第17話 『トランジッション AX-1』

 晴れた空には幾つかの真っ白な雲の塊が漂い、時折陽の光を遮りながら風に吹かれて流されてゆく。


 これぞ正しく快晴のお手本だと言える程の、抜けるような青さの澄み切った空であった。


 そんな空の下、広い荒野に真っ直ぐ伸びる道路の上を、三機のエアランダー小型飛行揚陸艇が数メートル程の高さに浮かんで進んでいた。


 エアランダーというのは、M.F.A.を始めとする機導魔装等を運搬する為の、いわば輸送用航空船舶である。


 サイズ的には大型トレーラー数台分程度、といったところであろうか。


 M.F.A.を一騎、運用可能状態で搭載出来る他、官民問わず様々な用途でも使用されている汎用航空船舶だ。


 戦時運用でもない限り、このように地表すれすれを街道にそって運行するのが常である。




「どうしてこうなった……」


『自重しなかったからですとあれほど』




 郷志は今現在、エアランダーの操縦室の上に備え付けられている見張り台に立ち、呆然とした表情で一人紫煙を燻らせ、佇んでいた。


 走行風は結界により阻まれていて、最近手に入れたごく一般的な綿のポロシャツとパンツ、その上にパーカーを羽織っているだけの適当な格好でも別段苦になるようなことはなかった。


 ちなみにこの世界に来た際に身につけていた衣服は、坩堝内での汚染物質が除去しきれなかったという事で処分されている。


 何やら通常の衣類等はその細かい繊維の隙間に微細な汚染物質が潜り込むと完全洗浄が難しいらしく、費用対効果を考えれば新しいものを買い直すほうが良いという話で、その費用も負担しれくれるとのことなのでありがたく受け取って適当な品を購入して貰っておいたのだ。


 小金持ちどころではないレベルで温かい懐具合であっても、そのあたりはやはり小市民の剛志であった。


 今、郷志の手元に残っている元の世界の品物は、グラン・パクスのコクピットシートのコンテナボックスに収めていた物と、大和が入ったタブレット型デバイスのみであるのだが、郷志はそのわずかばかりの元の世界の残滓の一部を手にして、操縦室を出たのである。


 幸いにして――彼にとって本当に有難いことに――この世界においては然程喫煙者に厳しい状況ではなかったため、残り少ない元の世界の残滓を心置きなく消費することが可能なのだ。


 いつでもどこでも手に入るなら、多少銘柄が異なろうと気にしない郷志である。とはいえ流石に操縦室内で喫煙するのは躊躇われた為、外部に出たのである。


 なおエアランダーの操縦席では、郷志の世話係として付けられた女性士官が操作を受け持っている。


 これがまた絶対ハニートラップ狙いだろうと思われるレベルの美人さんで、名前を高倉紀都たかくらきいとといい、位階は正六位だという。


 戦士として鍛えられた身体は余分な肉など欠片もなく、かと言って女性の女性的な部分は逆にその存在を大いに主張していると言う、おそらく軍内部でもトップレベルのいい女なんじゃね?と女を見る目のない剛志ですらそう思ってしまう女性であった。


 だがしかし、そう言った異性に対して免疫が無いどころかアレルギーを起こしかねない勢いで過剰反応しそうな剛志にとって操縦室は「居心地が悪いってレベルじゃねーぞ」状態の落ち着かない空間となってしまっているのである。


 それはともかく、先日の行動を顧みても、郷志は自分の行動から導き出された結果に一応の納得はしていた。




「自重してたら人死にが出てたんだ、その話はもういいさ」


『そう仰るなら、事あるごとに落ち込まないでほしいものです』




 郷志は、口では納得してやった、すぎたことだ、もう気にしていない等と言うくせに、ふとその時の事を思い出してしまうたびに、もっと他に良い手はなかったのか、と自問してしまい、陰々滅々となるのである。


 現在、常に腰のポーチに入れられている状態の大和にとって、いくら人工知能に刻まれた行動パターンによる反応とはいえ、同じルーチンを繰り返されるというのは嫌なものなのかもしれない。


 そんな風に耳元のイヤホンマイクで苦言を弄された郷志は、大きく煙を吐きだしつつ、これから向かう目的地に続く進路方向へと視線を向けた。


 その視線の先には、広々とした荒野に伸びる一本の道路の他に、地平線に飲み込まれそうな位置にぽつんぽつんと小高い丘が見え隠れしていて、日本離れした風景だなと郷志に感嘆の声を上げさせるに相応しい光景が広がっている。




「まあ日本じゃないんですけどね、って言うか……やってけんのかね、しかし」


『それはマスター次第です』




 これから向かう先は、皇国軍幹部候補生学校。


 そこで剛志は、機導魔装候補生達の戦技教官として赴任することとなった。


 なってしまったのである。




「ここを通るのも久しぶりだな」


「そうですねぇ、卒業以来になりますか」




 そんな暗い顔をした剛志の背後に、いつの間にやらにこやかな笑みを浮かべる近衛櫻子と、こちらは少々不機嫌さを見せている竹内文子の二人が、当然のように並び立っていた。


 本当に、どうしてこうなった!と郷志は声を大にして言いたかった。


 出来れば皇軍の重鎮とかいう人達に。




「ちゅうか、二人共いつまでここに? 自分の艇に戻りゃいいのに」




 各々に一艇ずつ宛てがわれているエアランダーがあるというのに、櫻子と文子の二人は郷志の艇に入り浸りであった。


 櫻子は自身が郷志の後見人であるとの自負から、色々と世間の常識を教えなければと意気込んでいるためであり、文子はといえば彼女的に「悪い虫」である郷志が櫻子に必要以上に纏わりつかないようにと意図しての事であった。




