第3話
昇降口で規理乃ちゃんに追いつく。
べつに僕を待っていてくれたわけではないようで、何故か彼女は出口の方を見て立ち尽くしていた。
──犬?
尻尾をパタパタと振っている。
規理乃ちゃんは固まったようにその犬を見ているから、もしかしたら犬が苦手なのかも知れない。
その犬は──というか、僕が飼っているゴローという犬だけど──校舎には入らずにギリギリのところで踏み止まりながら、ヨロコビを全身に表している。
「どうして、あの子は入ってこないの?」
犬が苦手というわけではないのかな?
規理乃ちゃんの目はキラキラ輝いているようにも見えるし。
「校舎内には入らないように言い聞かせているから」
「あなたが飼っている犬なの!?」
何だか規理乃ちゃんらしくない昂ぶり。
僕はコクコクと頷く。
「名前は!?」
「ゴローだけど」
「五郎? 何匹飼っているの?」
「五匹だけど……」
「……まさか、太郎から五郎っていう安直なネーミングじゃないわよね?」
「そのまさかだったりするけど……」
正確に発音するなら、タロウ、ジロー、サブロウ、シロ、ゴローだ。
いちばん大きくて、温和で皆のお母さん的な存在のタロウ。
僕とお祖父ちゃん、そしてあの人以外には絶対に懐かず、気性の荒いジロー。
おとなしくて存在感が薄いけど、気配りが出来て遠慮がちなサブロウ。
ちょっと生意気で、いつも先頭を歩きたがる真っ白なシロ。
誰より人懐っこくて、甘えたがりで小型犬のゴロー。
みんな、僕の家族で宝物だ。
規理乃ちゃんがゴローの傍に歩み寄ってしゃがむ。
ゴローはその膝に前脚を乗せてヨロコビを露わにする。
あれ? もともと人懐っこいゴローだけど、いつもよりその表現が過大なような?
規理乃ちゃんの横顔は、柔らかくて優しい。
──そうか、規理乃ちゃんだからか。
規理乃ちゃんはきっと、動物が大好きなんだろう。
初めて見る笑顔は、僕が夢想したことのあるそれと同じで、ゴローじゃなくても、駆け寄って嬉しさを表したいくらいに素敵なものだ。
「規理乃ちゃんも犬を飼ってるの?」
犬との接し方に慣れを感じたので訊ねてみる。
「ええ。実家にね」
規理乃ちゃんが寮暮らしであることを思い出す。
根古畑は僻地だ。
この学園の生徒数は全学年でたったの二十七人。
それでいて、中心集落からも離れた谷奥や、峠を越えた山間にも小さな集落があって、通学が困難な子供も居る。
そんな子供達のために創立当初から寮があるけれど、最近は親に車で送り迎えしてもらう子も居て、昔に比べれば寮の利用者は減っているようだ。
確か今現在、寮の利用者は僅か三人だった筈。
規理乃ちゃんはそのうちの一人だ。
木造の校舎以上に、くたびれて、暗く心許無い建物に、どこか高貴な気配を湛える規理乃ちゃんが暮らしているのは不思議な気もする。
「犬が好きなのに、飼い犬を置いてまで、こんなところで暮らそうとしたのは何故?」
素直な疑問。
でも、そうであっても、まだ彼女に踏み込んではいけないのだろうか。
せっかく柔らかくなっていた規理乃ちゃんの表情が、不意に険しくなった。
もっと、間合いを計るように、思慮深く言葉を選ぶべきだった。
「あなたに関係無いでしょう?」
突き放す冷たい声。
ゴローがちょっと驚いて、戸惑うような顔をする。
誰より人懐っこいけれど、誰より人の心の動きに敏感で、時に臆病すぎるほどの怯えを見せる。
「ごめん! ごめんね? あなたに言ったんじゃないのよ?」
規理乃ちゃんはゴローの変化にすぐに気付いて、その頭を撫でた。
規理乃ちゃんもまた、心の動きに敏感なのだろうか。
「ほら、あなたもそんな顔しないで。飼い主がそんな顔してると、私が悪者だって認識されちゃうじゃない」
僕は笑った。
規理乃ちゃんに言われたからって、無理に笑ったわけじゃない。
表情を隠すのが得意なはずの僕の僅かな変化を、規理乃ちゃんが当たり前のように読み取ったのが嬉しかったからだし、普段は見せない慌てたような様子が可愛らしかったからだ。
「ほら、ご主人様のところに行きなさい」
規理乃ちゃんに促されて、ゴローが僕に飛びついてくる。
「じゃあ、私は帰るわね」
自分の時よりもヨロコビを露わにするゴローを、どこか寂しげな表情で見て規理乃ちゃんは立ち上がる。
「タロウ達にも逢いに来て!」
より慎重にならなきゃと思ったばかりなのに、咄嗟にそんなことを言ってしまう。
規理乃ちゃんは振り返りもせずに寮へと歩いていく。
でも、どこか軽やかな足取りに見えたから、僕はゴローと顔を見合わせて笑顔になった。
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