第三話 『搭乗』

「いらっしゃい、もう少し早く来ると思っていたけれど」

「いやいや、時間通りでしょ?」


 入ってきた青年に気がついた女性は、ゆっくりと立ち上がってにこやかな笑みを浮かべ、歓迎の意を表した。

 このゲームにのめり込んでいる彼であれば、少しでも早く訪れると思っていたのか、少々非難がましい言葉とともにであったが。


「さ、準備は出来ているわ。いつでもどうぞ?」


 スラリとした、女性にしては長身の女性店員は、彼にとってもうずいぶんと顔馴染みとなっている。

 鄙にも稀な、と言ってはあれだが、ゲームセンターの店員などをするには勿体無い美貌だな、と青年は思う。

 おそらくは腰まであるだろう黒髪は、頭の後ろでアップにまとめられており、切れ長の瞳と細面と相まって理知的な雰囲気を纏わせている。

 細い手足にメリハリのはっきりと分かる身体、彼よりも低い身長のはずなのに腰の位置は――ハイヒールを考慮に入れたとしても――あまり変わらない。

 おなじ日本人だと胸を張って言いづらい程に、どこか根本から違うのではないかと考えたくなる程だ。

 実に場違いな存在だと彼を始めとしたゲーマー達は感じているのだが、彼女の方は全く気にしていないようで、こういった店に頻繁に訪れるいわゆるヲタクな男連中にも極普通に対応している。

 ために女っ気の皆無な常連連中からは女神扱いである。

 であるが、青年は未だに彼女の名前を知らなかったりする。 

 ここがオープンした当時から現在に至るまで、先ほどの店長と共にこの店に勤めているのは知っているのだが、馴染みとなって長い彼としても不本意ながら、ついつい名を聞く機会が得られぬまま、現在に至っている。店員なのだから名札ぐらいは付けているのだが、彼女を含め店長からバイトに至るまで、全員が全員、名札に本名を記載していないのである。

 個人情報云々の絡みがあるのかどうかまでは彼も聞き及んでいないが、きっとおそらく多分そういう関係から名札に本名が記載されていないのだろうと勝手に理解していた。

 まあ店長は店長、彼女は副店長と肩書だけ書かれた名札を胸に、仕事に励んでおり、それでゲームをプレイする分には特に不都合はないのであるから青年としては特に気にしないのである。

 それに本当のところを言えば、今更面と向かって尋ねるのも気が引ける。

 そういう気の弱い一面は誰にでもあろう物だが、彼はそういった面に関しては特に駄目な男なのであった。

 ちなみに店長の名も知らないままだ。


「え、と。新型のレクチャーとかは?」


 そんな他愛もないことを脳裏に浮かべながら、青年は筐体に視線を向けつつ彼女へと話を振った。

 真新しい筐体は、ホコリひとつ付いてないように見受けられ、気やすく近づいても良いのだろうかとさえ思えたためである。

 そんな状態でいつでもどうぞと言われたため、少々心の準備をと考えつつとりあえず場をつなぐ言葉を発したのだが。


「新型筐体と言っても見た目以外大して変わっていないから安心して。レバーとかスイッチの配置は変わらずで形状変更のみ。特にこれといったものと言えば、前面ディスプレイの一体化と入力用のバスが高速化対応したくらいかな。ディスプレイに表示される各種データ表示の個人設定は、専用機データともどもあっという間に転送、設定できるはずよ」


 すると、ざっくりとした解説というか説明をされる。

 筐体更新というから期待した青年としては少々ガッカリ感があるが、操作性もインターフェイスも変わらないのならそれはそれで慣れる為の時間が必要がなくなるので助かるといえば助かる。

 最大の変更点である、正面の画面が一体化したのと通信用のバスが高速化に対応したというのも歓迎出来る内容である。

 これまでの複数画面をつなぎあわせての前面スクリーンが継ぎ目なしに、そして専用アプリで構築した自作の機体データやら何やらの転送にかかる待ち時間が軽減されているという事だからだ。


