隣のセレブ①
夏海が五歳の頃、よく遊んでいた家の横の広い空き地にテープが張りめぐされ、立ち入り禁止になった。
「あそこではもう遊んじゃいけないの?」
誕生日にプレゼントされた柴犬の子犬を抱いて、寂しそうにつぶやく夏海。
「そうね。あそこはもう別の人のものだから、ジョンがウンチをしたら嫌がられるでしょう?」
母親の静香は、ため息交じりにそう答えた。
「ウンチはちゃんと片付けてるもん!」
頬を膨らませてごねる夏海に、静香は眉をひそめた。
「仕方ないでしょう? これから大工さんが来ておうちを建てるんだから、その辺で遊んでいたら危ないし。・・・でもあの土地全部を買うなんて、ずいぶん裕福なお宅なのね」
不安そうな、それでいて不機嫌そうな表情を浮かべた母親の顔を見て、夏海はうなだれる。
土地はすでに整備され、シロツメクサもクローバーももう見当たらない。
気軽に外に出て、空き地に咲いた花で冠を作ったり、四つ葉のクローバーを探して遊ぶことはもうできなくなってしまった。
これからはわざわざ公園に行かなくてはならないが、人見知りの激しい夏海にとって、同じ年頃の子たちの輪に入っていくのは苦痛でしかない。
「ジョンの散歩は多摩川沿いに行くしかないわねぇ。あの辺はまだ一人じゃ危ないから、これからは時間を決めてお母さんと一緒に行こう」
「うん」
隣に越してくる家族が挨拶に来たのは、本格的に工事が始まった一週間後のことだった。
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「はじめまして。門之園と申します。しばらくの間、騒音などでご迷惑をおかけするかと思います。申し訳ありません。こちらはつまらないものですが、お収めください」
その家族は、上品な雰囲気を漂わせていた。夏海の幼い目にも、量販店で買ったワンピースを着ている母が引け目を感じているのが見て取れる。
「ご丁寧に、ありがとうございます」
いかにも高級そうな紙袋に入った菓子折りを受け取り、静香はぺこりと頭を下げた。夏海はその後ろに立ち、母親の腰の辺りの生地をつかんでいる。恥ずかしくて前に出ることはできないが、新しい隣人に興味はあった。
「お嬢さんはいくつですか? うちの陸は年長なんです」
低いが良く通る声で、門之園の父親が尋ねた。
「あら、同い年ですね。この子は夏海。陸くん、よろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
両親に挟まれて立っている男児は笑顔を浮かべ、礼儀正しくおじぎをした。綺麗に切りそろえられた髪が、さらりと額に流れる。
白いシャツにモカ色の短パンといったシンプルな服装だが、胸元に刺繍さている小さなロゴは、高級ブランドのものだった。
それに目ざとく気づいた静香は、ちらりと娘を見おろした。自分と同じ、量販店のバーゲンで買った水色のTシャツにピンクのスパッツ。食べ物の染みがところどころに付いている。隣人との経済格差を見せつけられたような気がして、気恥ずかしくなる。
夏海にも前に出てきちんと挨拶するよう促したが、母親の尻に顔を押し付け、頑として動こうとしなかった。
「ごめんなさいね、夏海は人見知りが激しくて」
苦笑しながら静香が言い訳すると、門之園の妻はやわらかな笑みを浮かべた。
肩より少し長い柔らかなウェーブがかかった彼女の髪は、乱れひとつない。静香は無意識のうちに、雑にまとめた伸ばしっぱなしの髪を撫でつけていた。
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