第7話 実践
仮想鬼と鬼灯との訓練を繰り返して二週間が経った。
桃幻狭にあるアパートの一室で、真新しいフード付きの黒いジャージに身を包むススキの前には鬼灯と紅葉、それに色の薄いサングラスを掛けた男がいた。
「約束の二週間だ。一先ずススキにはこれを渡しておく」差し出されたのは銀のブレスレットだった。「それを腕に付けて翆で包み込めば、協会がこっちの行動を監視できるようになる」
言われるがまま左腕にブレスレットを嵌めて翆で包むと、溶けるように無くなった。
「……これでいいんですか?」
「ああ。とりあえずそれは白雀用のやつだ。階級が上がれば新しいものと変えることになるから嵌めた腕を覚えておけよ」
「わかりました」
「じゃあ紹介しよう。君が使い物になるかどうかを判断する忌人の森くんです」
「どうぞよろしく」
丁寧な口調で言いながら軽く頭を下げる森に対して、ススキは戸惑った顔を見せながらも会釈を返した。
「見た目強面っぽいが、真面目な奴だから信用していい。正直、忌人の中ではまともな部類だし、学べることもあるだろう」
「よろしくお願いします」
再び頭を下げたススキに対して、森は見下ろすようにサングラスを整えた。
「まぁ、私の立場は中立です。評価するべきは君に鬼と戦えるだけの実力があるかどうかだけです。気張らずに行きましょう」
「はい」
やる気を出しつつあった出鼻を挫くような発言に、面食らったススキの下に紅葉が近寄ってきた。
「ごめんなぁ。ホンマはうちも付いていきたいんやけど、こっちも仕事でなぁ」
「いえ、全然。紅葉さんもお仕事頑張ってください」
「うん。ほんなら、またな」
手を振り去っていく紅葉を見送ると、携帯の画面を確認していた森が視線を上げた。
「我々の仕事も決まりました。行きましょう」
「はい。では、鬼灯さん。行ってきます」
「おう、死ぬなよ」
吸い掛けの煙草を挟んだ手で見送った鬼灯に背を向けた二人は桃幻狭に七つある出入り口用のトンネルの一つから外へと出て行った。
トンネルの繋がっていた先は山の中だった。
「ここ、どこなんですか?」
「長野です。この辺りの山は鬼が出現しやすい環境なので新人派遣が多いことでも有名ですね」
「なるほど。お誂え向きってことですね」握り締めた拳を包む翆を確かめてから、隣を歩く森に視線を向けると考えるように首を傾げた。「あの、森さんの階級はどこなんでしょうか?」
「赤鷲です」
「赤鷲……じゃあ、お強いんですね?」
「まぁ、階級的にはそうですね。貴女は鬼灯さんを基準にしているようだからわからないかもしれませんが、あれは化け物です。目下の目標は紅葉さん辺りにするのがいいでしょう」
「紅葉さんが強いことは知っていますが、森さんと鬼灯さんは階級一つ違いですよね? そこまで――」
言い掛けたところで、森は溜め息を吐きながらサングラスを整えた。
「どうやら鬼灯さんは面倒な説明は端折ったようですね。では、単純に強さの話をしましょう。まず、これから貴女に戦ってもらう餓鬼ですが、単体で人ひとりに怪我を負わせたり一人から二人をギリギリで殺せるレベルです。白雀であれば頑張れば一人でも勝てますが、仮に一般人でも鬼を倒せるとした場合――筋骨隆々の大男三人以上があらゆる手を使ってようやく同等と言ったところでしょうか」
「そんなに、ですか?」
「ええ、そんなにです。故に基本的には白雀に単独行動は許されていません」
「ああ、だから今回も……」
「いえ、今回のは特例です。白雀は白雀同士で組むのが基本ですから。話を戻します。貴女が遭遇した邪鬼は、緑梟以上でなければまず間違いなく倒せません。一般人で言えば重装備の自衛隊が戦車を持ち出したくらいでどっこいどっこいでしょう。その上の悪鬼であれば赤鷲ならそこそこ命懸けで、黒鴉なら苦労なく。これだけでも強さの差がわかりますね?」
「そう、ですね……なんとなくは、ですが」
「黒鴉の三人は天才で、私なんぞは良くても秀才止まりでしょう」
「それでも十分凄いと思いますが」
