第19話 ポルターガイストって普通の事でしたっけ? ⑦



 階下から母の劈く悲鳴が聞こえてきて、何事かと飛び起きた家族がリビングに集まってくる。


「何があったッ!?」


 逸早く駆けつけた沙和の姿を見て、父が訊いて来た。

 沙和はリビングの入り口で腰を抜かしている母を見、それに促された父の目が向く。遅れて駆けつけた奈々美と隼人の視線も注がれた。


「どうした? 大丈夫か!?」


 後ろから母の両肩を抱くようにして父が顔を覗き込んだ。すると蒼白になった母がぎこちなく首を回し、「こ……こっ…」と怯えて言葉にならないようだった。

 母が指さす方へ怪訝に目を走らせれば、床に散乱したガラス片と水溜りが出来ている。

 父は僅かに眉を寄せ、


「コップ落としたくらいで、あの悲鳴か?」

「ちがっ………コップがっ…う、浮いて」


 父には母がさぞかし頓珍漢なことを言っているように聞こえたろう。

 それで察した隼人が沙和の隣に並び、パジャマの背中をツンツン引っ張って来た。弟の何か言いたげな目が沙和を見ている。


(なんでこう嫌な予感って当たるんだろ……)


 仕様もない我儘なんて言うのではなかったと、腰を抜かしている母を見て自責の念が湧いてくる。


「はいはい。そこどいてっ」


 家族の垣根を掻き分けて、奈々美が前に出る。

 いつの間に取りに行ったのか、彼女の手にはゴム手袋が嵌められ、使い古しの雑巾が握られていた。

 周囲がパニック状態になっても、奈々美一人がマイペースで変わらない。


「沙和。古新聞ちょうだい。二部ね」

「あ、うん。ちょっと待って」


 手際よくガラス片を集める奈々美を一瞥し、新聞を取って来ると一部を広げて床に敷いた。奈々美がそこに破片を置く。

 傍らでは母の説明を聞いている父が、眉間に皺を寄せながら首を傾げている。


「少し疲れているんじゃないか?」


 真っ当な反応だ。

 それでもなお言い募る母に、ゆっくり休んだ方が良いと彼女を立たせる父。すると奈々美は二人の会話を遮るように隼人に目を配た。


「それって、隼人と仲良しの妖精さんの仕業なんじゃない?」


 この子はまた唐突に何を言い出すんだと、両親の目が愁いを帯びて長女を見ている。奈々美はそんな二人をまったく気にせず、満面の笑顔で両親を迎え撃つと、二人から失笑が漏れた。


(……奈々ちゃんって、やっぱ強者だ)


 咄嗟の機転が利いて、しっかり者の良いお姉ちゃんだけど、人とちょっとズレているから唖然とさせられることが間々ある。そしてそんな彼女の両親である二人も、慣れてしまって大概アバウトだ。


(良く言えば、柔軟? 寛容?)


 で、何気に矛先を向けられた隼人の顔に、言いようのない笑みが浮ぶのを見た沙和の顔もまた、奇妙に歪んだ。


「しかし、妖精とはね~」


 実娘のデンパな発言に、戸惑いを隠しきれてない笑みで父が言う。奈々美は残りの古新聞を水溜りに被せ、心外そうに眉を顰めた。


「あら。信じてないわね? 隼人がちっちゃい時、よくブツブツ言ってたじゃない? それで『誰と話してるの?』って聞いたことあるのよ。そしたら『妖精さん』って隼人が答えたんだもの。可愛い弟の言うことを疑ったら可哀想でしょ?」


「そうなのか?」

「そうみたい」


 としか答えようがなくて、隼人は能面のような笑顔を父に向けた。そしてすぐに言を継ぐ。


「でもホントは妖精なんかじゃなくて、幽霊だったんだけどね」


 妖精の正体が幽霊と聞いて父はしばし言葉を失い、母は美鈴と面識があるせいか、意外にもあっさり受け入れているようで「そうなのね」と呟いた。


(先刻は腰抜かすほど驚いてたのに、順応はやっ。さすが我が母だわ)


 目が覚めた時に見知らぬ男がいて驚いたのに、幽霊だと聞いてもあまり驚かなかった自分を振り返って、間違いなくこの人の娘だと頷いた。それから父の困惑のしように苦笑する。


「………そ、それはまた…何と言うか、だな」

「別に信じてくれなくてもいいよ? でも沙和お姉ちゃんの守護霊が、時々こうやって驚かせるかも知れないから、覚えてた方がいいかもね?」

「沙和の守護霊なのか?」

「そうだよ。幽霊の幽さんだって」


 父が小さく噴き出して「幽霊の幽さん?」と聞き返す。隼人がこくんと頷くと、


「センスないなぁ。いつの生まれの幽霊だ?」


 ニヤニヤした父に軽く抉られ、沙和はがっくり項垂れた。


(……何も笑わなくたって)


「僕もどうかと思う」


 間髪入れず隼人に追い打ちをかけられて、涙目になった沙和の口がはくはくと何か言いたげに動く。

 隼人は横目に沙和を見上げて、小さな溜息を吐いた。小学生に憐れまれた感が居た堪れず、反論に出た言葉も情けない……。


「だっ、だって他に思いつかなかったんだもんっ」

「そんな沙和お姉ちゃんが大好きだよ」


 ぽんぽんと沙和の背中を叩き、天使の微笑みを向けて来る隼人を前にして、彼女は敗北感に膝を折ったのだった。




 そんな訳で、幽さんは “山本家公認幽霊” となった。

 けれど、幽さんは相変わらず引き篭もっているか、隣近所で遊んでいる。隼人以外の家族の前には出たくないようなので、沙和も無理は言わない。

 それでも家族の目から隠すことがなくなっただけ、気は楽になった。


 両親や奈々美が何としても幽さんを見てやろうとして、沙和や隼人の独り言を耳にすると部屋に突撃してくるのには参る。


(突撃されたところで、視えないだろうけどね)


 母だけはたまに気配を感じるのか、口元を綻ばせている。幽さんは不本意そうに口を尖らせているけど。

 ラップ音やポルターガイスト現象が、当たり前のように日常に溶け込んでいる。

 ああ、いるいる―――笑って幽霊の存在を確認する家庭もそうはないだろう。


(座敷童じゃないんだから)


 大き過ぎて、わらしと呼ぶには可愛さに欠けると言ったら、何だかちょっと傷付いた顔をしていたのは、見なかったことにした。


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