第5話 夏の始まり
田植えが終わり、チー・・・ジー・・・とニィニィゼミが鳴き始めました。
ようやく長い梅雨を抜けて、夏の始まりです。
夏は冬瓜やトマト、きゅうり、茄子など、沢山の野菜を収穫することができます。
本日は立派な茄子が採れたので、揚げ茄子のひんやり煮浸しでも作りましょうか。
窓や入り口を開けていると、暖かい風と共に、ジーッと鳴くセミの声が入ってきます。
7時のまだ涼しい時間帯なので、ぽんすけは丸まって、日向ぼっこをしています。
さっき起きたのに、うつらうつらとしているなんて 本当にのんびり屋さんですね。
さて、今日はさっき採ってきたばかりの、艶のある茄子を揚げて、煮浸しにしようと思います。
茄子は、縦半分に切り、皮に切り込みを入れて塩水に浸けておきます。
揚げた時に、油を吸いすぎない様にするためです。
水分を拭き取り、サッとす揚げにします。
出汁とお醤油とみりんを熱した鍋に、温かいうちに茄子を浸し、生姜汁を入れます。
このお出汁に揚げた茄子の油が適度に溶け込み、食べた時に一緒にじゅわっと口の中に広がるのです。
数時間冷やしておき、たっぷりのネギと大根おろしをかけて食べるのが美味しいかと思います。
ご飯も炊けましたし、お味噌汁も、キュウリの浅漬けも作りましたので、ぽんすけと一緒にひなたぼっこをさせてもらうことにします。
「おーい、ハルさんや」
夢の中まで聞こえた声で目を覚ますと、栗原さんのおじいさんが、野菜を積んだ台車を傍に置いて、私と隣で眠るぽんすけを眺めていました。
「ハルさん。いくら昼間で暖かいからって、外で寝てちゃ風邪引くよ。あんたは犬じゃないんだから。あとほら、店で使えるかと思って持ってきたんだが」
そう言って、野菜を指差しています。
「まぁ!どれくらい頂いて良いのですか?」
「好きなだけやるよ。冷蔵庫に入る分貰ってくれたらええよ」
なんと素敵な事ですか。
夫婦二人で食べるには余ってしまうからと仰います。
「わしの野菜が店で役に立つなら、それだけでやり甲斐に繋がるんじゃよ」
大きく真っ赤なトマトも夏にはぴったり。
葉物野菜なんかも色んなお料理に使えます。
店の中から、大きなかごを出してきて、沢山の新鮮野菜を入れていきました。
「栗原さん、お時間があればお昼ごはん食べていきませんか?」
いつも色々頂いているお礼も兼ねて。
「じゃあ1度帰って、母さんも呼んできて良いかな」
「勿論です。御待ちしております」
そうして栗原さんは台車を押して村の方へ戻っていき、私は店に戻りました。
「素敵なお店ねぇ」
栗原さんご夫婦が戻ってきました。
「どうぞ。当店自慢のおにぎり定食です」
自家製梅干しのおにぎり2つ。
ひんやり冷えた揚げ茄子の煮浸しは、ネギと大根おろしを乗せて。
こだわりの田舎味噌のお味噌汁。
後は、先日奥さまから頂いていた新生姜を甘酢漬けにしたので、それもお出ししました。
「ほう。これは旨い」
「まどかが言ってた通りね。本当に美味しいわ」
ふたりは大層褒めてくださり、新生姜は「あげた甲斐があるわ」と、喜んでいました。
「ハルさんはどうしてこんな田舎でお店をやっているの?」
「都会は寧ろ、こういうシンプルな料理が人気出そうな気がするが」
「私はお客様が毎日来なくても、ここでお店をやりたいと思ってるんですよ」
「ほぅ」とおじいさんが不思議そうに、顎を触りながら声を漏らします。
「人との出会いは縁ですから。こんな何も無いところに辿り着く人なんて、それこそ運命みたいでしょう?そういう人達との出会いを楽しんでるんですよ」
ご夫婦は静かに話を聞いています。
「それに、私は器用ではありませんから、あまり沢山のお客様が出入りされると、一人一人の美味しい笑顔を感じられなくなるので、これが丁度良いんです」
思いがけずして、ぽんすけと言う仕事のパートナーとも出会えて、今日の様に気ままに外で一緒に昼寝するなんて、都会では流石に出来ないでしょう。
「素敵なこだわりだと思うわ。それに、お店の中の日当たりも良いし、風がとても気持ちいいもの」
奥さんが店を見渡して言います。
「確かにこんな静かで暖かい風は、あまり騒がしい所では無いでしょうな」
ここは自然の多い場所ですから、風に乗って木や草花の独特な香りも入り込んできます。
季節によって変わる虫の声も、ここではどんなクラシックにも勝ると、私は勝手に思っています。
「来てくださって、ありがとうございました」
ぽんすけと共に栗原さん夫婦をお店の前でお見送りしました。
「お父さんと一緒にまた来ますよ。お父さんも、私を放って1人で来ちゃズルいですからね」
「わかっとるよ」と、旦那様は笑い、ご夫婦は村の方にゆっくりと歩いていかれました。
少し離れたところで1度振り返り、丁寧にお辞儀をされ、そうしてお二人はゆっくりと足並みを揃えるようにして帰っていかれました。
ぽんすけも私の足元にお座りしてお見送りしています。
そんなぽんすけに「お散歩いこうか」と声をかけると、嬉しそうに跳び跳ねるようにしてくるくると回っています。
3時前。セミもまだまだ元気に鳴いています。
私は、ぽんすけのリードを握り、田舎道を歩きます。
右にはずっと遠くまで続く広い大きな田んぼ。
田植えが終わり、新しい稲たちが整列するかのように並んでいます。
これからこの稲たちが大きく育ち、さわさわと波打つ様に風に揺れる姿を見られるかと思うと、ワクワクします。
左側は土手があります。
この土手の反対側は川になっているので、6月頃には蛍がわっと湧くようにして飛び交うのです。
この辺りは電線も少ないため、空を遮るものがなく、青い空と夏雲がとても大きく見え、気持ちが良いものです。
夕方には辺りが朱色に染まり、それはそれは美しいのですよ。
私とぽんすけは、蝉の鳴き声を聞きながら夏を感じて、お散歩しました。
ふわっと吹いた風に、被っていた麦わら帽子が飛びそうになったのを抑えたとき、道の向こうの方から歩いてくる1人の女性が目に止まりました。
ぽんすけは道の脇に生えた草花に興味津々でその場を離れようとしないので、一緒にしゃがみこんでその場から見ていました。
女性は私たちに気が付くと、ピタリと歩くのを止め、こちらをじっと見ています。
「あら、固まっちゃったわ」
ぽんすけを撫でながらそう呟くと、突然女性がこちらに向かって走り出しました。
「あ・・・あの!今晩泊めてもらえませんか?!」
女性は息を切らしてそう言いました。
彼女の名は、松本葉子さん。
40代半ばくらいかと思います。
リュックをひとつ背負った葉子さんは、私より背の大きい女性でした。
次のお話は、この女性とのお話です。
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