「かもしれません。ですが、天才と秀才には決して埋まらない溝があります。それを理解しているか否かで状況は大きく変わると思いますが……まぁ、貴女なら大丈夫でしょう」会話をする二人は、次第に山の中にある廃村へと入っていった。「ちなみにですが、悪鬼レベルになると通常兵器を用いたとしても倒すことは不可能です」
「通常兵器というと、ミサイルとかですか?」
「そうですね。つまり、我々はそれだけ危険な存在だということを認識してください」すると視線の先に廃れた小学校を捉えながら、森は餓鬼の気配でざわつく廃村を警戒するようにサングラスを外した。「雪さん、先に私の力を説明しておきます。私は掌の中に円形状の異空間を作り出すことができます。その空間はこの世界とは切り離されるので、簡単に言えば物体を分断する力ですね。まぁ、物体に限らず、ですが」
「真空にする、みたいなことですか?」
「考え方としては間違っていません。便宜上はシャボン玉と呼んでいますが、例えばそのシャボン玉で鬼の首を包み込めば、首だけをこの世界とは違う異空間へと飛ばし、体だけがその場に残ります」
「そんな力なら、鬼の強さに関わらず勝てるんじゃないですか?」
「そう単純ではないから使い勝手が非常に悪い。詳しい説明は省きますが、シャボン玉の濃度を上げることによってランクの高い鬼にも効果があります。加えて、異空間には一日の上限があり、およそ五十メートルプール分の容量を使えばその日はシャボン玉を出せなくなります」
「へぇ……色んな力があるんですね」
「まぁ、私は稀なケースです。どれだけ参考になるかはわかりませんが、基本は貴女一人で対処してください」
「わかりました」
閉ざされた門の前で立ち止まった二人が小学校の校庭を眺めると、地面にはじわじわと鬼が出てくる黒い染みが広がっていた。
門を飛び越えたススキは握った両手の拳同士を上下からぶつけると、その瞬間に翆が体を駆け巡った。
地面から蠢き湧き出た餓鬼共がススキ目掛けて襲い掛かっていくと、応戦するように拳を振り、脚を蹴り上げた。そんな姿を見た森は驚いたように目を見開いた。
「接近戦特化ですか。一朝一夕というよりは洗練された動き……実践は初めてだと聞いていましたが躊躇いなく、ですか」
餓鬼は体長約一メートルから一メートル五十センチ、人型とは程遠い外見をしているが生物であることに違いは無い。故に、新人の白雀は餓鬼を殺すことにすら嫌悪感を覚えて忌人を辞めていく者も多い。
続々と湧き出る餓鬼を倒すススキを眺める森は違和感を覚えた。
「繁忙期には違いないですが……それにしては数が多いですね」
とはいえ、ススキはその数をものともせず善戦している。
溢れ出た最後の餓鬼をススキが倒し終え、大きく一息吐いていると――校舎の屋上に気配を感じた森が駆け出して門を飛び越えた。そして、ススキの首根っこを掴んで引っ張ると、コンマ数秒前まで居た場所が空から落ちてきた何かによって抉られた。
「あ、ありがとうございます……?」
「いえ、これは私の不注意が原因でもあります。お気になさらず」目の前には二メートル弱の歪な人型の化け物が二体いた。「雪さん、問一です。あれが何かわかりますか?」
「鬼、ですよね? 悪鬼ですか?」
「正解です。邪鬼が脱皮した結果、あの姿になります。鬼はランクが上がるにつれて外見が人間に近付き、知性も付けます。悪鬼なら大体が燥を使えるのに加えて――見てわかると思いますが、こちらを警戒して考えなく突っ込んでこないだけの知性はあります」
「燥も使えるんですか」見詰める先の二体の悪鬼は翆に包まれている。「確かに、前に見た邪鬼よりもなだらかな翆ですね」
「では、問二です――どうしますか?」
その問い掛けに含まれる意味を呑み込んだススキは、静かに深呼吸をした。
「戦います。今の私にはそれしか出来ないので」
言いながら握った拳同士をぶつけたススキを見て、森は笑みを浮かべた。
「正解です。逃げるという選択肢もありましたが、私たち忌人にあるただ唯一のルールは目の前にいる鬼を
「やってみます」
あらゆる思惑が渦巻く中で、そんな思惑など関係ないようにススキは命を懸ける。
そして、初めての殺し合いが始まる。
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