その週の金曜日。

 夕方になると待ちに待った週末に心を馳せ、残った業務を早く終わらせてしまおうと、社内は活気に満ちている。日和の隣でも、山岡は合コンの集合時間に間に合わせるべく一心不乱にPCへの入力作業を行っていた。


「今日は商社のイケメンが来るって聞いてるから、なんとしても良い席をゲットしないと!」


 会社のトイレで化粧を直し、髪を整える時間も確保しなくてはならないから、定時ぴったりに上がらないと間に合わないのだという。

 山岡の足元にはいつもより大きめのバッグが置いてあり、あわよくばお持ち帰りされようという魂胆が丸見えだ。


 日和もその合コンには誘われていたのだが、用事があるから……と丁重に断った。本当は用事などないのだが、透と亘のおかげで少し男性不審に陥りかけているというのもあるし、合コンという場の雰囲気が苦手というのもある。


「あー、どうしよう。間に合う気がしない」


 山岡が弱音を吐き始めたので、日和は苦笑して申し出た。


「私のほうは落ち着いたので、手伝いましょうか?」


「本当に? じゃあ、こっちのアンケートの――」


 喜び勇んで山岡が大量に残っているアンケート資料を半分以上手渡そうとしたとき、

「高丸さん、雑貨店で販売する福袋のPOPに関する資料、デザイン室に持っていってくれる?」

と松坂が日和を呼んだ。


「はい。……ごめんなさい、少し離れますね。戻ってきたら、手伝いますから」


 肩を落とす山岡を慰めたあと、日和は上司から資料を受け取り、デザイン室へ向かった。



 社内のデザイン室は、基本的には広告やオリジナル商品を制作する際にブランドイメージを損なわないようにチェックする業務がほとんどだ。デザインをするというより、デザイン管理室といったほうがしっくりくるだろう。


 商品のどこに会社のロゴマークを入れるとか、小さな文具のどこにどうやって使用上の注意を入れるとか、そういう細々とした業務を日々行っている。企画物や新商品に関しては、亘が勤務するカラをはじめ外部のデザイン会社に依頼することが多い。


 広報企画室に勤務する日和が一番接する機会が多いのは、このデザイン室のスタッフだった。


「浅井さん、こんにちは」


 デザイン室に入って一番手前にいる事務の浅井に声をかけると、丸い顔が柔和な笑みを浮かべて頷いた。


「こんにちは、高丸さん。福袋の資料?」


「はい。これ、お願いします。――お子さんの風邪、よくなりました?」


 先日、子供が熱を出したといって早退した彼女に尋ねると、

「おかげさまで! 保育園に行っていると、すぐもらっちゃうのよねー」

と眉を寄せた。


「お子さんも大変だし、看病するお母さんも大変ですよね。お疲れさまです」


「ありがとう!」


 松坂と同期の浅井は以前は営業事務として勤務していたらのだが、育児休暇を経て、比較的定時に上がれるデザイン室に異動した。家庭的な雰囲気の彼女はキャリア街道まっしぐらの松坂とは真逆なタイプなのだが、意外にも二人は仲が良い。浅井の結婚前にはよく一緒に飲みに行っていたと聞いているが、さすがに小さな子供を抱える今では以前ほど交流はないらしい。


 ということで、日和はつい尋ねてしまった。


「あの――浅井さんは、チーフの弟さんのことはご存じですか?」


「松坂の弟さん? ああ、カラさんに就職して、海外に行ってたんだよね。会ったことはないんだけど、相当なイケメンだって松坂が言ってたけど。ブラコンのあいつが言うんだから、話半分に聞いてるけどね」


 日和は愛想笑いを浮かべた。


 ――浅井は亘について、たいしたことは知らないらしい。


 話して分かったことといえば、やはり松坂はブラコンだということだけ。


 亘は相変わらず、写真や動画を毎日欠かさず送ってくる。今もタイトルのみで、メッセージは記載されていない。


 ――いずれにしてもここ二週間は呼び出されることも、来いと言われることもないのだから、向こうも猫以外ではもう関わるつもりはないのかもしれない。写真を送ってくるのは親ばかのようなもので、我が子同然の仔猫を自慢したくて仕方がないだけかも。


 やっと解放されたことを嬉しいと思うべきなのだろうが、どこか物足りなく思っている自分もいる。


「じゃあ、戻りますね」


「お疲れさま! またね!」


 浅井に笑顔で手を振りながら、日和の脳裏に桃香の言葉が蘇る。


『じつは心の奥底で惹かれているとか』


 そんなはずない……と即座に打ち消して、仔猫が気になるだけだと自分に言い聞かせる。日和の中で仔猫と亘がセットになっているから、仔猫を思い出すと自動的に亘のことを考えてしまうのだ。


(そうに違いない。我がままで常識知らずで人を人と思っていないような男に惹かれるなんて、そんな破滅願望は持ってないし)


 ――だから今週末は、ショッピングに行こう。もうすぐボーナスだし、自分へのご褒美の下見もしたい。


 そう考えていたのに、土曜の朝、日和のスマホから着信を知らせる音楽が流れた。画面には、『松坂(弟)』と表示されている。今度はメッセージではない。電話だった。

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高慢なあなたに、教育的指導を 八柳 梨子 @yanagin

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