第29話 心残りは何でしょう? ③

 


 辺りの風景を眺め見ながら、いつの間にか隣の町まで歩いていた。


「篤志の家、この近くだけど行ってみる?」

『誰が行くか』


 悪戯っぽく聞いてみたら、心底嫌そうな声が返って来た。沙和はくすくす笑いながら続ける。


「じゃあ美鈴んちは? ここから歩いて五分くらい」

『だから何でわざわざ天敵の所に行く必要があるんだ?』

「ついで?」

『そんなついでなんて忘れてしまいなさいね?』


 どうせ行ったところで、二人とも大学に行って不在なのだけれど。

 ふとそんなことを考えて、寂しさが胸に降ってくる。


「また、学校に通えるかなぁ?」


 そんな呟きが意図せず漏れた。

 ずっと休学したままの大学に思いを馳せる。


 半年も通えなかった。

 取り立てて勉強が好きなわけではなかったが、大学で出来た友人たちに会いたいと思う。学部が違う美鈴からの妨害がなかったので、中学以来初めて出来た友人たちだ。

 戻れることになったとしても、最初からやり直しだけど。

 今年度には間に合わなかった。


 無理に押し通そうとしたら家族が半狂乱になりそうで、口に出すのが躊躇われたのが正直なところ。しかも二十四時間三百六十五日、不眠不休で働けるお目付け役まで居る。篤志の二の前が出ることを考えただけで、胃が痛くなる案件だ。


 沙和の複雑な心境を知ってか知らずか、幽さんの掌がぽすぽすと頭上に落ちて来る。斜めに見上げれば、幽さんがやんわり微笑んでいた。

 釣られて沙和も笑顔になると、


『復学したいなら、復習をちゃんとしないとな?』


 思わず絶句した。


(人を誑し込むような微笑みで、そんな厭味など聞きたくなかったです……)


 いや。分かっている。

 幽さんは厭味のつもりで言っていない。

 純粋に、沙和への心配から出た言葉だと。


(ダラダラと寝て過ごしてたもんね)


 そうするしかなかったのだけど。


『大丈夫。案ずるな。俺が教えてやるから』

「……幽さん、勉強できるの? 記憶なくてもそうゆーことは覚えてるもの?」


 つい胡乱な目で見てしまう。

 幽さんは言葉に詰まったまましばらく考えて、『…多分』と頼りなく笑った。



 ***



 それからも毎日のように外出している。

 最初は心配ばかりしていた家族も、沙和が日増しに元気になるのを見て、口を出さなくなっていた。ただスマホのGPSは必須だけれど。


 この日は通勤通学ラッシュが過ぎてから、電車に乗ってほんの少し遠出していた。

 昔、母が再婚する前に住んでいた町に、幽さんが行ってみたいと言ったから。

 何で急にそんなことを言い出したのか幽さんに訊いてみたら、何となくと曖昧に答えただけだった。


 幽さんには言っていないけれど、あまり気が乗らない。

 沙和にとって、その町には苦い思い出しかない。

 苦労したとか、苛められたからとかではないけれど、悲しくなる町だった。

 それでも幽さんがやたら興味を示すので、沙和は重い腰を上げざる得なかったのだけど。

 もしかしたら、幽さんの記憶に関係する何かがあるのかも、そう考えたら行きたくないと言うのは、子供染みた我儘のような気がしてしまったのだ。


 自宅最寄りの駅から二つ目の駅に降り立つと、幽さんはお上りさん宛ら、口を半開きにして辺りを見渡した。


『ここ知ってるかも』


 言うや幽さんがスーッと移動を始めた。

 駅に降りてすぐ正面の商店街に向かっているようだ。

 赤信号で沙和が立ち止まっているのに、轢かれる心配のない幽さんは、何かに引き付けられるようにさっさと行ってしまう。


(と言っても、限界距離あるけどね)


 置いて行かれても五十メートル以上の単独行動が出来ない幽さんだから、沙和もあまり心配はしていない。

 それにしてもやはり気が重い。

 この町で大切な人に裏切られた。

 ずっと一緒にいてあげるからね、そう言った人はある日突然姿を見せなくなり、母が再婚し、この町を離れることになった。小学三年のちょうど今頃だ。

 いま思い出しても悲しくなる。


 沙和が物思いに耽っていると、すごい勢いで幽さんの後ろ姿がこちらに戻って来る。どうやら限界値を突破してしまったらしい。


(ホント、コントみたいだわ)


 擬音を充てるとしたら、ばびゅーんだろうか?

 走る車を突き抜けて、すたっと隣に幽さんが並んだ。


『お帰り』


 周りに人がいるので声に出さず言うと、久し振りだったから目を皿のようにした幽さんが沙和を見た。顔にはびっくりしたと書いてある。


『たっ…ただいま戻りました』

『はい。で、何かありましたか?』

『見たことある様なモノばかりで、わくわくする!』


 まるで小学生みたいな表情をする幽さんに、沙和はこっそり溜息を吐いた。

 出来ればこのまま悲しい記憶は封印していたかったけど、幽さんのこんな顔を見たらそうも言ってられないらしい。


 今さら過ぎてしまった過去よりも、優先すべきは幽さんの記憶奪還だと無理矢理納得する。そのために此処まで来たのだから、手ぶらで帰る訳にもいかないだろうと、自分を鼓舞する沙和は、また溜息を漏らした。


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