第28話 心残りは何でしょう? ②

 

 ***



 しかしどうしたものか。

 まったくの手掛かりがない状態で、毎日やみくもに歩いている。

 幽さんはのんびり行こうと言っているけど、出会ってから三か月。充分のんびりした。


「ねえ幽さぁん。なんか見たことある風景とかないの?」

『う~ん。……あるようなないような』


 躰慣らしに自宅界隈から探索をはじめたものの、幽さんの反応がどうにも薄い。

 記憶がないから、そんなものなのかなとは思うけど。

 閑静な住宅地の町並みは、どこも幽さんの記憶に触れる所はなかった。

 公園、小学校、古くから空き地になっている場所も、幽さんが首を振ると沙和がガックリと肩を落とし、すぐに気を取り直して彼女の思い出話に花が咲く。


 小学校の帰り道にやたらと吠える大きな犬がいて、その家の前だけ走り抜けたとか、ここの家には柿の実がなり、落ちて来るのをひたすら待っていたら、おばあちゃんがお裾分けしてくれたとか、ここの家から聞こえて来るピアノの音が好きだったとか、他愛のない話が次から次へと溢れて来る。


 幽さんは優しく微笑んで、相槌を打ちながら沙和の話を聞いてくれる。それが嬉しい。

 まあ終始こんな状態なので、のんびりしてられないと言いつつ、探索の足取りは緩いものだ。

 そうこうしている間に、沙和は中学校まで来ていた。


「ここが、我が母校です」


 閉め切られた校門の前に立ち、校舎を見つめた。

 授業中だからか建物は静まり返り、校庭から等間隔でホイッスルの音が聞こえて来る。

 沙和がフェンス沿いに移動し始め、幽さんを振り返った。


「どうしたの、幽さん?」


 彼はすぐに応えず、しばし校舎を見つめていた。それから周囲に視線を巡らせ、どこか戸惑った面持ちで沙和に目を向けた。


中学校ここ、知っているかも知れない』

「本当に!? 幽さん、先輩だったのかな!?」

『……それは、どうだろ? ここに立って学校を見ていると、寂しくて、ザワザワして身悶えたくなる感じがするのに、何だか苛立たしさも感じるんだよな。あまり好い思い出がないのかも知れない』


 そう言って憮然と顔を顰める。


「幽さんって、もしかしてイジメられっ子だったとか?」

『誰に言っている誰に』


 沙和も言ってから “ないな” とは思ったのだけど、訂正する前にムニッと両頬を抓まれ、眉尻を下げた彼女が「らっへ~」と情けない声を上げると、幽さんがぶっと吹き出した。

 沙和は顔前で暴れるように腕を振り回し、幽さんの手を払い除けようとする。けれど腕は幽さんを擦り抜けて当たらず、抗議めいた上目遣いで彼を睨んだ。すると幽さんは指の力を抜いて、今度は手の平の中で頬をウリウリと回す。

 幽さんは沙和に触れるのに、彼女が触れることは出来ない。こういう時の幽さんは、本当にズルいと歯噛みしたくなる。


「笑わないでよっ」

『悪い悪い』


 悪いなんてこれっぽっちも思ってないだろう彼は、なかなか笑いを引っ込めてくれず、沙和が膨れっ面でズンズン歩き出す。すると頭上から逆さまになった幽さんが、沙和の顔を覗き込んで来た。


『さ~わ~。沙和ちゃ~ん。怒った顔も可愛いけど、眉間の皺が消えなくなっちゃうぞぉ?』

「ふんだ。知らない」


 ツンとそっぽを向く。が、皺に居座られるのはお断りなので、眉間から力を抜いた。怒りよりも乙女心が優先である。

 沙和はふと足を止め、フェンス越しに校庭を眺め見た。どうやら体力測定をしているようだ。


「わっかいなぁ」


 ポロッと漏れた言葉に、またも幽さんが吹き出す。じろりと見ると彼は笑いを苦笑に変えて、


『沙和だって若いだろ』


 そもそも体力なんて関係なく、いつまでも若いままの幽さんの言葉に、沙和は肩を落として溜息を吐く。


「中学生の無尽蔵な体力に勝てる訳ないじゃん。唯でさえこっちは病み上がりだし」

『体力はこれからゆっくり戻せばいいさ』

「そうだけど……」


 言い淀んで口を噤む。

 大丈夫だと思っていても、不安が全くなくなった訳ではない。

 そんな沙和の不安を払拭するかのように、力強い笑顔を浮かべた幽さんが彼女の頭を鷲掴んで振り回した。されるがままの沙和の頭がグラグラと揺れる。


「ちょっとぉ」


 そう言っている間にも思考が撹拌されて、沙和の頭から不安が消えていく。

 揺れる頭がピタッと止まり、幽さんが沙和のしかめっ面を覗き込んで口元に弧を描いた。


『大丈夫。沙和の心臓は力強く動いてる。俺が保証してやるから』


 半共有しているしている幽さんのお墨付きを貰って、沙和の顔に笑みが浮かんだ。幽さんも破顔する。

 しばらく中学校を見ていたけれど、幽さんの記憶を呼び覚ます物がこれ以上なかったようなので、二人はまたゆっくりと歩き出した。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る