第1話
すっかり桜も散り木々には緑葉が芽吹き始めた頃。程よい陽射しなのか、人間の世界ではバイクや車のバンの上には猫が気持ちよさそうに眠っていた。
もちろん、それは妖怪だけの町――あやかし商店街でも同じである。道を歩けば、お店の屋根の上や道の端で猫又達が丸くなっている。
「今日も暖かいねぇ」
淡く柔らかな白黒の生成り地に掌サイズの桜と赤い椿が散りばめている着物生地。帯も椿のように赤く、帯の端には白い糸で刺繍されている猫が背中を向けてちょこんと鎮座している。まるで、着物の花を眺めているようだ。
そんな着物を着ているこの家の女主人である菖蒲は、居間で煎茶を飲みながらまったりと呟いた。
「皆さん、桜餅を持ってきましたよ」
「おもちー! わーい♪」
白雪がお盆を持って居間に入ってくると、お盆をテーブルに置き桜餅が乗ったお皿をそれぞれの前に置いていく。
「ありがとうございます」
「おおきに」
「……ありがとう」
白雪は菖蒲達のお礼に「ふふっ、どういたしまして」と答えると、お雪の前にも桜餅が乗ったお皿を置く。すると、お雪が飛びつくように桜餅を取り、ハムスターのように頬張り始めた。
白雪はそんなお雪を見て頬に手を当てる。
「あらあら。雪芽、あまり急いで食べちゃ駄目よ? 喉に詰まっちゃうから」
「ふぁーい♪」
(相変わらず、お雪ちゃんは美味しそうに食べるなぁ)
お雪の食いっぷりに真司は思わず苦笑する。
真司も目の前にある桜餅を取り、一口食べる。もちもちとしたお餅は桜の風味がし、中に入っている餡子は甘過ぎずとても食べやすかった。
「相変わらず小豆ちゃんの和菓子は美味しいですね。桜風味のお菓子は独特な味で苦手なんですけど、小豆ちゃんのお店のお菓子は問題なく食べることができます」
真司が今食べている桜餅――それは、妖怪『小豆洗い』の小豆が作った和菓子だった。小豆は、この商店街で【小豆屋】という名前の和菓子の店主でもある。
小豆が作る和菓子は見た目は感嘆な声を上げてしまうぐらい繊細で美しく、味はしつこくない甘さで油断してしまうといくつも食べてしまうぐらい美味しいお菓子だ。
菖蒲はそんな真司の言葉を聞いて「おや」と、言いながら首を傾げる。
「真司。お前さん、桜味は苦手だったのかえ?」
「はい」
「確かにクセのある味ですからねぇ。苦手な方はいらっしゃるかと」
白雪の言葉に菖蒲は「ふむ、なるほど」と呟きながら頷く。すると、表玄関のドアベルがチリリンと鳴った。
どうやら誰かが訪れて来たらしい。真司はドアベルに気づくとその場で立ち上がり、菖蒲達に「僕、見て来ますね」と、一言言って来客用の表玄関へと向かった。
板張りの廊下を進み表玄関と廊下を遮るように垂れ下がってる暖簾をくぐり、真司は付喪神達もいる骨董品が置かれている売り場へと出る。
するとそこには、苺柄の黒い布地に白いフリルを使われている可愛らしい着物を着た小学三年生ぐらいの小さな女の子がしょんぼりとした様子で立っていた。
女の子は誰か来たことに気づき、俯いていた顔を上げる。
「あ、えっと、えっと!」
菖蒲ではなく見知らぬ人物が出てきたのことに女の子はその場で慌てふためいていた。
真司は、女の子を安心させるようにニコリと微笑み自己紹介をした。
「初めまして、だよね? 僕は、菖蒲さんのお手伝いをしている宮前真司です」
「あっ、はっ、はじめまして! わっ、私は
「うん。菖蒲さんなら中にいるよ。どうぞ」
真司は小さな女の子――幸を居間へと案内する。幸は草履を揃え真司の後ろに着いていき居間へと向かった。
そして居間に入り菖蒲の姿を目視すると、走るように菖蒲に向かって行った。
「菖蒲様!」
「おや、幸じゃないかえ。久しいの」
抱き着くように飛びつかれ菖蒲は少し驚くと、幸の頭を優しく撫でた。
白雪は幸のお茶を淹れに席を立つと、お盆を持って台所へと向かう。真司は自分が座っていた場所に再び腰を下ろすと、食べかけの桜餅を食べながら菖蒲に頭を撫でられている幸を見た。
セミロングの黒髪には白い小花の髪留めが留められ、フリルが着いている着物や帯は日本のお姫様のようにも見える。真司は幸が着ている服を東京にいた頃も目撃したことがあった。
(えっと……ゴスロリ、だっけ? ロリータだっけ?)
