第20話 ニブイにもほどがある!! ①

 


 春休み前日の夜、一週間分の荷物を旅行鞄にまとめ、篤志は待ちに待った日の到来に表情を緩めた。

 荷物と言ってもそう多くはない。ジャージやスウェットなどの動きやすくて楽な物ばかりだ。あとは日用品。余計な物は一切禁止されている。

 スマホも指定された時間以外は、電源を落としておくように言われた。


(まあ遊びに行くわけじゃないしな)


 普段なら大騒ぎして抗議するところだが。

 篤志はベッドの上にゴロリと横たわり、見慣れた天井を眺める。

 明日から舞子の嫁ぎ先の寺に行き、捻じ込んだ約束を果たして貰う。

 必ずしも篤志の思い通りにならないかも知れないと、舞子は言っていた。だがそれは敢えて考えないようにした。


 沙和がようやく目覚めたと連絡がきた時、どれほど安堵したことだろう。

 もしかしたらこのまま目が覚めないのではないかと、嫌な考えが頭を掠める度、否定しながら頭を振った。

 不本意ながら美鈴と一緒に見舞いに行くと、予想だにしなかった現実が待ち構えていたが。


(沙和に男の幽霊が取り憑て離れないなんて、一体誰が考えるって言うんだ!?)


 聞いた瞬間、酷い眩暈に襲われた。

 しかも二人、何だかんだと仲が良さそうで、篤志には視えない男の霊に嫉妬した。

 沙和と美鈴と幽さん三人の会話が進んでいくことに苛立った。

 自分の定位置を奪われた焦り。

 視えない壁に阻まれて、三人に交わることも出来ないもどかしさ。

 唯一の救いは相手が生身の人間ではない事だったが、誰よりも沙和の近くにいる男の存在は看過できない。

 だから相手を知らなければと思う。


(大体、幽さんには見えて、俺には視えないなんて不公平過ぎだろっ。お祓いすることも出来ないんじゃ、俺に勝ち目ないじゃん……一方的に殴られるばっかで)


 非常にムカつく事案だ。

 美鈴が物凄く嬉しそうに『霊障かしら?』と笑っていたのが、余計に腹立つ。


(大体何なんだよ? 俺の顔を見ただけで殴りたくなるって!? 幽霊は幽霊らしく、草葉の陰から見てろよなッ)


 完全に偏見である。

 男の霊に憑かれると行き遅れるなんて言って、子供じみた牽制しか出来ない自分が情けない。そしてその時、沙和の面を掠めた愁いを見てしまった。

 手術痕に指を這わせた彼女に、これ以上無神経なことなんて言えない。

 しかし幽さんに邪魔されているのは事実であり、沙和は創の負い目から本当に行き遅れになりそうな気配を感じさせた。


 彼女の創が気にならないと言ったら嘘になる。

 目の当りにしたら、ビビるかも知れない。

 命の代償は大きかった。




 いよいよ明日から禊に入ると、沙和にラインする。

 直ぐに既読が付いてホッとした……のも束の間。


《――二度と帰って来なくていいぞ。そのまま一生修行してろ》


 帰ってきた文面に、篤志の蟀谷に青筋が浮く。こんな返事をしてくるのは一人しかいない。


「あンのヤローッ!!」


 画面に向かって怒声を上げると、沙和からの着信を知らせる画面に切り替わった。


「…さ『ごめんっ。幽さんに手を乗っ取られて』


 名前を呼びきる前に沙和の声が被さって来た。その内容に知らず渋面になる。


「手を乗っ取るって何だよ」

『手だけ乗り移られた…う~んとねぇ、操り人形みたいな感じ?』

「……有り得ね~ぇ」


 幽さんが沙和の躰を自由に動かせるなんて冗談ではない。そもそも幽霊なんだから、乗っ取るのは十八番なのかも知れないが、沙和を無視して勝手することが許せない。

 でもそれ以上に。


(羨ましすぎるっ!)


 イケナイ妄想がもわもわと脳内を占拠しそうになって、ハッとする。電話の向こうから届けられる沙和の心配する声に申し訳なくて、矢庭に躰を起こして居住まいを正した。

 こんなんで一週間、無事に乗り切れるのか心配だ。


『解脱してこい解脱……ちょっと幽さん! 勝手に止めてよ!』


 言ったのは幽さんだと理解しつつ、沙和の声で “解脱” と言われ、何故このタイミングと後ろめたくなる。そして追い打ち。


『煩悩を捨てられたら、特別沙和と話す権利をやる。それまで帰って来るなよ!?』


 沙和の声で言われると、反論したいのに出来ないのが悔しい。

 出会って日の浅い幽さんに、完全に気持ちを見透かされているのも納得いかない。沙和は八年も気付いてくれないのに。

 篤志が何のために舞子の元に行くのか、根本的な所を解っていない。もちろん想定内だ。

 でもこのまま何も知られずに行ってしまうのは、嫌だと思った。

 せめて沙和を想う気持ちだけでも伝えたい、そう思って意を決する。


(俺はヘタレを返上する!)


 拳をぎゅっと握りしめ、深く息を吸い込んだ。そしてゆっくり吐き出し、


「俺……沙和が、好きだ」


 関係を壊したくなくて、いつも飲み込んでいた言葉を舌に乗せた。


『あたしも篤志好きだよ……?』


 嬉しいフレーズだが、ニュアンスが違う。

 篤志の好きとは、十中八九違う。これまでの経験からして間違いない。悲しいかな。


「そーじゃなくて」

『そうじゃないって何なのよ? 意味わかんないよ?』

「だからっ……俺が言ってる好きは男として」

『…もしもしぃ? 篤志? 声聞こえないんだけどぉ? “だから” 何ぃ?』


 今度は電波障害か、と心中で怒鳴ると、またも沙和の声で幽さんが告げて来た。


『余計なこと言ってると、生きて日の目見られなくなるかもよ? ……もおっ! 幽さんいい加減にして!』


 沙和の声で物騒な言葉を囁かれ、篤志は喉を鳴らして唾を飲んだ。

 幽さんの仕業だと分かっていても、それが彼女の声だと思うと、拒絶されたような気になって来る。


(……ダメージ大)


 電話の向こうで沙和が幽さんを怒っている声を聴きながら、ベッドに正座していた篤志はそのまま前に倒れ込んだ。


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