③
その晩、松坂姉弟から受けた多大なストレスを発散したくなった日和は、
「まだ月曜なのに……」
と渋る友人をなかば強引に食事に誘い出した。
「たまには私の無理を聞いてくれてもいいでしょ。この間、祐太郎さんと喧嘩したって泣きついてきたときは、散々付き合ってあげたんだから。はい、お疲れ」
どうせ出かけるなら酒を飲みたいと言うので、二人は居酒屋で待ち合わせた。日和はアイスウーロン茶が入っているグラスを上げ、友人である桃香のビールジョッキと軽く合わせる。
「まぁ、ね。だからこうして付き合うことにしたわけで。本当に、あのときはありがとうございました! ――それにしても、意外だったなぁ。透君が二股だなんて。てっきり二人はあのまま結婚するのかと思ってたよ。ほんと、びっくり」
木下桃香とは大学のゼミで知り合って仲良くなり、今では一番の親友だ。透のことも、彼女には一番に報告している。
「でしょ? それに別れるって言ったらアパートまで押し掛けて、しかも逆切れ。最低だよね」
力なく笑う日和を元気付けるように、桃香はテーブルに乗っていた日和の手の甲をパンと叩いた。
「でもさ、多少性格が歪んでいるとしても、すっごいイケメンと知り合えたんでしょ? いいなぁ」
「とんでもない。そいつのせいで、私はもうボロボロよー。だからこうして食事に付き合ってもらってるわけだし」
ここ数週間の出来事をかいつまんで説明すると、桃香は不審な眼差しを向ける。
「えー? 少し話を盛ってない? 変でしょ、その上司と弟」
「盛ってないし。これでも多少省いているくらいだし」
「まじか。それはストレスたまるね」
「でしょ? まあ、桃香の元上司には及ばないかもしれないけど……」
上司のパワハラで一時期鬱状態になっていた友人だったが、恋人のおかげで明るさを取り戻した。あの頃の友人を振り返り、自分はまだましなのかもしれない……と思う。
「まあ、いいの。もう関係ないし。……そうそう、その弟さん、イケメンなんでしょ? 興味あるなぁ。写真持ってない?」
「写真……仔猫のならあるけど……」
亘から送られてきた写真を確認したが、彼自身の映像といえば、影しかない。どんどんスクロールしていくと、猫の向こうでこちらを見ている亘の顔がぼんやり映っているのが一枚だけあった。
「これしかないや」
差し出されたスマホの画面を、桃香は凝視する。
「……これじゃわかんないなぁ。今度会ったら、撮ってきてよ」
「やだよ。もう会わないつもりだし。上司にこれ以上変な誤解をされたくないしね。それにイケメンは祐太郎さんで十分でしょ」
画面を閉じながら日和が答えると、桃香は照れたような笑みを浮かべた。
「それはそれ。これはこれ。……ところでその弟さん、前から日和を知ってたんでしょ? 上司の人はそのこと知らないのかな?」
「さあ。その件については何も言ってなかったけど」
「ふーん。どちらにしても、松坂弟に頼まれたとしても、松坂姉経由で断れば良かったんじゃない? 職場の人に知られたくないならなおさら、相談すればすぐに手を打ってくれたんじゃないかな」
「そうかな? なんか職場でそういう話ってしづらくない?」
「でもイヤだったんでしょ? その割には、松坂弟に親切すぎない?」
その言葉は深く考えずに何げなく発せられたもので、桃香は答えを待たずに店員を呼び、ビールの追加を注文した。一方で日和はひどく驚いた顔をして、親友の顔を凝視している。
「親切すぎたって……どういうこと?」
やっと気を取り直した日和が問い返すと、届いたビールジョッキを持ち上げた桃香の手が止まり、首を捻った。
「え? そのままの意味だけど」
「でも……上司に頼まれていたし……」
「でも仔猫のことも、料理も頼まれてないでしょ? 頼まれたのは、家電や家具を揃える手伝いだけで」
「そうだけど……」
言いよどむ日和に、桃香はにんまりとした。
「じつは少しは松坂弟のこと気になってるんじゃないかな。イケメンだし、シックスパックなんでしょ? そんな豪華な男が目の前にいれば、そりゃあ気持ちが揺れるよね」
「べつに、見た目は関係ないし。目の保養にはなるかもしれないけど、でもだからって好きになるわけないじゃない」
「私はそこまで言ってないよ」
桃香はすました顔をして、ビールを煽る。
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