東京の原宿駅に行けば、幸のような和風と洋風が合わさった服を着た人、髑髏マークやチェーンが付いている服を着た人、西洋のお姫様のようなピンク色のフリルが沢山付いているふわふわな洋服を着た人など個性的なファッションをする人が沢山いた。
この幸も一見そういう人間の子供のようにも見えるが、菖蒲のことを知り商店街に訪れている以上は彼女もなにかしらの妖怪の一種なのだ。
真司はお雪や星、幸を見て思う。
『妖怪でも異形な姿をした人もいれば、人と間違えてしまいそうになる妖怪も沢山いるんだな……』と。
菖蒲や白雪達はもちろん、小豆洗いの小豆も豆腐小僧の豆麻も一見すれば人間の子供のようにも見えるが、八百屋の山童や魚屋の木魚達磨は見るからに妖怪らしい姿をしている。
(それにしても、この子はなんの妖怪なんだろう)
桜餅を食べながら幸のことを考えていると、白雪が台所から帰ってきた。
白雪は、テーブルに幸の分のお茶を置く。
「どうぞ」
「あっ、ありがとうございます!」
幸は菖蒲から距離を置き白雪が淹れてくれたお茶を一口飲むと「ほわ……」と、息を吐いた。
そんな幸を見て白雪は微笑むと、幸の前に桜餅も置いた。
「こちらもどうぞ」
「はっ! お餅!!」
お雪みたいに目を輝かせながら桜餅に飛びつき頬張る幸。お雪と幸、二人揃って桜餅を美味しそうに頬張る姿は、まるで小さな姉妹のように見えた。
黙ったままモグモグと桜餅を食べ終えると、二人して口元に餡子を付けながら「ごちそうさまでした!」と、元気な声で言う。星は先に食べ終わったのか、がしゃ髑髏の本屋さんで借りた『魔法使いの弟子』という本を読んでいた。
そんな中、菖蒲が少し驚いた様子で幸の名前を呼ぶ。
「幸。ここに来たということは家を出たのかえ? お前さん、いったいどうしたのじゃ」
「それが……その……」
目を見開き驚く菖蒲としょんぼりとする幸。そんな二人の姿に真司は内心首を傾げていた。
幸は俯き手をモジモジとさせ口ごもる。
「あの……うぅ……」
「どうしたのじゃ? あの家になにかあったのかえ?」
菖蒲の優しい言葉に幸はおそるおそる顔を上げる。その目は微かに涙ぐんでいた。
「じっ、実は……家が壊されたんです……」
「なんと!?」
「まぁ! ……それはどいうことなのですか?」
菖蒲が驚きの声を上げると白雪も幸の事情が気になったのか幸に尋ねた。
幸は涙を飲み込み全てを菖蒲たちに話し始める。
「あの家の持ち主――
飲み込んでいた涙が我慢できずにポロポロと幸の頬を伝う。
「私は、澄江が赤ん坊の頃からあの家に住み全てを見てきました……とても思い出のある家で……でも、でもっ……えぐっ」
「事情はなんとなく把握した。そうか……家が壊れてしまったか」
菖蒲は幸の頭を撫で、幸は涙を溢しながら小さく頷く。
真司は幸の小さな手を見る。悲しいのか、それとも悔しいのか、幸は服をギュッと握りながら下唇を咬み声を押し殺して泣いていた。
真司はそんか幸の姿にズキリと胸が痛くなる。そして、その幸の姿が東京に住んでいた頃の自分の姿を重ねてしまった。
真司が東京に住んでいた頃――まだ、真司が小学校低学年のとき。異形なモノの姿が見え声が聞こえる真司は、そのことを他の人達にも言ったことがあった。
『あそこは、変なのがいるから行かない方がいいよ』
『あの木の影に誰かいるよ』
しかしソレを見えない周りの人たちは、そんな真司を次第に訝しげで見るようになった。
本当にいるのに信じてもらえないツラさ、悲しさ、寂しさ。それは真司を自然と孤独へと引きずり、真司は信じてもらえないことから部屋の隅で膝を抱えて今の幸のようにギュッと服を握り声を押し殺して泣いていた。
その時のことを思い出した真司は、その記憶を振り払うように頭を小さく左右に振る。
(もう、昔とは違うんだ……大丈夫……)
自分に言い聞かせるように心の中でそう思っていると、真司の些細な不安や胸の痛みを感じたのか星が真司の腕をクイッと引っ張った。
「真司お兄ちゃん……大丈夫?」
「あ、うん。ありがとう、星くん」
真司は星の小さくサラサラの金の髪を撫でる。星は気持ちよさそうに目を細めた。
真司はそんな星に幸のことを尋ねた。
「ねぇ、星くん。幸ちゃんは、どんな妖怪なの?」
「……座敷……童子」
「座敷童子? そっか、だから幸ちゃんはあんなに泣いて……」
星の言葉に幸がなぜそんなに泣いているのか納得する真司。
妖怪『座敷童子』は、とても有名な妖怪なだけあって、妖怪にあまり詳しくない真司にも座敷童子がどういう存在なのかは理解できたからだ。
座敷童子――それは、人の家に住みつき幸福を与える者。座敷童子が家を出れば、その家は不幸になり没落するとも言われている。
本当はもっと座敷童子についての詳細があるのだろうが、真司が知る座敷童子についての知識はそれぐらいしかなかった。
座敷童子にとって住み着く家は自分の大切な家だ。それが思い出の詰まった家を壊され追い出されたとなると、幸がこれほど泣くのも仕方がない。
幸は涙を腕で拭い、菖蒲と目を合わす。
「菖蒲様、お願いします……家が見つかるまで、こちらに一時住まわせてください」
菖蒲に向かって深く頭を下げる幸。そんな幸を見て、菖蒲も深く頷いた。
「もちろんやとも。新しい住居が見つかるまで、好きなだけ居たらええ」
その言葉に、幸は救われたような表情を浮かべると元気よく「ありがとうございます!」と、言ったのだった。
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