愛されたいなら①

 仔猫の健康状態は良好で、そろそろ離乳食中心に変えましょうと獣医の指導を受け、安心した二人は亘の部屋へ向かった。


 部屋の中を一目見た日和は、雰囲気があまりに変わっていることに驚く。いたるところに猫グッズが置いてあったからだ。


 キャットタワーのほかに、長細いトンネル、ボールがコロコロと転がり続ける玩具、中に鈴が入っているシート、仔猫でも手が届くミニタワーなどなど。ほかに猫じゃらしも転がっていて、


(別におみやげいらなかったかな……)


と残念に思いながら、おみやげの猫じゃらしを仔猫の目の前で揺らす。仔猫は一丁前にお尻をフルフルさせて狙いをつけたが、バランスを崩して横に倒れた。


 遊びながらここぞと自分のスマホで撮影しまくっていた日和は、ふいに寂しそうにつぶやいた。



「そういえば、離乳食に切り替えましょうって言ってましたけど……」


「いやでも、急に完全に切り替えるのは無理だろ。ミルクと半々にしようかと思ってる。そうだなぁ。七時くらいがいいかな」


「えっ……。七時って、あと二時間以上あるじゃないですか」


「だからこいつの前に、夕飯食ってしまおう。今回は冷蔵庫に食材が入っているから、適当に作ってくれ」

と言って、亘は冷蔵庫を指さした。


「……は? 作ってくれって……私が、ですか?」


「ほかに誰がいる? 俺は料理を作ったことなんてないんだぞ」


 日和が作って当然だといわんばかりの態度に、おもちゃを揺らしていた手が止まった。その瞬間、仔猫が跳ねて先についていた羽に飛びかかり、勢いよくこける。その体を起こしてやりながら、日和は首を捻った。


「じゃあ、どうして食材を買ってるんですか?」


「日和に作ってもらおうと思って」


「……はぁ?」


 日和の表情が険しくなった。


「私は王子と遊びに来たのであって、料理を作るためじゃありませんが」


 日和の声には、明らかに怒気が含まれている。しかし亘は涼しい顔で言い返した。


「もうすぐ夕飯の時間だし、いいじゃないか。そろそろ弁当にも飽きてきたし。それに日本に帰ってきてから、手料理ってのを食べてないからな。――日和が料理ができないっていうなら別だけど」


 亘は挑発するような笑みを浮かべたが、日和は乗らなかった。


「得意というわけじゃありませんが、作れないというわけではありません。それに先日、角煮を作りましたよね? 私は酔っていたので、味はどうだったか分かりませんが――」


 そこまで話したところで酔って裸で寝ていたことを思い出し、日和の顔がみるみる赤くなる。そんな彼女を見て、ここぞとばかりに亘が突っ込んだ。


「いいじゃないか。日和だって、これから食べるんだろ? 一人分も二人分も変わらないだろうし、ここで作れば食費も浮くんだし」


「よけいなお世話ですよ」


 日和は不機嫌な顔で亘をまっすぐに睨みつけた。


「私は、便利屋じゃないんですよ。あなたに傘を貸した私がたまたまお姉さんの部下だったってだけで、なんでこんなに振り回されなくちゃならないんですか」


「ほかにいないからだよ。日本には友達はいないし、猫アレルギーの姉さんはこの部屋に上がりたがらないだろうし。そもそも、俺が声をかければ部屋に上がりたがる女なんて星の数ほどいるってのに、なんでそんなに嫌がるんだよ。俺に頼まれていることを光栄に思え」


「はあああ? じゃあ私にこだわらず、適当にその辺の女性に声をかければいいじゃないですか」


「なに言ってんだよ、ばかだな。俺は日和がいいんだ」


 そう言ったあと亘は口元を抑え、驚いたような顔をしたまま黙りこんだ。日和も同様で、目を大きく見開いて彼を見つめる。


 しばしの沈黙のあと、亘は気まずそうに目を逸らし、いつになく歯切れ悪く言い訳をした。


「えーと……だから……日和はほら、俺に媚びようなんて下心はないだろ? だから気楽でいいんだ」


 すると日和はひきつった笑みを浮かべる。


「亘さんは気楽でいいかもしれませんが、私はストレスがたまる一方です」


 突き放すような言葉を聞いて、亘は傷ついたような顔をした。その後、何か言いたげに唇を薄く開いたあと、言葉を飲み込んで噛みしめる。


 その様子が、仲直りしたいくせに強がっている幼い頃の弟の姿とダブって見えた。日和は諦めたように嘆息する。


「友達になりたいと思ってくれているのなら、もっと言葉を選んだほうがいいですよ。そんなんじゃ、みんな離れていく一方です。……もう、仕方ないですね。今夜だけですよ」


 すると亘の瞳が、遊び相手を見つけた仔猫のように輝く。


「仕方ないだろ。今まで面倒な奴にばかり絡まれていたんだから」


 日和に見透かされたことが照れくさいのか、そっぽを向いてそうつぶやいた。



(本当に、子供みたいな人だな)


 とくに小学校低学年の頃の弟たちと同レベルだと思いながら、日和は冷蔵庫の扉を開いた。

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