第15話

 ✿―✿―✿―✿



 水族館の外に出て雛菊が待っているだろう海辺に行くと、そこには既に雛菊と稔が立っていた。

 真司は二人の邪魔にならないように遠く離れた場所に行くと、ポンと肩を叩かれた、



「真司、待っておったぞ」

「菖蒲さん!」



 菖蒲の顔を見て真司の心臓がドキドキと鳴る。



(うっ……好きって自覚すると何だか急に菖蒲さんの顔が見れなくなってきた)



 目の奥がチカチカし菖蒲が輝いているように見える真司。

 目を合わせられないでいる真司に菖蒲は不審に思い、その細い首を傾げた。



「なんじゃ、真司。顔が赤いがどうしたのじゃ?」

「いっ、いえ……なんでもないです」



 真司は、頑張って菖蒲に笑みを見せるがどことなくぎこちない笑みになってしまった。

 それでもやはり菖蒲にとっては今の真司はいつもと違うように見えたのだろう。菖蒲は真司を見ては少々納得していないような表情で「……そうかえ?」と真司に言ったのだった。

 真司はなんとかこの話題から逸れるように雛菊と稔の話へと切り替える。



「そっ、そういえば、菖蒲さんの言うとおり先生に話しました」

「で、どうやった?」

「先生は……雛菊さんが人じゃなくても心は変わらないそうです。でも……本当に僕から全て話して良かったんでしょうか?」



 菖蒲の手紙には雛菊のことも話すように書かれていたが、こういう事は誰かが言うよりも自分から言った方がいいのでは?と真司は思っていた。

 だから、本当に話してよかったのか真司は不安だったのだ。



「よい。雛菊も漸く話すと決めたが……私達から話した方が先生の気持ちも混乱も少しはマシになるやろう?」

「そういうものなんですか?」

「ふむ……そういうものかと言われると困るの。なにせ、中には自分から伝えたい者もおるしね。しかし、雛菊達にとっては、その方がええやろう」



 そう言うと菖蒲は「それで、真司。お前さんの気持ちはどうなのじゃ?」と、真司に尋ねる。



「え? 僕ですか?」

「うむ。自分のことを話して、昔と今の気持ちも変わったんじゃないかえ?」



 真司は目を伏せる。しかし、その表情は悲しそうな表情ではなく少しばかり安心したような表情だった。



「そう、ですね。本当に信じてくれているのかわかりませんけど……先生は、僕のこの目を〝才能〟と言ってくれました」

「ほぉ。それで?」

「昔は先生も信じてくれませんでした……先生の中には僕の頭がおかしいという目で見たりする人もいました。……だから、あんな風に僕の話を真面目に聞いてもらったことが無かったんです」



 真司は顔を上げ菖蒲と目を合わし話を続ける。



「菖蒲さん。僕……もう一度、誰かに自分のことを話せて良かったです」



 菖蒲は真司の優しく笑う微笑みを見て、自然と自分自身にも笑みをこぼした。

 菖蒲は目を閉じ「そうか」と、小さく呟く。



「菖蒲さん、ありがとうございます」

「ん?」



 菖蒲は目を開けると首を傾げる。



「はて、お礼を言われるようなことをしたかの?」

「はい。菖蒲さんが先生に自分のことや雛菊さんのことを話せって言ってくれなきゃ、僕は多分……ずっと、言えないままで終わっていたかもしれません。言おうって思っていても、結局、最後は言えず終いになっていたかもって思ったんです」

「ふふっ、そんな事かえ?ㅤ別にお礼を言われるようなことはしとらんよ。私は少し背中を押しただけじゃ。そこから先、どのように選択するかはお前さん次第。だから、私は何もしとらんよ」



