桃色の真実

 一週間は日曜日から始まるのか、月曜日から始まるのか、そんな疑問を抱いたことがある人もいることだろう。結論から言わせてもらうと、どちらでも個人の好きな方にすればいい、と私は思う。日曜日から始めたい人は日曜から、そうでなければ月曜から始めるだけのことだ。月めくりのカレンダーだって、月曜始まりの形式も市販されるようになったとのことだし、誰にだって都合というものがあるのだから。

 日曜日の昼過ぎ、まず私は自転車屋の向かいにある縦長三階建ての古本屋に寄って、掘り出しものを物色する。惹きつけられたタイトルを手に取って冒頭部分を読んでから持ち帰るかどうかを決める。フィーリングというやつだ。その後、行きつけの喫茶店でコーヒーを嗜みながら買ったばかりの文庫本を読み耽る。食器がぶつかる音や、店員を呼びつける音、連れ立ってやってきた人たちの聞こえそうで聞こえない会話と、かすかに流れるジャズのバックミュージック。それらが重なり合ってトタンに降り注ぐ雨音みたいに鳴り響くから心地良く、集中力も高まるのだ。自習室の音が好きだった、と言えば分かってもらえるはず。

 少し前までは、これが私の一週間の終わりだった。だが、そのルーティンも終わりを告げることになってしまった。正確には、終わるはずのところにもう一つ予定が入ったという方が正しい。おかげでやむを得ず栞を挟むことだってしばしばあった。

 夕方になれば、私は友人と顔を合わせて小一時間ほど世間話をするのだ。私の一週間が、彼女と交わす奥が深いようで身のない会話によって締めくくられることには、どうも納得ができなかった。

 そういうわけで、私の一週間は日曜日から始まるようになったのだ。始まりであれば問題はない。私はどちらかといえば「終わりよければ」の派閥である。私とジニアの記念すべき会合。その第一回目の話をしようと思う。


 日曜日の夕方、声を出すことができない私は派手な服装をした女とファミレスで向かい合っている。全国区展開されたどこにでもある駅前のファミリーレストランだ。外にはかき氷フェアの幟がまだ立っていた。夏もいよいよ大詰めで、外より少しだけ涼しくなった店内には、老夫婦や高校生らしき集団。パソコンを堂々と広げてなにやら忙しそうなスーツ姿の人、当然の家族連れ、等々でごった返している。

 その一端。隔離されたような二人席に私は腰掛けている。目に映るものをもう一度確かめるように一瞥した。ショッキングピンクのワンピースに薄桃色のバケットハット。一口に言ってしまえば変わり者だ。人は派手だというだけで、注目を浴びる。およそ悪いイメージを引っさげて。私では到底真似することはできない所業だった。あまりに派手な服装をしているので、見つめていたら向こうから「あんた、わたしと少しだけ話をしてくれないか?」と声がかかった。私は頷く。有無を言わせぬ感じがしたのだ。

 店の中に入りたいと言い出したのは彼女の方だ。事情をひとしきり話してしまった彼女は「立ち話もなんだから」と言って、私をファミレスに連れていった。私はこの時、異様な状況に困惑していたのかもしれない。今思えばここで断るべきだったのだ。考えもなしにファミレスというのがいけなかった。

 私はベルスターを押して店員を呼び、机に広げたメニューを指さすことで注文に代えた。アイスコーヒーを頼もうとしたが、以前この店に来た時、無糖か加糖か聞かれて面倒だったことが頭に浮かぶ。咄嗟に指の行き先を切り替え、日替わりケーキと紅茶のセットの上に滑らせた。特に何も聞かれることなく、無事に注文は終わった。

「あんたは、やはり良い奴だ」

 店員が去るのを確認した後で、彼女は言った。私はわずかに首を横に振って否定する。私が意思を伝える手段は簡単な身振り手振りくらいだ。いまから短時間で手話を叩き込むのは、どう考えても無理な相談である。次回があるならば、紙とペンでも用意しておくことにしよう。

「わたしのことはジニアと呼んでくれ」と、彼女は言ったのだが、もちろん名前を呼ぶことはできなかった。頭の中で何度か「ジニア」と、馴染みのない名前を繰り返してみる。技術者だろうか。いや、それなら「エンジ」だろう。

