第5話 楽な子育てを目指す

 学校へ行かないのですから、我が子とはかなり話が出来ると思います。


 「目は口ほどにモノを言う」という言葉がありますが、かつて、我が子がそれを実践してきたことがありました。目でモノを言うという行動に出るわけですね。


 しかし、いくら血が繋がっているとは言え、目を見るだけで我が子が何を言いたいかを理解できるほど親は有能ではありません。だから、言葉を交わすということが如何に大切かという事を伝えることが一番大事だと思うのです。


 最近の親はどうか分からないのですが、私の場合は我が子の話を聞くのはとても好きでした。人間というモノは面白いモノで好きな人の話を聞くのは好きなのです。


 ですから、話を聞いて欲しいなら好きになってもらうことが先決であり、親子間でも同じであると私は思います。好きになってもらうためには、我が子を怒らないことが第一条件になるでしょう。


 「え~そんなの無理」と言われるかもしれませんが、ならば、怒る項目を決めてはどうかと思うのです。私の場合、以下の三つを指定しました。


 1. 危ないことをしたとき

 2. 嘘をついたとき

 3. 兄弟げんかをしたとき


 これ以外は絶対に怒らないように努めました。


 危ないことは、前もって話せることは話をしておきますし、話せてないことでも危ないと思ったことは叱りました。それは、我が子の命に関わることだから、どんなに嫌われても怒らなければと思ったからです。


 嘘については、嘘をつかれると我が子への対応が間違うからです。仮にいけないことでも嘘さえつかなければ怒ることはしません。もちろん、いけないことについてはアドバイスはします。


 兄弟げんかについては、本気で怒ることではないし、数合わせ程度の意味しかありません。いずれにしても、こういう風に明確な指導方針を示すことで、我が子も明確になると思います。


 お陰で、良いことも悪いことも何でも話しようになり、状況の把握が楽でした。


 子育てが大変なのは決まりごとが多すぎるからではないでしょうか。しなければいけないこととか、親が口を出すことが多ければ多いほど疲れると思います。


 子育ては、我が子をどこまで信じれるかで決まります。私は、怒ること以外は我が子を信じていました。信じられるように育てたつもりなのでそうしてきました。


 皆さんは、子ども時代を思い出すことがあると思いますが、子どもというのは、親の信頼を裏切ることをするのは非常に難しいのです。信じてもらえると裏切れない。逆に信じなければ、どうせ信じてもらえないからとなるのです。


 信じるためには、親にも覚悟が必要です。我が子を信じたことで起こる責めには正面から受け入れるという覚悟です。きっと、親であれば、その覚悟を持つことが出来ると思うのですが。


 子どもを信じなければ子育ては大変です。そして、その分、子どもを怒る回数は増えるでしょう。怒るという行為は好きだからそうすると怒る方は思うのでしょうが、怒られる方は、自分のことを嫌いだから怒ると取るのです。


 もちろん、頭では分かっていても、怒るという行為の意味は、お前を嫌いだという意味なのです。だから、怒るという行動は極力控えなければならない。我が子に嫌われると話が出来なくなるのです。


 そうすれば、我が子を理解できなくなる。それがまた、信じることが出来なくなることに繋がる悪循環を生むのです。親の威厳など何の意味もありません。だって、親は先に死ぬのだから。


 大事なのは、親が死んだ後にあ、我が子が幸せな人生を送れるかどうかではないでしょうか?


 だって、我が子が幸せになることは世界中の親の共通の願いのはずです。その願いのかなえ方が拙いと拙い結果をもたらせる。従って、楽な子育てをして、親子で沢山会話して、我が子が幸せになれるように見守ることが大事だと思うのです。


 そうやって、思いを込めて育てた我が子が今や親になっている。過ぎてみればあっという間としか言えません。

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