第6話 訓練
ススキの疑問に対して鬼灯は片眉を上げた。
「なんだ、桃幻狭について聞いてないのか?」その問いに頷いたススキを見て、鬼灯は煙を吐き出した。「ここは表から干渉されない忌人だけの裏の世界だ。数百年前の忌人が造った場所で、出入り口は至る所にあるから今度教えよう」
「これも忌人の力で造ったんですか?」
「そうだ。元は鬼を封じ込めるための空間を作るための力だったのが発展してこうなった。要は使い方次第ってことだ」
「なるほど……私には、どんなことができるんでしょうか」
「それを今から確かめる」すると、鬼灯は体に纏った〝翆〟を右手に集めた。「〝翆〟だけでも鬼と戦うことは出来るが、それだけでは威力が足りないことが多い。例えるなら水道の水を垂れ流しているようなものだ。そこにホースを嵌めて威力を上げるのが〝燥〟。紅葉の力は聞いたか?」
「はい。折った紙に力を付与する、とか」
「あいつの力は使い勝手が良い分、事前の準備が必要だが、その代わりに折った紙を折った物の通りに使うことができる」
「剣は剣に、手裏剣は手裏剣に、ってことですか?」
「そうだ。子供の頃から折り紙が得意だった故の力だな。特殊な例を除けば、馴染み深いものや慣れ親しんだことが力になるが――何かあるか?」
「そう、ですね……」考えるように俯いたススキは腕を組んで思い出すように目を閉じた。「特に……これといって何も……」
「まぁ、お前の場合は両親ともに忌人だから力自体は使えると思うが、体の中に鬼もいるからなぁ……何か格闘技の経験とかあるか?」
「それなら色々と。祖父から自分の身は自分で守れ、と教え込まれたので。柔道や空手、テコンドーからCQCまであらゆる武術を習いました。それが身になっているかはわかりませんが」
「いや、だとすれば下手なことを考えるより力押しが良いかもな。いずれは鬼の力を利用できるようになるのが理想だが、今は措いておこう。とりあえず――」言いながら煙草を地面に落とすと火を踏み消して、右手を握り締めた。「まずは防御を身に着けてもらう。今からお前を殴る。死ぬなよ」
すると、返答を待たずに飛び出した鬼灯が大量の〝翆〟を集めた右手を振り抜くと、拳を受けたススキは吹き飛ばされた。
舞い上がる砂埃がその威力を物語っているが、数十メートル先まで飛ばされたススキは拳を受けた腕を痺らせながらも全身を大量の〝翆〟で覆い、しっかりと地面の上に立っていた。
「っ……あの、せめて一言いってからお願いします」
掌を閉じたり開いたりしながら戻ってくるススキを見て、鬼灯は驚いた顔をしながらも笑顔を見せていた。
「いいね。反射神経とフィジカル、それに胆力。死んだらそれまでだと思ったが、それだけの〝翆〟を出せるなら悪鬼が相手でも一撃で殺されることはないだろう」
「それは僥倖ですが……悪鬼、というのは先刻の鬼より強い鬼ですよね?」
「ああ。あの時のは邪鬼だな。とはいえ、その上の剛鬼は赤鷲か俺らの担当で戦うことは無いし、神鬼なんざ数百年周期の出現だ。だから実質、遭遇する鬼の最上位は悪鬼だと思っていい」
「だからといって安心はできませんが」言いながらジャージのチャックを開けたススキは大きく息を吐いた。「あまり意識して〝翆〟の操作をしたわけではありませんが、それで良かったんですか?」
「防御のときなら問題は無い。だが〝翆〟を大量に使い続ければ動けなくなる。だから攻撃のときは〝翆〟を最適化する必要がある」
「最適化ですか。そのために、まずはどんな力にするか、ですよね?」
「だな。場所を移動しよう」
向かったのは室内訓練場。ここには訓練用のあらゆる武器が置かれている。
「ここにあるものを使ってみて、しっくりくるものがあればそれを元に開発部が専用の武器を作ってくれる」
「専用武器……? 馴染みのある物を武器にするんじゃないんですか?」
「大抵の奴は子供の頃から忌人になることが決まっているから、そういう前提で肌に馴染む物を手にしておくが、それ以外の奴には〝翆〟を乗せやすい物を用意するんだ。紅葉の使っている紙も開発部作の〝翆〟を乗せやすい紙だしな」
「なるほど」話を聞きながら立て掛けられている武器を手に取った。「木刀……薙刀……棒? あ、槍ですか。ん~、使ったことはありますが慣れてるかどうかで言うと微妙なところなんですよね」
「じゃあ、素手だな。あまりオススメはしないがやるだけやるか」
「素手だと、あの……さっきの人みたいになるんでしょうか?」
「ん? ああ、宝仙か。あれは皮膚の下の筋肉に〝翆〟を付与しているんだ。他の奴が同じことをすれば体が破裂して死ぬ。まぁ、あの爺さんの特異体質が関係しているから真似はするな。そんじゃあ〝翆〟を〝燥〟にするやり方を教えてやる」
