第8話 殺し合い

 鬼との睨み合いの中で森は思考する。


 ――疑問は悪鬼がいたこと。それに気が付けなかったことすら不可解ではあるが、何よりも協会が把握していなかったとは考えずらい。つまり、誰かが意図的に情報を隠した上で白雀を派遣したということ。詰まる所、協会の一部か三長老の誰かが赤鷲の一人を犠牲にしてでも越葉雪を殺そうと企んでいる。


 森自身は強硬派でも穏健派でも無く中立と言うよりは外野から遠巻きに眺めているという立ち位置を取っているから、危険視されているススキが殺されようとも大した感慨も無いが、問題は鬼灯だ。


 悪鬼の目的がススキを殺して体内にいる鬼を解放することなのか、はたまたススキを殺すのと同時に体内にいる鬼も殺すことなのかはわからない。だが、どちらにしても鬼灯にススキを任されている以上、殺された時点で森は鬼灯に何をされるかわかったものでは無い。


「しかし、なんにしても気分が良いものでは無いですね」


 森の体を包む翆が研ぎ澄まされ、目の前の悪鬼が怯んだように腰を落とした時――ススキは向かって来た悪鬼の拳を受け止めていた。


「おっもい、ですね」


 とはいえ、二週間前までのことを思えば翆を使った攻撃を、同様に翆で防げたのは成長だ。防御に関しては悪鬼が相手でも対応できることがわかった。ならば、燥は?


 爆発的に膨張させた翆を両腕に集めた悪鬼は、腕そのものを斧の様な形に変化させ、一目でわかるほど鋼鉄の質感に変わった。


「肉質変化、ということはっ――!」振り下ろされる斧を避けると、翆に包まれていた腕が裂けた。「やっぱり鬼灯さんから聞いていた通り、燥は翆では防げませんか」


 確かめるように傷口に触れると掌が血で染まった。


 その手を握り締めたススキが地面にしゃがみ込むと、足元にできた影に両掌を付けた。そして、翆を地面に向けて集中させ、浮き出てきた影を掴むと鎖が出てきた。長さは五メートル。掴んだ二本の鎖はススキの体を包むように浮遊している。


「まだ複雑な操作は出来ませんが――」


 振り下ろされる斧を鎖で弾けば、その衝撃で鬼は体を仰け反らせた。


 その隙にススキは自らの腕に鎖を巻き付けると、鬼との距離を一気に詰めて拳を振り被ったが、振り下ろすと同時に伸びてきた棘に後退を余儀なくされた。


「一瞬でも気を抜けば死ぬ、と。これも言われていた通りですね。なら、攻めるほうが正しいのでしょう」


 呟き、静かに呼吸を整えて握った拳を上下からぶつけると両腕に鎖が巻き付き、ススキは悪鬼に向かって構えて見せた。


 そんな姿に笑みを浮かべた悪鬼は両腕を両刃の剣に形を変え、鋼鉄化させた。


 剣対鎖――勝敗は火を見るよりも明らかだが、これは互いの燥だ。ぶつかり合うたびに衝撃波が周囲の空気を震わせている。力は拮抗しているように見える。が、徐々に綻びが見え始めた。


 そもそもの実力と翆の総量、それに加えて圧倒的な質量の差で鎖にヒビが入り始めた。


 交戦を続けるススキは気が付き始めていた。


 圧倒的な実力差を考えれば悪鬼はすぐにでもススキを殺すことができるのに、そうしないのは何故か――楽しんでいるのか、何かを窺っているのか。


 つまり、白雀が悪鬼を倒すには油断されている今しかない。


 振り下ろさる剣を弾くのではなく避け、一気に距離を詰めると通り過ぎるのと同時に一本の鎖で体を固定し、もう一本を首に巻き付けると絞め落とすように鎖を背負った。


「ん、んんっ――」


 ギチギチと軋む鎖のヒビが広がっていく。鎖の締め付けは間違くなく強くなり、悪鬼も身動きを取れずにいるがその顔は鋭い牙を見せながら笑みを浮かべている。すると燥を解いた悪鬼は全身を覆った翆を巻き付いた鎖を伝うように流し込み――ススキまで辿り着いた。


