第12話 相性悪いです…? ⑥

 


 それにしてもと呟き、思案顔の美鈴に目を遣る。


「アイツ何者かしら……」


 柳眉を顰めて忌々し気に親指の爪を噛む。沙和が居たら爪の形が悪くなると言って止めさせるが、篤志は素知らぬ顔をする。美鈴の爪の形など、どうだっていい。

 それよりも彼女が言った “アイツ” にイラっとして、足取りが粗くなった。


 篤志だけが視えない “アイツ” の存在に、言い知れない不安と焦りを感じる。

 相手が生き人ではないと承知しながら、沙和を取られた気がして仕方ない。


(大体、記憶がないって本当か? 舞子さんの霊視を疑う訳じゃないけど、離れられないとかってゆーのも、なんか怪しいし。無性に俺を殴りたくなるとかってほざいたらしいけど、それはこっちだって一緒だっつーの!ポッと出が偉そうにしやがって)


 そのポッと出に、沙和が心を許しているのも癪に障る。

 この数年、身内以外の親しい男は篤志だけだったことに、多少の優越感があった。なのにそれを覆す存在。


 沙和は幽さんの事を知らないらしい。

 美鈴の記憶は端から当てにしてない。

 顔が視えなければ、篤志が知っている者なのかすら分からない。

 これではお手上げだ。

 なのに目の敵にされて、身を護る術もなくただ殴られるだけなんて理不尽だ。

 そう思うと殊更腹が立つ。


(……生きてた時、沙和のこと好きだった奴、か?)


 肌がざわりとした。

 沙和のことが諦められず、彼女に取り憑いたのだとしたら、除霊しない限り篤志に望みはない。今だって極めて可能性薄なのに。

 美鈴に追い払われた男はそれなりの数が居る。全員が全員、沙和に懸想したわけではないが、その中の一人である可能性もある。


「なあ。“アイツ” ってどんな顔してる?」

「スケベそうで人を馬鹿にし腐った顔よ」

「……お前に訊いた俺が悪かった」


 訊いてまともな答えが返ってくると、何で思ったのだろう。

 美鈴にしたら、男全員スケベ面だ。つい先刻、不埒者と呼ばれたばかりなのに。

 しかしこれでは特徴すら掴めない。


「何で舞子さんに訊かなかったんだ~あ! 俺の馬鹿野郎ッ!!」

「なに今頃悟ってんのよ。ホント馬鹿ね」


 呆れた声がぶっきら棒に言う。


(尽々この女嫌いだ!)


 美鈴だって篤志に好かれたくもないだろうが。


(ああっ。早く視えるようになりたい)


 切実に思う。

 しかし焦れったいことに禊の丸一週間、舞子の婚家である寺に泊まり込みになるため、長期の休みまでお預けだ。デトックスのためのプチ出家を受け入れている寺なので、宿坊も完備だそうだ。

 まどろっこしいと文句を言ったら、その条件を呑まなければ、舞子がうんと言わなかったのだ。


 それでも。

 もし視えたら、幽さんの正体がわかるかも知れない。

 沙和から離すことが出来るかも知れないと思うと、気ばかりが逸る。




「―――し。ちょっと篤志! あたしの話聞いてる!?」


 言いざま後頭部を叩かれた。


「ってーなぁ。お前まで後頭部殴んなよ」

「殴ってないわ。叩いたのよ」

「屁理屈言うな」

「屁理屈じゃないわよ。殴るは拳。叩くは平手。明らかに違うわ。そんな事より、本気で叔母さんの所に行くつもり?」


 能面が薄ら寒い微笑を湛え、篤志は小さく身震いする。

 沙和の笑顔が常春なら、美鈴はツンドラだ。

 沙和の元に取って返して、陽だまりの笑顔に癒されたい―――とまで考えて、お邪魔虫を思い出し顔を顰めた。


「当たり前だろ。絶対に “アイツ” の正体を見極めてやる」

「……ふ~ん」

「気のない返事だな?」


 もっと何か言ってくると構えていただけに、拍子抜けだ。

 美鈴は肩にかかった髪を背に払い、


「無理に祓えないなら、友好的に出て行って貰わないとね?」


 彼女がニタ~っと不気味に笑った。

 余程美鈴の方が怨霊のようだと思ったが、口が裂けたって言わない。我が身大事である。

 篤志は腕を摩りながら、拾った言葉を舌に乗せた。


「友好的? 美鈴には凡そ似合わない言葉だな」

「失礼ね! あの男を追い払うためだったら、篤志の手だって取るわよ」

「やめてくれ。用済みになった時が怖い」

「返す返すも失礼ね」

「美鈴ほどじゃないよ」


 それに対して反論はなかった。

 また爪を噛み、俯いて歩く美鈴を横目に見遣る。

 いつ戻るとも知れない記憶を待つよりも、篤志に微々たるものでも可能性があるなら、利用してやろうとする強かさが見え見えで、怒る気にもならない。

 まあこの程度なら日常茶飯事だ。

 美鈴はくいっと面を上げ、垂らした拳をぎゅっと握る。


「沙和を一刻も早く奴の毒牙から救わないと」

「おー。珍しく意見が一致したな」


 ニコニコしながら美鈴の双眸に目を凝らすと、彼女の蟀谷こめかみがピクリと震えた。


「いま失礼なこと考えたでしょ?」

「ん? ……ああ。自分も毒牙の癖にと思っただけだ。気にするな」

「はっ。沙和に気付いても貰えないヘタレ男が、偉そうに言うじゃない」

「そういうお前だって恋愛対象外じゃないか」


 篤志がやり返したとばかりに口端を上げると、美鈴がふふんと鼻で笑った。


「でも沙和のファーストキスはあたしが貰ったけどね」

「貰ったんじゃなくて奪ったの間違いだろッ。事実を歪めるな!」


 学校の図書室で受験勉強をしている時、問題に苦悶していた沙和の意表を突いて唇を奪った。沙和は真っ白になり、篤志は美鈴を図書室の外に引っ張り出して吠えたが、『だって悩んでる顔が可愛かったんですもん』と全く反省の色がなかった。

 沙和のトラウマになったことは言うまでもない。


「だって可愛かったんですもん」


 あの時を彷彿とさせる言葉を吐き、篤志に挑戦的な笑みを向ける。


「うだうだと二の足踏んで、行動を起こせない奴に文句言われたくないわ。先ずは同じ土俵に乗って見なさいよ。負けないけどね」


 これには返す言葉もない。

 関係性を壊すのが怖くて、尻込みしてしまうのは彼女の指摘通りだ。

 振られても何事もなっかたように、傍に居られるか自信がない。


「お前なんか大っ嫌いだ」


 涙目で睨む篤志を嘲笑うかのように、美鈴の口元が下弦の月のように歪められ、彼は再び突き付けられた敗北感から逃げ出すように走り出した。


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