛けてからゆっくりと飲みながら言いました。


「まぁ、大丈夫なのですか?」


私は、お弁当箱にお料理を詰めながら言います。


「随分良くなったんだがね。わしもお粥は何とか作れたんだが・・・もう普通の物も食べて、体力付けなきゃいかんと思ってな」


「そうでしたか・・・。温かいお味噌汁も水筒に入れておきますね」


私は、水筒にお味噌汁を注ぎました。


「すまんね。まどかは仕事が忙しいらしくて帰ってこれんし。助かったよ」


栗原さんは「ありがとう」と言い、お饅頭を食べながらお茶を飲んでいらっしゃいました。


「お孫さんは時々会いにいらっしゃるんですか?」


丁度、お食事を終えた木ノ下さんが栗原さんに尋ねました。


「あぁ、遊びに来てくれるよ。街の方に独り暮らしを始めてからは、ちょくちょくね。娘は遠くに住んでるが、電話は毎日かけてきてくれるよ。年寄り夫婦だから心配しとるんだろうね」


「優しい娘さんとお孫さんですね。僕も見習わなくちゃいけないな」


「おや、君は帰っていないのか?会いに行ってやったら、ご両親も喜ぶよ。年寄り夫婦で静かに暮らしていると、子供が一緒に住んでいた頃の賑やかな家を思い出すんだよ。あー、楽しかったなぁってね」


栗原さんは、遠い過去を懐かしむようにして話されました。


「そう・・・ですか。僕、今の仕事に就くの、父親は望んでいなかったんです。実家は瓦屋で、根っからの職人気質で。無理矢理、家を出て来たんですよね」


木ノ下さんは、そう言ってお茶を一口のんで息をつきました。


「母親も、こんな辺ぴな場所じゃ嫁も貰えないんじゃないかと心配してるみたいです」


困ったようにそう言って笑っておられます。


「だが、今の仕事に就きたかったんだろう?当時は親父さんも止めたかもしれんが、今、君がそうして仕事を続けているのだから納得していると思うよ」


栗原さんは、彼に優しく言いました。


「何年離れていようが、言葉を交わしていなかろうが、親子だし、家族なんだよ。喧嘩をしたって、心の底から嫌いになるわけがない。それに、親もいつまでも生きている訳じゃない。会える時に、元気な姿を見せておやり」


栗原さんが諭すようにそう言うと、木ノ下さんは何かを考え込むように黙り混んでしまいました。


「栗原さん、お弁当出来ましたよ」


お弁当とお味噌汁の入った水筒を袋に入れて、栗原さんにお渡ししました。


「ありがとう。母さんも喜ぶよ」


「また、ご夫婦揃っていらしてくださいね」


「あぁ、必ず連れてくるよ。よいしょっと」


栗原さんは席を立ち、玄関の方へ2・3歩進んだ所で、木ノ下さんの方を振り返りました。


「そんな難しく考えなくて良いんだよ。『ただいま』って言えば良い。君の気持ちは、それだけでもきちんと伝わるよ」


そう言って、玄関の方に歩いていかれました。


「あの!」


木ノ下さんが、がたんと音を立てて立ち上がり、栗原さんの背中に向かって頭を下げました。


「ありがとうございます。次の休みに、両親の元へ帰ってみようと思います」


「はははっ。そうかい。うんうん、きっと喜ぶよ。じゃ、母さんが待ってるから失礼するよ」


そうして、栗原さんは店を出ていかれました。


栗原さんが帰られた後、木ノ下さんのお食事が済んだ食器を下げます。


木ノ下さんは、最初にご両親のお話をされた時よりもずっとスッキリとした表情をしておられます。


「いやー、ここは良いお店ですね。お料理は美味しいし、お客さんまで良い人だなんて」


コートに袖を通しながら、木ノ下さんは仰いました。


「えぇ。ここにいらっしゃる方は、皆様優しい方ばかりですよ。木ノ下さんも同じです」


私がそう言うと、木ノ下さんは照れたように「あははっ!僕なんて全然ですよ」と仰いました。


木ノ下さんは帰る前に、ぽんすけと遊んでくださってから帰っていかれました。


「このきんぴら、おいしーい!」


静かになった店内に、葉子さんの大きな声が響き、ぽんすけも驚いています。


「木ノ下さん、ご両親に会いに行く決心がついて良かったですねー。私も母が死んでから、もっと会いに行けばよかったなぁって後悔しましたから」


そう言って、ポリポリと歯応えの良いきんぴらを召し上がっています。


「そうですね。それに栗原さんが仰った、子供が居る賑やかな家が懐かしくなるというのも、とても共感しました」


「あー。私の母もそうだったのかなぁ」


きんぴらを食べる葉子さんを、私はぽんすけの相手をしながら見ています。


「そうだ。明日も美味しいお料理が出来るように、後で畑のお世話をしに行きましょうか。寒いのであたたかくしてくださいね」


そう言って私は立ち上がり、奥の部屋に入ってコートを取りに行きました。


食堂の方から「ひぇー!せっかく暖まったのに!」と、葉子さんの悲鳴が聞こえ、思わず1人で笑ってしまいました。


窓の外に見える、楓の木はすっかり紅く色付き、11月の終わりの冷たい風にゆらゆらと揺れています。


楓はカエルの手とも言われるのだそう。


冬の空に向かって、うんと手を伸ばしているようにも見えますね。


夏の間はあんなに元気だった虫や、秋の間は優しく涼しげな声を聴かせてくれていた虫達も、今はすっかり静かになりました。


普段も静かな場所ですが、冬になり、澄んだ空気に包まれると凜とした雰囲気です。


温かいお料理と、大切な友人、家族。


そんな中で過ごす事ができたら、とても幸せですね。


おにぎり食堂そよかぜが、皆様にとって心休まる場所でいられるように、丹精込めて育てているお野菜を、今日もお世話することに致します。

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