「お邪魔だと仰るのならそのように致しますが……」


「いや邪魔とかそういうのじゃなくてですね」


「じゃあ同道させて頂いても構わないのですね?良かった!」




 自分の船に帰れと真正面から訴えた郷志であるが、ちょっと櫻子が悲しげな表情を見せるとあっという間に前言撤回である。




『マスター……なんというちょろさ』


「従三位ってば……アレ、素よね。って感心してる場合じゃないんだけど。もしかして、アイツヘタレっぽいから心配する必要無いのかしら」




 そんな二人を見守る一人と一基であったが、お互いの言葉はお互いの耳に届くことはなかったのであった。




「ああ、どうせ俺はちょろいさ!というか対抗できるって言うならしてみろ!俺には無理だ!」


『そういう辺りがちょろいというのです』




 イヤホンマイクを付けている郷志にだけは、チクチクと大和の言葉が届いていたのであるが、骨振動マイクでほんの囁きですら拾われている事は、郷志と大和しか知らないことであった。


 そうしてエアランダーに揺られること暫し、郷志の前に現れたのは西洋風の伝統的な建築と思わしき岩とレンガで組み上げられた、巨大な建造物であった。


 魔法で形成された、前世界の常識では考えられない規模の大岩で外周に壁を築いて広大な荒野を切り取り、その内側を他者を寄せ付けぬ領域として誇示している、そんな印象を受ける。


 それはもはや砦、いやいくさ・・・をするための城のようであった。


 その広大な敷地の中に、荘厳とは言わないが重々しい雰囲気を醸し出す赤いレンガで建てられた幾つもの建造物と、それに倍する大きさの格納庫と思しき施設の存在が伺えた。




「さあ鴫野殿。そろそろ準備を。まいりましょうか」


「ほら、ボーっとしてないでさっさと着替えなさい」


「鴫野従四位、お着替えお手伝いいたします」


「しなくていいから!自分でできるから!」




 櫻子や文子、紀都女史らに促されて先ほどまでのラフな格好から一転、こちらは自費で購入を促された第一種礼装を身に纏う。


 背広程度なら着慣れていたが、流石にこれは……と思うほどの華美な印象を受けるシロモノである。


 皇国軍仕様の真っ白な詰め襟が金糸銀糸で編まれた紐で飾られており、その胸には貰った覚えのないいくつかの勲章と、肩と袖口には太い二本線に桜花がひとつ付いた階級章。




「……どう見ても佐官です、本当にありがとうございました」


『この国では少佐相当の階級で従四位と呼ばれます』


「知ってる。ゲームでもアニメでもそうだったし」




 なおゲーム内では、戦歴・戦果等から計算されて順位が決まり、それによって階級が上下していた。


 最高位は正二位で大将に相当し、以下




 従二位≒中将


 正三位≒少将


 従三位≒大佐


 正四位≒中佐


 従四位≒少佐


 正五位≒大尉


 従五位≒中尉


 正六位≒少尉


 従六位≒准尉


 正七位≒曹長


 従七位≒軍曹


 正八位≒伍長


 従八位≒兵長


 正九位≒上等兵


 従九位≒一等兵


 大初位≒二等兵


 少初位≒候補生




 となっていた。


 対戦勝率こそ上位三桁だった郷志であったが、総合成績としては大尉相当の正五位であった事を考えると、十二分どころではない扱いであろう。


 この世界においては軍人でなくとも位階を得られるので、軍歴がなくとも成果さえ出せば同様の位階に昇り詰めることも可能なのである。


 なおゲーム内では最上位の正一位は没後追賜、従一位は元帥位相当で、現役を退いた高い功績を残した正二位のみが賜る位階――連続してトップの成績を残した者が、言わば殿堂入り扱いでランキングから除外される形であった――であるため、通常は得られる位階ではない、と言う設定であったが、それはこの世界の現実でも同じようである。


 なお、ゲーム時には没後追賜――殿堂入りしたものが引退した場合にあたる――された者は出現していなかった。


 そんなことを思い返しながら着替えを済ませ、ゆるゆると歩き出す郷志の背中をこれでもかという勢いで平手打ちを浴びせる文子。




「ほら、背筋伸びてないわよ! しゃっきりしなさい」




 傍目から見れば頼りない兄を叱咤する妹といった風に見えるかもしれない。


 そうして郷志は、皇国軍幹部候補生学校へと降り立ったのである。




「見えてきた」


「新任の教官はどんな腕前なのかしらね。うふふふふふふふふふ」


「おいおい、ちったあ手加減してやれよ?」


「手加減?あら、それは心外ね、常に全力で事に当たるのは軍人として当然のことじゃない」


「前の教官達を泣かすレベルで遊んでたくせによく言う……」


 皇国軍幹部候補生学校は幾つかの科に分かれている。


 陸海空の従来からの三軍と、『無慈悲な交雑』以降に設立された、機導魔装の運用を主とする特殊機動兵団の、合わせて四軍が存在し、それぞれの軍に於いて将来を担うと目された者たちだけがここでより高度な教育を受ける為に集まるのである。


 各軍同士の横のつながりを密にするという意図もあるため、普段の生活の場である寮内においては各軍の枠は無関係に部屋割りを行っていたりする。


 そんな幹部候補生学校の、特殊機導兵団向けの教室で屯している一団が、窓の外、地平線の彼方から姿を表した三隻のエアランダーに気付き、喜色満面といった顔で到着を待ちわびていたのであった。

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