育まれる想い③

「ほら、陸君が待ってるんだから急ぎなさい。まったく――もう五年生なんだから、いちいちお母さんに言われなくても時間に間に合うように支度してよ」


 いつまでもぐずぐずとして支度を終えない夏海に、母親が声を荒げた。


「今日は先に行ってって言って」


 夏海は俯き、泣きそうな声で答える。とたんに母親は顔を曇らせ、床に膝をついて娘の顔を覗き込んだ。


「どうしたの? 具合が悪いの?」


 娘の額に手を当てながら尋ねると、夏海は首を横に振った。


「――少し頭が痛いだけ。大丈夫、学校には行くから。ただあまり待たせると悪いから、先に行ってって伝えてくれる?」


「熱はないみたいだけど――じゃあ、鎮痛剤は飲んでいってね」


「はい」


 本当は陸と一緒に登校したいが、それではまた梨緒に嫌味を言われるだろう。考えただけで憂鬱になり、学校に行くのも嫌になる。


 静香が陸に謝っている声を聞きながら、夏海はのろのろと支度を勧めた。


 ――いっそ休んでしまおうか。


 そんな考えも浮かんだが、梨緒のせいで勉強が遅れるのも嫌だったから、陸が玄関前から去って五分過ぎてから、夏海は靴に足を通した。




 一方どんどん暗くなっていく友人を見かねた真澄は、一人で登校した陸を教室の端へと引っ張っていった。


「ねえ、知ってる? 夏海ちゃん、梨緒にいじめられてるんだよ」


 寝耳に水といった顔をして、陸が問い返す。


「どうして?」


「どうしてって――陸君と夏海ちゃんが仲が良いから、嫌がらせしてるに決まってるじゃない」


「まさか、それだけで? だって僕と夏海ちゃんは幼馴染なのに」


「それが許せないんでしょ。自分以外の女の子が陸君の近くにいちゃいけないとでも思ってるんじゃない? なら、どうして夏海ちゃんは今日は一緒に登校しないと思ったの?」


「少し頭痛がして支度が遅くなったからって聞いたけど」


「違うよ。一緒に登校すると、またいじめられるからだと思うよ。陸君って頭が良いのに、肝心なところで本当に鈍いね」


 呆れたといった様子で、真澄がため息をつく。



 しばらく呆然としていた陸だったが、


「で、どうするの?」


と真澄に問われて我に返った。そして唇をきつく引き結ぶ。



「分かった。僕がなんとかしてみる」




 それからしばらく後。


 隣の教室にいる梨緒に気づかれないよう、こっそり通り過ぎた夏海は、チャイムが鳴る寸前に自分の席に滑り込んでホッと息を吐いた。


(良かった。今日は待ち伏せされなかった……。でも明日からは何て言い訳すればいいんだろう)


 おそらく明日も、陸は迎えに来るだろう。これからは来なくていいと言ったら、理由を聞かれる。


(梨緒ちゃんにいじめられるから、登下校は別々にしたいなんて言えないしなぁ)


 ランドセルから教科書を取り出していたら、陸が教室に入ってきた。いつになく、顔が険しい。

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