鬼灯が踵を鳴らすと、床から二メートルはある人型の白い物が出てきた。ゆらゆらと動きながら〝翆〟を纏っている。
「式神みたいなものですか?」
「まぁ、そんなもんだ。こいつは仮想鬼。〝翆〟じゃないと倒せないようになっている。見てろ?」鬼灯が〝翆〟を集めた拳で仮想鬼を殴ると、風船のように破裂した。「これが〝燥〟だ。これから二週間、仮想鬼と俺との戦闘を繰り返す。それで少しは使い物になるはずだ」
「習うより慣れろ、ですね」
「そういうことだ」
そう言って踵を鳴らすと、床から三体の仮想鬼が出てきた。
深呼吸をしたススキは仮想鬼のほうへ近寄り握った拳を振り抜いた――が、ボヨンッと跳ねてダルマのように戻ってきた。再び二発、三発と拳を打ち込むが一定量以上の〝翆〟を拳と同時に当てなければ破壊できないため何度でも戻ってくる。
「……上手くいかないですね」
「色々と試してみることだ。体の違和感なく〝翆〟を動かせるようになるには早くても数日は掛かるものだからな」
「なるほど」
物は試しと拳だけでなく肘打ちに膝蹴り、蹴り技と繰り出すが一向に破壊できる気配はない。
投げ技から馬乗りになり何度も拳を振り下ろすが、それでも〝翆〟が追い付かずに仮想鬼を倒すことができない。
体勢を立て直すように仮想鬼から距離を取ったススキは気が付いたように口を開いた。
「そういえば、鬼を倒す方法って忌人の力しかないんですよね? 普通の銃火器などではダメなんですか?」
「ダメってことは無いが、良くて足止め程度にしか使えないな。倒すことはおろか、逆撫でして面倒なことになるのが関の山だろう」
「忌人でなければ倒せないのは何か理由があるんですか?」
「原理で言えばマイナスかけるマイナスはプラスになるってやつだ。鬼は人の恐怖――マイナスの感情から生まれる化け物で、大枠で見れば俺たちの使う〝翆〟もマイナス側だから唯一鬼を殺すことができる力ってわけだ」
「理屈は、まぁ……なんとなくわかります。じゃあ、鬼は忌人が倒すしかないんですね」
「現状では鬼は忌人が倒すしか――」そこで、思い出すように天井を見上げた。「いや、倒す方法は二つだな。忌人の力で倒すか、お前の中にいる鬼が食うか、だ」
「え、食べたんですか?」
「ああ、そういや記憶が無かったんだったか。病院で遭遇した鬼はお前の鬼が食ったんだ。その時は――」煙草を吸いながら考えると、思い付いたように煙を吐き出した。「そうだな。〝翆〟を使えるようになった今なら気を失うことなく鬼を呼び出せるかもしれない。どうする?」
その問い掛けにススキは約三秒の思考ののち、深々と頷いた。
「やります。私が私自身を知るためには必要なことですよね? なら、早いに越したことはありません」
「良~い心掛けだ」笑顔を見せながら煙を燻らせる鬼灯が纏う雰囲気を変えると、背筋を震わせたススキを身構えるように拳を構えた。「想像しろ。暴れる獣を押さえ付けるイメージだ。力で屈服させるのも良い。檻で囲うのも良い」
「押さえ付けるイメージ……」
考えるように呟いたススキを纏う〝翆〟が大きく揺らぐと、鬼灯から向けられた殺気にゾクゾクッと背中を震わせた。
「さぁ、出てこい」
呼び掛けた瞬間、ススキの足元から飛び出してきた三つ首の狼が鬼灯目掛けて駆け出した。が、ススキの腕から伸びた鎖が狼の首に引っ掛かり、鬼灯の手前で動きを止めた。
「っ――これが鬼、ですかっ――」
ギリギリと軋む鎖を引っ張るススキだが、狼は構うことなく鬼灯に向かって牙を突き立てようとしている。しかし、鬼灯はたじろぐことなく睨み付けてくる狼の鼻に触れながらススキに視線を飛ばした。
「どうやらこいつは頭それぞれに意識があるようだな。感じられるか?」
「え、感じる……? なんか胸の奥がざわざわとしますが、これですか?」
「知らん。今それを感じられるのは世界中でお前だけだ。体の中――というか、精神世界か何かでどうにかしてくれ。そこから先は俺じゃあどうにもできないが、今なら仮に暴走したとしても俺がどうにかできる。やりたいようにやってみろ」
「わっ、かりました」鎖を握って踵を返したススキは背負い投げるように狼の引っ張り出した。「ん~、しょっ――と!」
ギチリと鎖が伸びきった瞬間、狼は姿を消してススキは意識を失うと共に床に倒れ込んだ。
吸殻を捨て、新しい煙草に火を付けた鬼灯は倒れたススキに近寄ってその体を見下ろした。
「さて……殺さずに済ませてくれりゃあいいが――」
そう言った鬼灯は、吐き出す煙の中で微笑を浮かべていた。
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