統計的事実と体感事実の乖離が、極論やカルト、似非科学、ネット世論操作を育てる
事実や真実というものは時代によって変化するし、人間はほとんどの場合理性的でも論理的でもない。確たる事実があり、人間が理性的かつ論理的に行動する、なんていうのが時代遅れのファンタジーで、ほとんどの科学は長い間ファンジー世界に構築された物語だったとやっと最近になって気がつき始めた。
社会科学だけの話ではなく、全ての科学はそういうものだ。『科学革命の構造』が世に出てからメタ科学とでも言うべきものが発展し、絶対的な真理なんてものがないことはある程度共有されてきた。
確たる事実も論理も存在しない世界だから、『ファクトフルネス』も嫌韓、嫌中あるいは陰謀論は同じように読まれ、信じ、拡散される。多少でも論理的な思考をする人なら『ファクトフルネス』に含まれるいくつもの深刻な問題に気がつくはずだけど、そういう人はごく一握りだ。それなしに『ファクトフルネス』を信じる人は後述するように、統計的事実と体感事実の乖離を埋めるものとして利用しているだけで、それはカルトや陰謀論と変わらない読み方だ。
多くの人が事実というもの以外に、「体感事実」というものがあり、そちらの方が理性も論理もない人間は信じやすいと最近思うようになった。体感事実というのは、感覚的な事実だ。統計上、殺人事件が減っていても日々接しているニュースでの報道が増えていれば増えていると感じる。こういうとそこまでの話だが、ネットによって体感事実は大きく広がった。
ネットに流れるさまざまな情報は莫大であり、そこには世界中で発生している事件や事故、悲劇が大量に含まれている。つまり体験事実として事件や事故、悲劇は増加する。交通事故の統計的比率が下がっても、体感比率は上がることがある。その方が保険会社は儲かる。
同様に検証された歴史的事実あるいは科学的事実についても、広大なネットの中には反証データが存在する。世界の果てにある大学の教授が妄想の挙げ句に生み出したものであっても、それはひとつの文献として参照可能だ。あるいはワクチン接種による死亡事故に関するニュース(フェイクニュースだったとしても)だってどこかで見つかるだろう。似非科学やカルトやネトウヨが産まれる温床となる。
ネットの拡大とSNSによる情報共有によって統計的事実と体感事実の乖離が広がった。多くの人は素直に疑問に思う。これだけ世の中が悪くなっているように見える(体感事実)のに、なぜ政治家や科学者はそうではないと言うのだろう?(統計的事実)。この乖離を埋めるのが、似非科学、カルト、陰謀論、極論だ。人は体感事実を信じがちだから、それと統計的事実が異なるのは、今の科学が間違っているから、陰謀のせいといった説明に飛びついてしまう(表向き統計的事実っぽい体裁をしているし)。これらがネット世論操作の産まれる温床になっている。
フェイクニュース対策としてリテラシー向上が決め手にならないのは、人が体感事実によって動くからである。統計的事実を確認しても、それはその人が感じている世界とは相容れない感覚を残してしまうものだ。体感事実を構成する元を絶たなければ対策にはなり得ない。嫌悪や恐怖を操って政権や市場を掌握することを止めないといけない。
ついでに言うと嫌悪や不安の感情は人間が動く動機になる。保険や薬や安全保障など各種産業の需要を喚起するにはもってこいである。政権の支持をとりつけるにもうってつけだ。多くの政権や産業はスポンサーとなって世界中から嫌悪と不安の元を集め、ばらまいている。
統計的事実がよくなっていれば人々は日々の生活に不満を持たない。体験事実が悪化していれば人々は嫌悪と不安にかられて、極論政権を支持し、安全を求めて消費に走る。
体感世界で拡大、充実したことで、世界は極論に走り、体感する脅威は深刻化している。
しかし体感事実そのものが悪いわけではない。人間は体感事実によって安心し、場合によっては希望を持つ。要は使いようである。人間は感情の生き物であり、体感事実は感情世界の感覚なのだから、
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