「あとは、演算速度が前のと比べて飛躍的に向上されていますから、処理落ちとかも無いわよ。それに伴って以前にも増して高細密モデリングになっているから」

「ははっ、そりゃ楽しみだ」


 リアルタイムで3Dモデルを高速で動かすとなると、性能の良いPCでもそれなりの負荷となる。

 余裕を持って設計していた当初の筐体から、その辺りは細々と更新されていたらしいが、最近のやりこみ度の高い、いわゆる廃人とか廃神とか言われるレベルの者達の繰り出してくる機体は、それこそこんなところまで動かしてどうする、と言う部分まで可動させて無駄なリソースを使わせる事が多く、近年はしょっちゅう処理落ちを起こしていた。

 通信対戦という事も絡んでくるため、今回の更新に限らず、メンテごとに通信回線も専用線を引いただのなんだのという話は聞き及んでいたりもしたが、一体このゲームはどこまで突き進むのだろうか、と青年もその一端を担っている立場であることも忘れて心配になるほどだ。


「それでは出撃準備、ですね」

「はい、お願いします」


 彼女からの問いかけに肯定の言葉を返すと、即座に彼女は目の前に並ぶコンソールに指を滑らせなにがしかの操作を行った。

 すると先ほどの扉と同じく、これまたプシューと音を立てながら、筐体の正面の幅一メートルほどが下に向かって開き、次いでその内側の一枚構造になったカバーがゆっくりと上にスライドして、内部の構造を彼に見せつけた。

 最初に開いたカバーの裏側はタラップのように階段状なっており、それに足をかけ搭乗するようだ。

 内心ニヤリとしながら鞄からスマートフォンよりも少々大きめのタブレット型デバイスを取り出してバッテリーの残量を確認すると、青年はタラップに足をかけ、意気揚々と内部へと体を滑り込ませた。

 顧客の層を睨んでか、かなり大柄――縦にも横にも――な男性でも余裕を持って座れる大きめの椅子に身体を預け、座席脇にある手のひら大のカバーをスライドさせて開くと、そこに接続用のスロットが有るのを確認して、デバイスをゆっくりとはめ込んだ。

