第3話 いろいろ試してみたって、許可なしですか? ①
待てど暮らせど起きる気配を見せない沙和。
気が付いたら沙和の隣で佇んでいた日から、眠り姫は眠ったままだ。
闘病生活を送ってきた沙和は、抜けるような白い肌をし、扱いを間違えたら折れてしまいそうに華奢だ。
枕に広がる髪は、見た限りではセミロングで、赤身の強い茶色のストレート。
そしてまだ一度として開かれていない瞼を縁取る睫毛は、お世辞でも長いとも豊かとも言えないが、それでも彼には “可愛い子” だと認識されている。
そうあって欲しいだけなのかも知れないが。
(早く起きろよな)
宙にふよふよ浮かんで、代わり映えしない沙和を見下ろし、彼女が目覚めた時のことを色々妄想すると、自然と顔がニヤつく。
彼はコミュニケーションに飢えていた。
誰も彼の存在には気付かない。
(いや。そうでもなかったか)
この病院で亡くなった同胞とは、何度か出くわしている。場所柄、生死とは密接な所だから不思議でもない。
生者に紛れて徘徊する姿に、彼は苦い笑みを浮かべた。
現実と幻が交錯しているような、奇妙な世界。
他人事のように傍観しているけれど、間違いなく彼も死者だ。
意思を持って歩いている者もいれば、呆然と起ったことを理解出来ないまま佇むもの、彷徨う者と様々だ。
中には質の悪い者もいて、
(俺が誰だか分かる前に、沙和に死なれたら厄介だし)
人に訊かれたわけでもないのに、言い訳している自分が滑稽だ。
でも現実問題として、彼女から離れられない以上、何かしらの取っ掛かりを掴まない事には、浮遊霊にもなれないし、成仏することも出来なさそうだ。
彼を引き留める何か。
沙和なら何かを知っているかもしれない、甘い期待。
(それにしても暇だなぁ)
不成仏霊同士で話し合ったりしない。彼らの殆どは自分の心残りしか頭になく、他者の存在など気にも留めていないようだ。
(俺の心残りって、何だろう?)
それすらも分からないで、ただここに意識体が存在する理由。
手持無沙汰で、沙和の頬をツンツンしてみる。
意識を凝らせば、躰を通り抜けずに触れられることに気が付いたのは、暇過ぎて死にそうだった二日目―――もう死んでいるけど。
朝が来て、夜が来て、また朝が来る。
一人遊びはもう飽き飽きだ。
我慢の限界値を突破した記憶喪失の幽霊は、七日目にしてある試みを実行に移すことにした。
***
『静かだな』
そう言ったのは、何でだか取り憑かれてしまった記憶喪失の幽霊。
彼がここに居る経緯を聞いた沙和は、苦り切った顔で彼を見た。
彼の期待通り、姿を見ることは出来る。けれど、誰だかまでは分からない。
年の頃は、二十代前半だろうか。随分早くに亡くなったものだと、気の毒になる。
軽やかな天然のウェーブがかかったミルクティー色の髪。やや眦が下がった二重の双眸は色素の薄い茶色で、羨ましいくらい睫毛が長い。鼻筋はスッとして高過ぎず低過ぎず、唇は素で口角が上がって笑みを象っている。
生きている沙和よりも、余程血色がよく見えるのは気のせいだろうか?
なんか色んな意味で悔しい。
生前のままの姿であろう彼をやっかみ半分で見て、沙和は首を傾いだ。
(どこかで会った事があるような、親近感はあるんだけどなぁ)
決して彼がイケメンだから言うのではない。
普通、幽霊に取りつかれたら、まず恐怖を覚えそうなものなのに、寧ろほっとする雰囲気を持っている。
『どこで会ったか思い出してよ』
『気がするだけだし。それより、いちいち心の中読むの止めて』
『だったら声に出せば?』
『あんまり意味ない気もする』
『はははっ』
笑って誤魔化す彼を軽く睨み、沙和は再び声を出そうと試みた。
結果は同じ。
口の中はカラカラだし、声帯からは空気の漏れる音ばかり。
彼はふむと頷いて、『ちょっと待ってな』と電動リクライニングを起こし、沙和を座らせる。ずっと横になっていたから、体勢が変わって『ちょっと楽かも』と暢気な沙和の頭をポンポンし、それからベッド脇の棚の前にしゃがみ込んだ。一番下には小さな冷蔵庫が付いていて、そこからミネラルウォータを取り出す。
『このままで飲むのは無理か?』
そう言って沙和の前でペットボトルを振って見せ、沙和が無理だと告げるよりも早く、誰かの悲鳴に掻き消された。
声に驚いた二人が振り返った先には、一人の看護師が入り口で腰を抜かし、蒼白になってガタガタ震えている。
二人同時に、看護師の視線の先に目を遣った。
彼の手の中のペットボトル。
『無理ないね』
『だな』
きっと看護師の彼女の目には、ペットボトルが宙に浮いているように見えていることだろう。
「…ぺ……ぺ……ッ」
すっかり怯えて、言葉がうまく繰り出せないでいる。
そうしているうちに人が集まり出した。これは非常にまずい。
状況を説明するにも声は出ないし、こんな非科学的なことを目撃されているのに、うまく躱せる自信などない。
万事休すかと、騒ぎの当事者に視線を送る。すると彼は『ちょっとゴメンね』と言って、またとんでもない事を始めようとしていると、気が付いた時には後の祭りだった。
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