第8話 後日談
「あ、あの。」
「どうしたの?」
「ちょっと、寄るところがあるので、先に帰ってもらってもいいですか?」
「ああ、いいけど。どこ行くの?」
「ひ!…秘密です。」
最初の一文字が裏返ってしまい、恥ずかしそうな弥生さん。
「と、とにかく先に帰ってください。」
「わかったよー」
さすがに夏とはいえ、もうあたりは暗くなろうとしていた。しかし、人間の本能はまだ使えるようで、若干暗かろうが意外と見えるのだ。前方から、足音が聞こえる。
とんでもないスピードで聞こえる足音は、恐怖を掻き立てた。
人間、怖いと足が動かなくなるらしい。
誰だよ、誰なんだよ、怖いわ!よく見ると、確実に女学生だった。こんな速い学生がいるもんだなぁ。
「見つけたぞ!干支暦和!」
え、知り合い?
「人には昼までに帰れっつったのに、家に帰ったら誰もいないってどういうことだよ!」
あ、さつきちゃんか。
「くらえ!」
バンッ
彼女の右ストレートが、鳩尾にクリーンヒットした。
ぐはっ。
「参ったか!今まで何していたか話せ!あと、お姉ちゃんをどこへやった!」
誇らしげに仁王立ちをするさつきちゃんに、誤解のないように話した。
微に入り細を穿って、詳らかに細かく、語った。
「いや、別にそこまで知りたかった訳じゃないんだよな…途中からつまんなかったかったし。」
努力が無駄になった瞬間だった。つまんないってなんだよ!
「そもそも、全部話したところで、私が覚えてるわけないでしょ。」
確かにな。
「あ!今確かにって思ったでしょ!」
超能力は持っているらしい。
「まあ、立ち話もあれだし、ご飯もう作ってあるから、帰ろ!」
左手を差し出し、ニコッと笑顔を浮かべるさつきちゃん。嫌な予感しかしないが仕方ない。
右手を出すと、
「じゃあ、行くよ!3・2・1ゴー!」
ちょちょちょっと待って!心の準備が~!
まったく、手加減を知らない妹さんだこと。
「その妹を、ほったらかした罰だよー!」
そりゃ、さつきちゃんのスピードに合うはずもなく、途中から引きずられてしまったが、それでもやっぱり家につくのは早かった。
「たっだいまー!」
「ただい…あれ?」
玄関のを見ると、既に弥生さんの靴があった。
「お帰り~遅かったですね。」
「いろいろあってな。」
「そうですか。」
さっきから、さつきちゃんがソワソワしている。
「どうしたの?トイレ?」
「ばっばか!違うっつーの!」
「そう?ならいいけど。」
疲れたので、いつもの席に座る。柔らかいソファのため、座り心地は最高ですぐ寝れそうだった。
「あ、あの。ちょっといいですか?」
「どうしたの?弥生さん。」
左手に持っていたのは、一枚の書類。見たことはないが、見覚えのあるものだ。右手の小指にはめられているのは、琥珀色の指輪。なにか妙な雰囲気が、感じられた。
『人っていうのはですね?誰かに願われたから、いてほしいと思われたから、存在するんですよ。でなきゃ、無駄じゃないですか。』
この言葉を思い出す。これは、4月のこと、不気味で不可解で奇妙な後輩、河内冴姫が去り際に放った一言。
「わ、私と…うーん違うな~」
「私の…これじゃないなぁ。ちょっと待っててくださいね。」
さっきの雰囲気はどこに言ったのだろうか?ちょっと真剣なシーンかと思いきや、一人で悩み始めちゃったし。思わず、笑みがこぼれた。
すかさず、さつきちゃんがフォローに入る。
「お姉ちゃん、ちょっと。」
耳元でこそこそと話している。なんだろうか?
「じゃあ、改めまして。」
「はい。」
「よみかず君。私をお嫁さんに、してください!」
やはりそうか。そうだよね。なんとなく、感じてはいたよ。別に俺も好きだしね?なんでこんなに冷静かって?そりゃ、冷静にならなきゃ。男だよ?頼むぜ。
俺はこれから先、こういったことを乗り越えていかなくてはならないんだ。おじいちゃんだって、幾多の女性に求婚され、それを冷静に断っていったという。本当に男らしいぜ。俺も見習わなくてはならない。だから、こんなところで盛り上がるなどということは起きないんだよ。まったく、我ながら冷静さが疎ましい。
「ひゃっほー!!!!!よっしゃー!ついに、あの弥生さんと結婚だぜ!やったー!どうしよう、このドキドキとまんねぇ!たまんねぇ!」
「よ、よみかず君?」
「どうしよっかな~やっぱり、寝室は二人で一緒だろ?」
「あの~一応返事を…」
「んなもん、言わなくてもわかるだろ!OKだよ!でもね、その書類には名前を書かないよ!」
「え、どうしてですか!」
「だって~書いたら、この生活が終わっちゃうんでしょ?」
「え!?…流石ですね。勘はやっぱり鋭いです。」
「ほら、やっぱりな。でも、ちゃんとは分からないけどね。」
「今はまだそれくらいにしておいてください。」
「まぁ、成功してよかったね、お姉ちゃん!」
「そうだね。」
「じゃあ、夜ご飯だ!」
なぜこの生活が終わるのか。その問いに対する答えはもう分かっている。
誰かが願うことで、存在するならば、その願いが叶えば、もしくは終われば存在はしなくなるのだろう。
だからこそ、俺はまだ弥生さんの願いを叶えるわけにはいかない。
明日もこうして、笑顔が耐えない生活を続けるために。
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