隣のセレブ②

「夏海ちゃん、陸と仲良くしてね」



 夏海に話しかけたあと、門之園の妻は苦笑した。



「本当に、かわいらしいお嬢さんですね。私も娘が欲しいのですが、なかなか授からなくて。男の子だと、服装に無頓着でしょう? せっかく良い店へ連れていってもいつも私の言うなりで、張り合いがないんですよ」



 成長期だから高いものを買ってもすぐに着られなくなると思い、夏海の服は基本的に千円以上のものはめったに買わない静香の顔が引きつった。



(嫌味? どうせいつも安物を着せてるわよ)



 卑屈になっている静香の気持ちを読んだように、門之園が会話に割って入った。



「まったく。妻は話し始めると止まらなくて――ご挨拶だけのつもりが、つい長話をしてしまって申し訳ありません。弥生、そろそろお暇しよう」



「そうですね。お時間をいただきまして、ありがとうございました。引っ越してきた後は、よろしくお願いいたします」



「こちらこそ、よろしくお願いいたします」



 静香が頭を下げると、大人の横でにこにこしていた陸が口を開いた。



「よろしくね、夏海ちゃん」




いつの間にか身を乗り出して大人の表情を窺っていた夏海に話しかける。しかし夏海は素早く母親の後ろに隠れ、返事はしなかった。



「ごめんね、陸君。慣れるまで少し時間がかかるかもしれないから、気長に付き合ってあげてね」



「はい」



 夏海の態度に気を悪くした様子もなく、陸は礼儀正しく頭を下げて玄関を出ていった。両親がその後に続く。



 その様子を母親の後ろから盗み見ていた夏海は、どこか大人びた雰囲気をまとう少年にひどく興味を引かれていた。




*************




 それから半年後、隣人たちは新居に引っ越してきた。



 夏海の家より三倍以上はありそうな広い敷地に、この地域では見たこともないほど大きな家屋。



(海外のお金持ちのおうちみたい)



 外観が出来上がった頃から、夏海は門之園の家に憧れを抱くようになっていた。



 かつてはただの草原だった空き地が、今は芝生と花壇で彩られている。入居前日には、広い庭の片隅にブランコや滑り台が設置された。



(うちにもあれば、ジョンもいっぱい遊べるのに)



 近所には、夏海が一人で連れていけるようなドッグランはない。それに夏海の家の庭は狭く、ほとんどが駐車スペースで占められていた。



(あーあ。うちももっとお金持ちだったら良かったのに)



 通信機器メーカーで営業副部長を務めている父親の稼ぎなら、贅沢をしなければ十分に暮らしていける。それでも静香が必死に切り詰めているのは、家のローンがまだ残っているし、娘の将来のために貯蓄もしたいからだった。夏海が小学校に上がって落ち着いたら、パートも始めるつもりでいる。



 そんな両親の苦労を知らずに、夏海は贅沢な暮らしを夢想した。



(お姫様みたいなドレスを着て、おやつだって毎日お店で買ったケーキで、お人形さんだって誕生日じゃなくても買ってもらえて――)



 陸はきっと、欲しいものはぜんぶ手に入れているのだろう。隣人たちが引っ越してきた当日から、庭で一人で遊んでいる陸を羨望の眼差しで部屋の窓からこっそり眺めていたのだった。

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