第25話

学校の前を通り過ぎ、五分ほども歩けば雛の家が見えてくる。

根古畑でも高い場所に位置し、見晴らしがいい。

そこを最後に民家は無くなり、田畑だけになる。

道は未舗装の農道に変わるが、更に進めば山へと入っていき、林道といった趣になる。

その辺り、山と田畑の境界付近にゲートがある。

害獣が山から田畑へと降りてくるのを阻止するためのもので、鍵がかかっているわけではないので奥へと進むのに問題は無い。

やがて右側の山中に続く山道が現れる。

現れると言っても、注意して歩いていないと気付かないものだし、気付いたところで誰も気にも留めないような道だ。

ここには山からの害獣を防ぐための電気柵があるので、プラスチック製のハンドルを握って電気の通ったワイヤーを外す。

通過した後は元に戻すが、昼間は電気を流していないかも知れない。

まあ、触って確認する気にはなれないが。


薄暗い杉林の中を進むと、『私有地につき立入禁止』と書かれた看板が見えてくる。

実際、この辺りは雛の家の持山だし、私有地には違いないのだが、俺が気にする必要は無いのでそのまま進む。

林道入り口のゲート、判り難い山道の入り口、電気柵、立入禁止の看板。

これだけの関門を潜り抜けて先へと進む余所者がいるとは思えない。

もちろん、これらは意図的にそうされているのだ。


やがて道は急傾斜になり、俺は時おり足を止めて呼吸を整えた。

汗が滴るが、風は流れてくれない。

人工林とも呼ばれる杉や檜の植林された森は、空気が澱んでいるような気がして好きになれない。

風景も単調で、山の中にいるのに緑に飢えるような思いがする。

峠を越えるところに、最後の立て看板がある。

『禁足地につき、関係者以外の立入を禁ず』とある。

ここまで来て、この看板に意味があるのかは疑問だが、確かにここからは空気も風景も一変する。

緩やかな下り坂になり、周囲の木々は太さを増していく。

スダジイ、タブノキなどの照葉樹を中心とした森になるが、天然の杉もあって、天を衝く高さで聳えている。


道が谷川に出逢い、その流れに沿って上流に向かうとカツラの巨木が谷間に点在し出す。

異形とも言えるその姿は見る者を圧倒する。

深い、原始の森だ。

ただ、一本一本の木が大きく、それぞれがテリトリーのようなものを持っているからか、密林では無いし、枝の位置も高いので、森の中は意外と明るい。


俺は流れの傍に腰を下ろし、頭上を見上げた。

鳥の囀りが降り注いでくる。

照葉樹の濃密な緑と、落葉樹の滴るような緑が混在して、空を濃淡で染める。

樹齢数百年の木はザラで、千年を超えるものも少なくない。

根古畑が、ずっと守り通してきた神域だ。

世に知られれば天然記念物指定は間違いないだろうし、何らかの保護対策が取られるだろうが、保護と破壊は紙一重と言える。

誰にも知られず、誰も訪れない今の形が、ここを守っていく上で最良の手段であろう。


俺は谷川の水で喉を潤すと、更に上流に向かって歩き出した。

流れは穏やかで、道も歩きやすい。

こういった原生林は植生が安定しているので、滅多に人が歩かなくても、道が藪に覆われるようなことは無い。

周囲の地形がやや険しくなって、低い岩壁が所々に立つようになると、右手の斜面に、門番のように聳える二本の老杉が見えてくる。

それはもはや、杉という概念を超えた姿で、樹形も、樹皮も、千年以上の時を刻み込んで圧倒的な存在感を放っている。

そしてその奥に、それはある。

岩の裂け目、暗い切り口。

禁足地の、いや、根古畑の信仰の中心地、神の宿る洞窟だ。


二本の杉には注連縄が渡されている。

鳥居と同じ意味を持つそれをくぐり、俺は洞窟の前に立つ。

奥行きは二十メートルほど、最奥部は広くなっており、祭壇のような岩と祠がある。

通路の右側は深い裂け目が闇を湛えていて、足を滑らせれば、いったいどこまで落ちていくのか判らない。

……澄埜は、ここで眠っているのだろうか。

澄埜がいなくなって、根古畑の人間が総出で探し回って、見つかったのは、ここに落ちていた麦わら帽子だけ。

それは、良太が澄埜にあげたものだった。

捜索には根古畑以外の人間も当然加わったが、禁足地に限っては、根古畑出身である駐在所員と、勝部署から派遣された警官も根古畑出身者が選ばれた。

これは、現地の地形に詳しく、二次遭難を防ぐため、という建前で簡単に受け入れられた。

だから、禁足地の存在は外部に漏れなかった。

つまりそれは、麦わら帽子の発見も揉み消されたということだ。

澄埜は、今も行方不明扱いのままだった。


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