第6話 ほおずき

夏は野菜がとても美味しい季節です。


真っ赤な瑞々しいトマトは、冷やして切るだけ。


苦手な方も多いと聞きますが、私は大好きです


「ハルさーん!見てくださいよ、これ!」


朝8時。


朝早くから、散歩に出ていた松本葉子さんが戻ってきました。


「あら、ほおずきですか?」


「はい!村の方が分けてくださいました!」


「綺麗ですね、夏らしくて素敵です」


「お店に飾って良いですか?」


「えぇ、勿論」


葉子さんは、ニコニコと奥の部屋から陶器の花瓶を持って来て窓際に置き、ほおずきを飾り始めました。


彼女は昨日、うちにやって来ました。


「良いにおーい。何作ってるんですか?」


ほおずきを飾り終えた葉子さんが、キッチンに入ってきました。


「冬瓜の挽き肉あんかけですよ。このままでも美味しいですけど、冷やしても美味しいんです」


先日、栗原さんに頂いた冬瓜です。


冬瓜を茹でて、ごま油で挽き肉を炒めます。

お醤油、みりん、水、お酒を加え、仕上げにおろし生姜を入れて、片栗粉でとろみを付けます。


生姜とごま油の風味と、優しい味付けが、とろみのお陰で柔らかく煮た冬瓜と挽き肉に絡んで美味しいのです。


あとは、冷やしトマトもご用意しております。


「美味しそうですねぇ・・・」


葉子さんは、とろとろの餡がクツクツする鍋の中をジーッと覗き込みます。


「味見しますか?」


「良いんですか!?」


待ってましたと言わんばかりに、食器棚から小皿を出して来たのには笑ってしまいました。


ふーふーっと、まだ熱々のトロミの付いた餡を冷まし、一口ぱくり。


「んー!美味しい!何か懐かしい味がしますーっ!」


そう言うと、味見のはずなのに結局3杯もお代わりしました。


「結婚して妻になると、自分のお母さんのご飯って食べる機会が無くなりますから・・・凄く懐かしくなりました」


葉子さんは小皿を洗って、椅子に腰掛けます。


「昨日のご飯も、本当に美味しかったんですよね。茄子の煮浸しも、きゅうりの浅漬けも。良い香りのお味噌汁も、ふっくらしたおにぎりも。何だか、お母さんのご飯って感じがします。懐かしくて、色々思い出しちゃうような」