 幸いなことに、ジニアは話がしたいと言うよりは話を聞いて欲しいみたいだったので、なんとか私でも役に立てそうだった。

「あんたはわたしの友達になってくれるかい?」

 ほどよく熱されたおしぼりで両手を拭きながら私は軽く頷き返す。ジニアの左耳にぶらさがった三日月のピアスが揺れた。

「ありがとう。君は記念すべき二人目のわたしの友人だ。こんな姿だといろいろ苦労するんでね。変わり者はなかなか受け入れられないんだ。ちなみに一人目は近所に住む白い毛並みの野良猫ちゃんさ。羨ましいだろ?」

 たしかに。猫と友達になれるのは憧れることだが、友達が二人というのはなんとも心細いものがある。私でよければ話し相手くらいにはなれるだろう。ここらで私は警戒心を解く。悪意はこれっぽっちも見つからなかった。

「あんたは、みたところ感受性が人よりも強いようだな。これから生きていく上で、受け取るものが多いということは損な役回りになることもままあるかもしれないが、大事にするといい。きっと、素敵なことがあるさ」

 ジニアが言ったところで、アルバイトの店員が盆を持ってやってきた。日替わりのケーキは、全体に粉砂糖がまぶされ、隅にベリーの添えられたチーズケーキだった。

「さて。わたしは初対面で気に入った奴には、まずこの話から始めることにしているんだ」

 ジニアがたっぷり間をとったので、私はチーズケーキの先端をフォークで落として口へ運びながら、白い毛並みの猫ちゃんとやらにも話したのだろうか、と馬鹿げたことを考えた。

「真実は可変なり」

 続けて咳払いをしたジニアは、大仰にして語り始める。

「語るにあたってお誂え向きの状況がここにある。こうしてわたしとあんたが向き合っているということだ。大前提として、神の見る真実……そうだな、全ての状況を理解した者だけが知る出来事。それが事実である、ということを頭に入れておいて欲しい。簡単に言えば、定点カメラの記録みたいなものだな。あらゆる角度からの情報を一切網羅した事実だ。そうではなくて、実際にあんたの目で見ている真実、あんたの目に映っている真実、それはなんだ?」

 ジニアと私の間に沈黙が流れた。日曜日のファミレスにはお客さんが大勢いるけれど、思いの外、静かだった。いや、ジニアと過ごしているとそんな気がするだけかもしれない。どこか嘘の途中みたいな、夢の中にいるみたいな感覚が襲ってくるのだ。

「あぁ、悪かったよ。無理を言って済まなかった。それじゃあ、こうしようか。イエスなら右手を、ノーなら左手を動かしてくれ。どちらでもない場合は首でも傾げてくれればいい」

 なるほど、と私はチーズケーキの二口目を右手で崩し、肯定の意を示す。

「それじゃあ一つずつ視点を変えて話していこうか。まず、わたしから見た場合はこうだ。どこにでもあるファミリーレストランで女二人が向かい合っている。あんたは話すことができないが、意思の疎通は可能である。ずばりこれは、友人とのささやかな休日の一コマだ。私は話を聞いてもらえる喜びを噛み締めているだけ」

 イエス。私は右手をはらりと動かして、紅茶がなみなみ入ったティーカップへと運んだ。

「だろうな。お次は第三者だ。店の中にいる周りの客たちは先ほどから全く喋らないあんたを見て不審がっている」

 ノーだ。左手で髪をかきあげてみる。全くもって問題がない。そもそもこちらに意識を向けていないような気がするが、声が出せないということを知らなくたって、この状況を変に感じる必要はこれっぽっちもないのだ。

「先程からやってきている店員は、わたしの目の前に、わたしの大好物である甘ったるいミルクづくしの珈琲が置かれていないことを訝しんでいる」

 これもノー。左手だ。ジニアの分は頼んでいないのだから当たり前のことだった。ジニアは甘党なのか、と私は記憶する。可能であれば友人として何かプレゼントをしてあげたくなった。

「では、次で最後の質問にするとしよう。まだ、客観視点だな。わたしとあんたは仲の良い友達として見られている」

 私は少しだけ悩んで、辺りをぐるりと見回した。左手を動かそうとしてやっぱり止める。結局、私は首を傾げることになった。本当に分からないので、ちょっと大袈裟に傾けておいた。