 そう言うと菖蒲は「真司」と真司の名前を呼ぶ。



「先生に伝えることが出来た今、お前さんはまた別の大切な者に自分のことを伝えるんじゃないかえ?」

「……菖蒲さん」



 菖蒲が誰のことを言っているのかは真司には予想がついた。

 菖蒲の言う『大切な人』――それは、真司の友人である海と遥のことだったからだ。

『さすが神様』と言えるのだろう。真司は菖蒲が自分の悩みの一つが菖蒲にバレていることに驚きを隠せないでいた。



「菖蒲さんには何でもお見通しなんですね。……僕、勇気を出して伝えようかと思います。友達に」

「もし、以前と変わらずお前さんのことを否定したなら、その時はどうするのじゃ?」



 菖蒲の言葉に真司はその様子を想像する。一瞬、その想像に恐怖を感じたが、真司は目を閉じず逸らさずに菖蒲をジッと見続け話を続けた。



「その時は……また一人の道を選ぶんじゃなくて、周りに馴染めるように頑張ろうと思います」



 そう言うと真司は苦笑いをこぼした。



「……いつもなら自分の殻に閉じこもるだけでした。逃げるように嫌なことに目を背けていました。……けど、僕が見てきた物は怖いだけじゃなく、きちんと心があるものだとわかりました。それに……今の僕には、菖蒲さん達もいます」



 菖蒲は真司が言った言葉を噛み締めるように目を閉じ笑みを浮かべると「そうかえ」と、他に何も言わずにそれだけ呟いた。

 真司は、改めて自分のことを考える。

 菖蒲に出会う前は、一人の友人以外は信じてもらえなかった。しかし、その友人も真司のせいで大怪我をしてしまった。

 両親は真司の力の理解者ではあるが、真司と同じようなものを見ているわけでは無い。故に、真司が何に怯えているのかはわからなかった。

 それでも、真司の両親は我が子を精一杯フォローし続けた。けれど、真司は周囲の人々の奇怪な眼差しと囁かれている陰口に耐えられなかったのだ。

 だが、堺市に来て菖蒲達と出会い真司は変わった。

 見える力は強くなってしまったが、それらの人間では無い生き物にも心があり、それぞれ出会いと別れを繰り返し、今を楽しんで生きているとわかった。そして、自分と同じように人間では無い者達と関わっている人間にも出会った。

 閉ざされている真司の心の殻を壊すように、少しずつ剥がれ落ちる毎日。以前とは違う暖かく優しい環境。

 もう、誰にも言わない……誰とも関わらないと思っていた真司。それを変えてくれた日々に、漸く真司はもう一度自分のことを伝えようと決心がついた。

 今までも一歩一歩進み、悩みや不安等の〝壁〟という物も壊して進み続けていた。けれど、今回の壁はまるで合わせ鏡の中のように行く先々に必ずあったのだ。

 それが今日、この日、漸く鏡の一枚を壊すことができた。



(まだ荻原達にも言えない……でも、大丈夫。今の僕なら……大丈夫)



 そう真司は心の中で呟いた。

 真司は、自分に向かって微笑んでいる菖蒲を見るとパッと菖蒲から目を逸らした。



(先生にも言えて、荻原や神代にもちゃんと伝える。でも……僕の菖蒲さんに対する気持ちは……)



 真司は自分のことを相手に打ち明けることはできたが、一つだけできないものがあった。

 それは『恋心』だった。

 誰かを初めて好きになった人は、人ではない妖怪で神様だ。畏れ多いという気持ちはもちろんあるが、真司には自分に自信も無く、又、この関係が壊れてしまうのではないかという不安があったのだ。だから菖蒲に対する想いだけは、どうしても言えなかった。言う気も無かった。



(今は、このままの方が良い……)



 そう自分に言い聞かせる真司。

 真司は雛菊と稔の様子を見ると、雛菊は稔のことを何度も窺いながら何かを話しているようだった。

 そんな雛菊を見て、真司は「僕も……雛菊さんのように菖蒲さんに自分の気持ちを伝える日が来るのかな……」と、心の内で密かに思ったのだった。

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