第26話
今日の規理乃ちゃんは少し様子がおかしかった。
授業中、窓の方に顔を向けているのはいつも通りだけど、それは窓の外を見ているというより、どこか上の空に見えた。
放課後は教室に残る。
規理乃ちゃんは鞄から紙を取り出し、それを机の上に広げた。
僕の席からははっきり見えないけれど、赤いペンで書かれたらしい不規則な線が交錯していた。
彼女は頬杖をついて、それをじっと見つめている。
「規理乃ちゃん?」
僕は声を掛け、彼女の机の前に立った。
机の上に広げられていたのは、地形図だった。
「それ、規理乃ちゃんの?」
「ええ」
「地形図、読めるの?」
訊くまでもなく、その地形図が規理乃ちゃんのものであると判った時点で、読めることは明白だった。
赤い線は彼女が歩いた跡。
それは地形図に記された「道」以外の場所にも記されている。
地形図にも載っていない道、あるいは道ですら無い場所を歩いたときに、実際の地形と地形図が読めないことには、歩いたルートを記すことなど出来ない。
そして僕の見る限り、根古畑にある地図に載っていない道の部分は、正確に赤い線でトレースされていた。
集落周辺は、ほぼ網羅されていると言っていい。
しかも赤い線だけでなく、細かい文字であらゆる情報が書き込まれている。
道が不明瞭であるとか、杉の大木、だとか、廃屋、農機具小屋、などなど。
いったい、ここまでして何を? と少し衝撃を受ける。
彼女は何を探しているのか、何を求めているのか。
どうしてその地形図は、まるで僕のものと同じように赤い線を交錯させているのか。
赤い線と同じように、何かが脳裏で交錯する。
何かが、僕の中で重なろうとする。
でも、まさか。
「……澄埜ちゃん?」
「!?」
規理乃ちゃんが、鬼気迫るほどの視線で僕を見上げた。
「いま、なんて?」
「まさか、澄埜ちゃんを……探してる?」
僕の声は少し震えた。
ガタン、と大きな音を立てて規理乃ちゃんが立ち上がる。
「あなた、姉を知ってるの!? どうして私が探してるって判ったの!?」
身を乗り出して僕の肩を掴み、強く揺さぶる。
その強さはたぶん、僕が心に受けたものと同じだ。
規理乃ちゃんは『姉』と言った。
規理乃ちゃんが、澄埜ちゃんの妹──
っ!!
突然、以前に澄埜ちゃんと交わした数々の会話が甦る。
『良太君は、私の妹と同い歳だね』
確かにそんな言葉を聞いた記憶がある。
『あの子は不器用だけど、良太君となら仲良くなれそう』
ああ……。
『良二君とは、言い争っちゃうかも』
ああ……たくさんの優しい声が、僕の耳の奥で奏でられる。
ああ、そうなんだ、どこかに重なるようなその雰囲気や既視感。
僕の中にある何者にも侵させない領域を、奪うのでなく、まるで包み込んでしまいそうになる存在感。
それは規理乃ちゃんが、焦がれて止まなかったあの人の妹だったからなんだ。
「ねえ! どうして黙ってるの!?」
長く綺麗な黒髪を揺らして僕に詰め寄る規理乃ちゃんは、怒っているようにも、懇願しているようにも見えた。
僕は鞄の中から、一枚の地形図を出した。
机の上にそれを広げると、規理乃ちゃんは目を見開いた。
より広く、より複雑に交錯する赤い線。
「まさか……あなたも?」
いつもはよく通る規理乃ちゃんの声が掠れる。
僕は頷く。
澄埜ちゃんがいなくなってから二年間、僕はずっと、ずっと彼女を探してきたんだ。
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