「そうか、そうだよな。可能性は捨てきれないってところか」

 とりあえず私にとっての真実というのであれば、目の前には、上から下まで桃色をしたジニアが確かに座っている。それだけだ。異質なことなんてこれっぽっちもないのだ。

「真実は可変なり、とはつまりそういうことだ。この世界には誰それの真実があるから状況が変わり得るわけだ。衝突が生まれるし、意見の食い違いが起きてしまう。真実の口伝えなんて到底無理なのだ。映像ですら偏りがあるというのだから。しかし逆に、それぞれ良いように捉えてしまえばいい、とも考えられる。他の言葉に言い換えるのであれば、どうでもいいってことなのさ。えてして物事とは、きりがないことなのだからね」

 どうでもいい。それは、なかなか言い得て妙で、周りの人たちも自らに関わらない出来事には、思いのほか無関心で無頓着で、無警戒だったりするのだ。

「今日はこのくらいにしておこうか。できれば、来週も頼むよ」

 ジニアは帽子を脱がずに頭を下げる。三日月が揺れるべくして揺れた。私は軽く頷いてから会計を済ませ、店をあとにした。随分と長く感じたが、ほんの三十分くらいの出来事でしかなかった。

 駅前の交差点で私のアパートとは逆方向へ歩いていくジニアを見送る。小さくなっていく後ろ姿はやはり派手なピンク色をしていた。存在感はこんなにもあるはずなのに。誰にも見咎められずに進んでいく。しゃなりしゃなりと歩いているけれど、ジニアのハイヒールは靴音を立てることはなかった。


 交差点からアパートまでの道のりを、自転車が壊れてしまった私はとぼとぼ歩いて帰っていた。そろそろ修理に出さなければ、と思ってはいるのだけれど、だんだん涼しくなってきたせいで、歩くこともなんだか心地が良い。運動にもなるし、一石二鳥とはこのことだ。もう少ししたら、駅前の自転車屋に持っていこう。以前、あそこの自転車屋は変わったサービスを行っているなんて聞いたことがあるけれど、なんだったか忘れてしまった。確か家にビラが残っていたはずだ、安く済むだろうか。

 読み損ねた文庫本をいつ消化しようか、思案していたら、やたらと荷物を抱えた少女が、目の覚めるような青色の自転車で私の横を駆け抜けていった。暗幕のようなマントを翻し、腰には日本刀らしき物がささっていた。器用にこぐものだな、とぼんやり後ろ姿を眺める。少女が角を曲がって見えなくなった時、鞄の中で携帯電話が震え始めた。

「もしもし? いま時間大丈夫?」

 電話口の向こうから会社の同期である朝美の声がした。

「へーき、どうかしたの?」

 私の喉から出た声は、出し方を忘れてしまったかのように小さいものだった。軽く咳をして切り替える。

「なんか声が掠れているね」

「さっきまで、お店の中にいたからね。一人で喋るわけにはいかないでしょう?」

「また本を読み耽ってたのね」

「いいや、今回は素敵な話よ。明日またゆっくり聞かせてあげる。で、本題は何?」

「えぇと、突然ごめんだけど、加奈に頼みがあるの」

「やっかいなことじゃないでしょうね? 前置きはいいから手短にお願い」

「そうね。家に霊が取り憑いたって、私の友達がうるさいの。なんとかしてくれないかな?」

 やはり厄介なことだった。どうしてこうも私の周りには集まってくるのかしら。私が異質なことは認めるが、そっとしておいてはくれないだろうか。でも、今日は気分が良かった。

「分かったよ。どうも頼みを聞いてあげるのは良いことみたい。もっとも私みたいに姿も見れるし声を聞くこともできる、という前提だけれど」

「だから、加奈にお願いしてるんじゃない。ダメなの?」

「わかったわよ。それなりの褒美は頂戴するからね」

 私は答えた。そういえば、つい先週のことだったか、私の部屋にもこちらの様子を伺う霊が現れたのだった。今までにないタイプだったからやたら印象に残っている。常に息を潜めているみたいでおとなしそうな奴だったけれど、ジニアみたいな根無しの浮遊霊なのだろうか。元気でやってるといいな、私はそう思った。

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