 これでコクピットシートに付属する、タッチパネル兼モニターとしても利用可能となるのだ。

 手荷物はシートの背面に設けられているコンテナボックスに放り込んで、用意は万端である。

 起動画面がデバイスに表示され、おなじみのこのゲームのタイトルが浮かび上がる。

 それに触れると、「出撃準備」と表示され、前方上部に設置されている計器類が順次点灯し始め、安全のために身体を保持するバーが降りてきたのだ。

 肩越しに胸から腹を覆うように被せられる安全バーと、座席の横から太ももを上から抑えるようなプレートがせり出してくる。

 どちらも内側にエアークッションが仕込まれていて、カチリと固定位置にロックされると膨らみだしてフィットする様にできている。

 開いていたカバーが閉まる際に、女性がこちらに手を降ってくれ、「いってらっしゃい」と告げられたが「はい」としか返せなかった。

 その後上部から頭を覆うような半透明のフードが降りてきて、準備は完了となった。


『お帰りなさい、マスター』

「やあ、ごきげんそうだね、大和」

『はい、お陰さまで。マスターもお変りなくて何よりです。それでは起動準備に入ります』


 搭乗の動作が終わるとともにピピっという電子音が響き、青年の耳朶を軽やかに囀るような声が叩いた。

 ソレに内心苦笑しつついつもと同じ挨拶を返すと、再びピピっと電子音が鳴り、返事を返してくる。

 受け答えの相手は、機体に付随している機体管理AIという『設定』の人工知能である。

 AIの人格データは、先ほど接続したタブレット型デバイスに収められており、そのカスタマイズも各ユーザーの自由だ。

 このデバイスは『ミスマ』専用に販売されている物で、このようなAIの人格データ以外にもプレイ用の課金管理や自作の機体データ、戦歴その他が詰め込まれている。

 そう安くは無いとは言えこれを買ってさえいれば、自作機体や管理AIの個人的な設定からデータの保管まで全て賄える上に、安全性も馬鹿に出来ない。

 先ほどの挨拶にしても、起動確認のための合言葉である。

 まあ実際は声紋でも確認しているらしいが、さすがに細かい部分は保安上機密らしい。

 そうこうしているうちに、バイザーの向こうで空中にディスプレイが浮かび上がったのが見えた。


「うわ、投影式!?ってああ、3Dメガネ的な擬似立体映像か、な?」


 アニメの設定通りの絵面に驚きの声を上げつつも、頭を少しずらしてバイザーの向こう側を見ようとして諦める。

 その程度で体が動くのならば、ゲーム中に椅子から放り出されてしまうのだから当然であろう。


『マスター、起動準備完了いたしました』

「をっ、早いな。さすが新型。いよっし、起動開始っ!」


 大人しく起動準備待ちをするかと気を取り直したところでAIの大和から準備完了の報告が挙げられた。

 もう少しかかるかと思ったが、以前に比べて断然早いとほくそ笑みつつ即座に起動開始を命令した。

 そうして、空中に浮かぶ投影ディスプレイに表示された『全管制異常無し』の表示が『魔導核接続準備』に切り替わったのを期に、全周囲モニターに明かりが灯り、映像が映し出された。


「うわ、すっげ。本当の映像みたいだ」


 映しだされたのは機導魔鎧が格納庫に収まっている状態での、周囲の映像。

 これまでの映像もそれなりに力は入れられており、見るに耐えないと言う事はなかったが、やはりコンピューターグラフィックスを逸脱できてはいなかった。

 新しいバージョンでは、何というか見える物だけではなく、その場の空気といった感じまで表現しているように見えたのである。

 何しろ発進のために、機体を囲むように設置されている作業用足場のキャットウォークがレールの上を移動していくシーンの中、ぎりぎりまで作業を続けていた人たちが駆け出してゆくその表情までわかるのだから。


『ご満足いただけているみたいですね、開発者に成り代わって感謝致しますわ』

「おわっ!?」


 映像に驚嘆していたところに新たなモニターが浮かび上がり、笑みを浮かべた店員の女性が謝辞を述べていた。心の準備のなかった彼はそれに驚き、声を上げてしまったが、相手はさほど気にしていないようだ。


「対面通話機能とか……意味あるんですか?これ」

『ゲームとしては、チーム対戦時に使えるようになる予定ですね。あ、初心者の方への助言なんかにも使う予定ですが』


 これまでは音声通話のみであったチーム対戦時の味方との会話に顔まで表示されるという話しらしい。

 アニメ等ではよくある仕様だが、実際に体験してみると「これ戦闘中だと正直邪魔と言うか集中が削がれるな」と郷志は思う。

 とはいえ今までの音声通話にもウインドウが開きアバターがされており、それにしても自身で画像を添付できたため、これ必要なのだろうかとも思ってしまう。

 そもそもゲーム配信で自分の顔を晒すのに抵抗のない奴が、どれほどいるのやら、と思っている。

 ちなみに彼としても、自分の顔が不特定多数のプレイヤーにばら撒かれるのはお断りしたいところだ。


『あ、表示のオンオフは手元で操作できますし、初期状態では相手に表示されていませんから。それに、配信動画には基本、通話は流れませんから』


 彼の心配を察したのか、モニターの向こう側で苦笑する店員女性が伝えてくる。

 顔に出ていたのか、と考えたところで「顔写ってるんじゃね?」と突っ込みたくなったが配信されないというなら構わないかと思い直す。

 どちらにしろ、彼は今日のところは対戦するつもりはないのである。

 キャンペーンモードと呼ばれる、元となったアニメのストーリーに基づいた戦闘を行うモードをするつもりなのだ。


「それならまあいいさ。大和、ゲームを始めるぞ。キャンペーンモード、最初っからだ」


 いわば初心者向けのスタートラインなのだが、新しくなったのならそれも全部見てしまいたいと思うのは深みにハマった者として当然じゃないかと言うのが彼の心情なのである。

 それならばこんな機能は意味が無いと、彼は対面通話機能をそっとオフにして閉じたのであった。

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