 だが、それは最悪手。もっとも触れてはならないものに触れてしまった。


 悪鬼の中に流れ込んできたのは一匹の狼の頭が目覚める感覚。刹那の邂逅――威嚇されるでもなく一瞥されただけで、イメージの世界で体を震わせた。


 すると、ススキの引っ張っていた鎖が途端にピアノ線のような糸に変化し、悪鬼の体をバラバラに引き裂いた。


「あ、れ……? 今、何が……?」


 何が起きたのか理解できないススキは、手の中にある糸を確認していると突然全身の力が抜けて、燥が解除された。


「燥で生成した物の形状変化は翆を大量に消費します。疲れるのも無理はありません。深呼吸をして、翆を全身に行き渡らせるイメージをしてください」


 言われるがまま深呼吸をして立ち上がったススキが森のほうを確認すれば、その足元には体中に穴を開け、頭の無い悪鬼の死体があった。


「……もしかして、結構前に倒し終わってました?」


「そうですね。貴女の戦闘はほとんど見させてもらいました」


「すみません、待たせてしまったようで」


「いえ、仕方がありません。私は赤鷲で、貴女は白雀です。力の差があるのは当然としても――」言いながら森はサングラスを掛けた。「白雀が悪鬼を倒したという事実は少々問題になるかもしれませんね。まぁ、貴女の場合は体内に鬼を飼っていることを前提としているのでどうなるのかわかりませんが」


「私、鬼の力を使ったのでしょうか?」


「それは間違いありません。ですが、あくまでも使のです。暴走ではなく制御したと考えていいでしょう。貴女の意思とは関係なく、その事実は重要なことです」


「……忌人として、合格ですか?」


「さぁ、どうでしょう。私は判断する立場にありません。あくまでも貴女が使い物になるかどうかの判断を下すのは、この光景を見ていた三長老です。とはいえ個人的な意見を言わせていただくのであれば、有用である限りは合格にすると思います」


「だと、良いのですが」


 会話をしていると、どこからともなくやってきた掃除人たちが倒れている餓鬼や悪鬼の残骸を回収し始めて、ススキは疑問符を浮かべた。


「そういえば、この方たちはいったい……?」


「彼ら彼女らは掃除人です。鬼を視認できるが戦えず、そのせいで普通の生活を送れない者たちが行き着く仕事です。ちなみにですが、掃除人は協会所属なので忌人と直接関わることはほとんどありません。戦いは我々が、それ以外は掃除人が、といった具合です」


「なるほど」ススキは横を歩く森を見ながら、その服に一つの埃も付いていないことに確かめた。「森さんは……それだけ強いのに黒鴉になりたいとは思わないんですか?」


「それだけは有り得ないですね。現在、日々出現する鬼の数に対して忌人の数は圧倒的に足りていません。紅葉さんを見ていればわかると思いますが、出現の多い餓鬼は白雀か緑梟が対処し、邪鬼に関しても基本的には緑梟が出向きますが、対処できない場合は赤鷲が出張ります。そして、悪鬼から上は赤鷲と黒鴉が持ち回るのです」


「……つまり?」


「つまり、現状では赤鷲が最も仕事量が少ない。そこそこ命懸けの仕事ですが、少ない労働時間ながら給与が良い。これ以上に好条件な労働環境は知りません。そういうところを取っても、私は秀才止まりなのでしょうね」


「十分凄いと思いますが」


「程度の問題です。私からすればわざわざこんな世界に這入り込んできた貴女のほうが余程凄いと思いますが」


「それこそ、程度の話です。私は途中参加の中途採用です。今は採用されるかどうかもわかりませんが……忌人も掃除人も、私からすれば全然――凄過ぎます」


 来た道を戻っていくススキと森は何人もの掃除人とすれ違っているが、その数が戦いの規模を物語っている。


 森は軽く流していたが、白雀が悪鬼との戦闘に勝利したというのは過去百年以上を見ても前代未聞であり、ススキは全てにおいて規格外なのだ。向けられる視線が誰からのモノであれ――警戒されているのは間違いない。

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