第13話 ポルターガイストって普通の事でしたっけ? ①

 


 沙和が目覚めてから、もうすぐ二週間が経過する日曜日のこと。

 薄味過ぎて美味しさを感じない昼食を食べ終え、食器を配膳台に返しに行こうと立ち上がったところで来客があった。


「沙和お姉ちゃんっ」

隼人はやと!?」


 飛び込むように入って来たのは、十歳下の弟だった。

 隼人の健康的に焼けた肌は、血色が良くなってこれでも大分マシになったけど、沙和とは対照的だ。彼女とよく似たどんぐり眼をキラキラさせて、姉に会えたのが嬉しいのだと察することが出来る。

 食器を簡易テーブルに戻した沙和に向かって、両腕を大きく広げた隼人が胸に飛び込んで来た。よろめきながら弟を抱き留め、沙和の匂いを確かめている隼人に目を落とす。


「ちょっと。一人で来たんじゃないわよねっ?」

「奈々お姉ちゃんと一緒だよ」


 沙和から少し躰を離してにこりと笑う。

 目線の高さはギリ百五十センチの沙和とそう変わらない。また身長が伸びたようだと頭の隅で考えながら、同行者の姿を探した。


「奈々ちゃんは?」

「えーとね。なんだか知り合いに会ったから、先に行っててって言われた」


 隼人の言葉にほっとする。

 奈々ちゃんこと、奈々美は山本家の長女で沙和の一つ上だ。

 奈々美とは血の繋がりはない。

 九歳の時に両親が再婚し、翌年隼人が生まれた。

 隼人は二つの家族のかすがいで、みんなに愛され可愛がられて育ったせいか、ちょっと甘ったれだ。今もくんかくんかと鼻を鳴らして「沙和お姉ちゃんの匂いだぁ」と満面の笑顔を向けて来る。


(ああっ。可愛すぎる。可愛すぎるわ、あたしの弟!)


 犬耳と尻尾の幻影が見える。

 堪らず額と額を擦り合わせて弟を堪能していると、『あの、沙和さん?』と背後から声が掛かった。

 幽さんの存在をすっかり忘れていて、ハッと面を上げる。すると隼人まで顔を上げ、一瞬きょとんとした。それから口角を上げて「こんにちは」と後ろの幽さんに挨拶し、しばらく黙したまま目を細めて幽さんを見据えていたかと思ったら、沙和に視線を戻す。


(……あ…あれぇ? もしかして視えてるのかな……?)


 弟の奇妙な態度に、引き攣った笑いが顔に張り付く。

 数秒、沙和の顔を見て、また幽さんを見る。


「お兄ちゃん、幽霊?」

(やっぱりかぁぁぁ)


 心の中で困惑の声を上げている沙和の後ろで、こくこくと頷く幽さん。


「あんまりはっきり視えるから、生きてる人かと思っちゃったよ。あははっ」

「あははって」


 あまり驚いてないようでちょっと安心し、沙和は “ん?” と首を傾げた。この妙にこなれた感は何だろう? と隼人の顔をマジマジと見た。


「隼人って、前から視える子だったの!?」

「うん。偶にだけどね」


 そう言われてみると、思い当たる節がある。

 小さいころからぼうっと一点を眺め、独り言を言ってるのを見ては、家族がくすくす笑っていた……ような。

 てっきり一人遊びか何かだと思っていた。


「全然気付かなかった」


 呆然とした声が漏れる。

 霊感など皆無の家族だと思っていたから、隼人が視えるなんて考えたこともなかった。

 しかし。

 よくよく考えてみれば、沙和が浮遊霊に好まれるのも、何かそういったものを潜在的に持っていたのかも知れない。それが幽さんによって触発され、視えるようになったと思ったら、何となく腑に落ちた感じがする。


 ねえねえと隼人が袖を引っ張り、そちらに視線を向けると、好奇心を浮かべた眼差しが容赦なく迫って来た。


「沙和お姉ちゃんはいつから!? いつから視えるようになった!?」


 仲間が増えて喜色満面の笑顔。

 可愛さが目の前で爆裂し、ふらりと眩暈を覚えた。


「お姉ちゃんはいま、素敵な幻影が視えてるよ。ふふふ…っ」


 可愛い犬セットを装着した弟のねと、心中で付け足す沙和を胡乱な目で見る幽さん。

 傍で聞いたら、ヤバい薬でもやってるんじゃなかろうかと疑われ兼ねない台詞だから、幽さんの視線も頷ける。


『沙和がこんなにブラコンだとは思わなかった』


 半ば呆れた声が耳に届く。沙和はちょっとムッとし、隣に座っている振りをする幽さんを見た。


「弟を可愛がったっていいでしょ」

『誰も悪いなんて言ってないだろ? 年下を愛でることに否はない。寧ろ推奨』


 とやんわりと微笑み、すぐに『尤も』と言を継ぐ。


『可愛げがあればの話』


 そう言って今度は眉を寄せ、怖い顔をする。

 幽さんが誰のことを言っているのか分かって、沙和は引き攣った笑いを漏らした。


(ここまで嫌われる篤志って……)


 生前に何か因縁があったのかも知れないと、幽さんを見ながら小さく頷く。そんな二人を不思議そうに眺めていた隼人が、幽さんに視線を定めて口を開いた。


「お兄ちゃんは、沙和お姉ちゃんの守護霊?」


 問われて幽さんはじっと隼人に見入る。

 答えを期待するキラキラした瞳。

 幽さんは口元を覆い、ぶんと首を振って沙和を見た。


『何この子。お兄ちゃんって言われると体中がムズムズして、頭グリグリしたくなる』

「でしょでしょ!? もおウチの隼人の可愛さと言ったらっ」

『なんか今、幻覚まで見えた気がするんだけどッ?』

「でしょでしょ!?」

「ちょっと! 僕の質問に答えてよ」


 完全に自分たちの世界に入り込んでいた二人に、ふんすと怒った隼人が睨んでくる。二人は居住まいを正した。

 怒った顔も可愛い、と二人が心中で絶賛しているとは、隼人も思うまい。

 隼人のジト目に苦笑しながら、幽さんは質問を思い出す。


『守護霊かどうかって訊かれたら、よく分からない。気が付いたら沙和の傍に居たってだけだし。でも、沙和には余計なものは近付けさせないから、そう言う意味ではそうなのかもな』


 幽さんの答えを咀嚼し、納得したのか「そっか」と隼人が呟いた。再び幽さんと目を合わせ口角を上げる。


「いつも変なの連れて来るんで、沙和お姉ちゃんの守護、宜しくお願いします。


 殊更 “お兄ちゃん” を強調すると、幽さんが幸せを噛み締めて天井を仰いだ。それをニコニコと見守る隼人。


(こ……この子結構策士だわ)


 自分だと分からないことも、他の誰かだと冷静に見えるものだ。

 あたしも絶対手玉に取られているなと、思わずにはいられない沙和である。


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