お母さんのご飯って、私は特別な物だと思っていますから、それに似てると言われるほど嬉しい事はありません。


「ハルさんは、人柄も雰囲気もだけど、お料理もとても優しくて。本当にお母さんって感じで・・・」


店の入り口に座っているぽんすけの方を見ながら話していた葉子さんは、ふと上を向いて目を擦りました。


「何か・・・母はもう亡くなってて頼りたくても居なくて。寂しくて。子供も居ないし、旦那はあんなだし・・・」


私は、言葉を詰まらせながら話す葉子さんの隣に座ります。


「独りぼっちになった気がして。家を飛び出して来て・・・適当に電車乗って、適当に歩いてたらハルさんが居て・・・ハルさんとぽんすけに会えて良かった」


手で顔を覆う葉子さんの背中を、そっと撫でると「ありがとうございます」と声をふるわせました。


静かな店内に、蝉の鳴き声と、ぽんすけが身体をぶるぶると振る音が響いていました。


「ハルさん、ほおずきの花言葉って知ってます?」


落ち着いた葉子さんは、先程飾ったほおずきを眺めながら、私に言いました。


「さぁ。私はあまり詳しくないですから」


本当は知っていますが、あまり良い言葉が無いので、知らないことにしておきました。


「浮気とか、見た目はあんななのに中身が無いから偽りとか誤魔化しとかって言うそうですよ」


「そうなんですか。でも夕焼けみたいな色で綺麗なので、私は好きですよ」


「うん。綺麗ですよね。でも花言葉を知っちゃうと、私と旦那みたいだなって思っちゃって」


あははっと笑う葉子さんの表情は、明らかに無理をしています。


「旦那はね、医者なんです。お見合いで結婚して、大きな家を建てて。玉の輿で、羨ましがられる事もありました」


話始めた葉子さんの前に、麦茶の入ったグラスをそっと置き、私も腰掛けました。


「でも、私は中々子供を授かれなくて。早くに結婚したのに、あっという間に40代。私も焦って、精神的にも不安定な所があったんだと思います。夫婦喧嘩も絶えなくなりました。そしたらね、主人が浮気したんです。それも、何度も何度も」


葉子さんは、心を落ち着かせるかの様に、冷たい麦茶を一気に飲みました。


「ほおずきと同じなんですよ。私も周りに悟られたくないから、見栄を張って高い服を着たり、お金持ちらしく振る舞いました。嘘でも、私は幸せだと言って歩きました。でも実際は中身は空っぽ。夫婦関係なんかとっくに破綻してるんです」


葉子さんの様子に気が付いたのか、ぽんすけがやって来て、葉子さんの足に身体を擦り付けて来ました。


「慰めてくれるの?」


葉子さんはぽんすけの身体を撫でました。


「まぁ・・・それでまた浮気が発覚して大喧嘩。耐えられなくなって家を飛び出して来たんです」


ぽんすけは葉子さんの手の甲をペロペロと舐めています。


「うちは幾らでも居ていただいて構わないですよ」


「本当ですか?助かります」


葉子さんはようやく笑顔になりました。


「でも、大切な事を放り出したままだと、誰も幸せになれません。きちんと片付けをしないと、次には進めないと思います。ご主人は確かに悪いですが、飛び出して来たままだと、葉子さんの中にわだかまりが残ります」


「ハルさん・・・」


「葉子さんもよく考えて、ご主人とお話された方が良いのでは無いですか?」


葉子さんは落ち込んで、また下を向いてしまいました。


「でもね。葉子さんがきちんとやり遂げた後、行く宛が無いなら、いつでも帰ってきてください。その時はまた、お料理を作って待っていますよ」


そう言うと、葉子さんは顔を上げてくださいました。


「・・・ありがとうございます!」


そう言うと、足早に2階に上がり、暫くしてリュックを掴んで戻ってきました。


「1度帰ります。けじめ付けて帰ってきます!」


戦場に向かう戦士が宣言するかのように、大きな声で言いました。


「はい。でも、話しているうちに気が変わったら、無理にここへ戻ろうとしないでくださいね」


「はい!まぁ、変わらないと思いますが」


はははっと笑うと、リュックを豪快に背負い、玄関を出ました。


「では!行って参ります!ハルさん、本当にありがとうございました!」


ぶんぶんと手を振り、来たときとは明らかに違う、力強い足取りで帰っていかれました。



「おや、お客さんだったのか?」


葉子さんの背中を見送っていると、後ろからやって来たのは栗原さん夫婦と、ご近所に住む橘さんご夫婦でした。


「あら!お客さんを連れてきてくださったのですね」


私が喜ぶと、栗原さんは胸を張って「わしの畑の野菜を皆にも食ってもらわんといかんからな」と、仰いました。


「そうですね。先日頂いた冬瓜と、トマトをご用意しておりますよ。どうぞこちらへ」


「まぁ、楽しみね!今年も良いのが採れたもの。きっと美味しいわ」


案内する私の後ろで、栗原さんの奥様と橘さんご夫婦がワクワクしています。


窓際では、葉子さんが飾ってくださった鬼灯が太陽の光を浴びて、鮮やかなオレンジを輝かせていました。


ほおずきの花言葉は「自然美」というものもあるそうです。


葉子さんが、自然体で、心から笑って穏やかに過ごせる日が来ることを願います。

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