第14話

 ✿―✿―✿―✿



 雛菊が面と向かって稔にきちんと話をすると決めた一方で、稔はまだ水族館の中で落ち込んでいた。



「はぁ……」



 深い溜め息を吐く稔に真司は内心焦る。



(どっ、どうしよう! 励ましてもまた落ち込んじゃうし……こういう時、どうすれば……)



 そう真司が思った瞬間、足元から黄金色の小狐が現れた。



「コンッ♪」

「うわっ!?」



 小さな小狐はピョンと高く飛ぶと真司の膝の上に乗った。



「え、え? きっ、狐?」

「うわ! なんだ、その狐……どこから現れたんだ?」



 どうやら小狐の姿は稔にも見えているらしい。稔は驚いた顔で小狐を見ると、恐る恐る小狐に触ろうとしていた。

 しかし、小狐がそれを許さなかった。小狐は稔の手を尻尾で振り払うと口を尻尾に当てモフモフしている尻尾から一枚の紙を取り出した。



「え? これを僕に?」



 折られた紙を咥えコクリと頷く小狐に稔は口を開けポカンとしていた。



「狐が……人間の言葉を理解した……」



 真司は小狐から紙を受け取ると、小狐はピョンと真司の膝の上から降り立ち颯爽とどこかに行ってしまった。



(えっと……もしかして、あの狐って菖蒲さんの?)



 菖蒲が何かしらの方法で連絡をしてくるとは思っていたが、まさか、狐を連絡係にするとは思わなかった真司。

 稔は小狐の去って行った方向をジッと見ると「宮前……あれ、夢か? さっきの狐頷いたよな?」と真司に尋ねた。



「あ……えっと……なっ、なんだったんでしょうね! あはは! 僕もビックリしましたよー」



 平成を装い何のことかわかっていないように言う真司。すると、稔が小狐が咥えていた紙のことを真司に尋ねた。



「そういや、さっきの紙はなんだったんだ?」



 真司もそれを思い出し慌てて紙を開く。



「えっと…………えっ!」

「なっ、なんて書いてあったんだ!?」



 興味津々で聞いてくる稔を他所に真司は驚いた顔で紙を見ては、稔と目を合した。

 真司は紙を閉じると二・三度深呼吸をして稔に手紙のことを話す。



「あの……先生に雛菊さんのこと……僕のことを話せって書いてありました」

「え? 雛菊さんと……宮前のことか?」



 真司の言っていることがわからず眉を寄せ首を傾げる稔。



(菖蒲さん……ほっ、本当に話すんですか……?)



 真司は手紙を握り締める。

 そう。小狐が咥えていた手紙の送り主は、やはり菖蒲からだったのだ。

 そして、手紙にはこう記されていた。


『雛菊は全てを先生に打ち明ける。その前に、お前さんも自分のこと……私と雛菊のことを先生に話しんしゃい。

 その後、水族館の裏手にある海辺に来るのじゃ。そこに雛菊は待っておる』


 真司は、この手紙の内容に驚きを隠せないでいた。何よりも、真司には稔に自分のことを言う勇気は無かった。

 言葉にしようとすれば脳裏に訝しげに真司を見る目が映る。



「……っ……」



 無意識の内に冷や汗が出て、言葉は詰まり、手が微かに震える。そんな真司の様子を見て、さすがに稔も心配そうな表情で真司の顔色を窺った。



「お、おい。顔色が悪いが大丈夫か……?」

「は、はい……」



 自分のことを誰かに伝える日が来ることはわかっていた。海や遥にも、信じてもらえなくても話そうと思っていたのも事実だ。

 だが、実際にその時が来ると真司は怖くて何も言えないでいた。



(菖蒲さんが言うんだ……だっ、だから、言わないと……)



「本当に大丈夫か? 確か、ここって中にカフェがあったな。そこで一旦お茶を飲んで落ち着――」

「――待ってください! 話があるんです!」



 立ち上がろうとする稔の腕を掴んで引き止める真司。

 稔は真司の必死さに一瞬呆然とすると、また椅子に座り直した。



「……話せるか? 無理に話さなくてもいいんだぞ?」

「だ、大丈夫です」

「……わかった」



 真司の返答に稔は真剣な表情で真司と向き合う。



「それで、雛菊さんとお前の話ってなんだ?」

「……せっ、先生は……人じゃないモノってし、信じます、か……」



 真司の言葉に稔は唖然となる。



「え……? えっと……それって幽霊のことか?」



 稔の質問に真司は無言で首を横に振る。



「え、違うの? じゃぁ、なんのことだ?」



 腕を組み「うーん……」と言いながら考える稔。



「幽霊じゃない人ではないモノ……お化けとかか? 神様とか悪魔とか……妖怪とか?」

「は、はい……」

「それを信じるか、かぁ」



 稔は「そうだなぁ」と呟きチラッと真司を見る。真司は稔の返答が怖いのか、ビクビクした様子で俯き怖がっていた。



「……俺にはわからん。なにせ見たことも会ったことも無いからな」

「…………」



 ギュッと唇を噛む真司。

 俯いているため真司が今どんな表情をしているかわからないが、グッとなにかに耐えているのだけは稔から見てもわかった。クシャクシャになった手紙を強く握りしめていたからだ。

 そんな真司を見て稔は苦笑いをこぼし話を続けた。



「けどな、必ずいないとも否定はできないな。ほら、昔はUFOの写真だって撮られてたし。そういう未知な生物とか宇宙人は、自分達が気づいていないだけで本当はいるんじゃないかーとも思うぞ」



 全否定しない稔に真司は内心ホッとすると、ゆっくりと顔を上げる。真司の肩の力が抜けたことに稔も見てわかった。



「でも、なんでそんな話をするんだ?」

「しっ、信じてもらえないのも馬鹿な話だと思われるのも重々承知です……でも、あの……僕……み、見えるんです。そういう……人じゃないモノが」



 真司のその言葉に稔は言葉を失うと、目を閉じ腕を組んで「ん、んーー……ん?」と首を傾げながら唸っていた。



「えーと……つまり、あれだよな? 宮前には、神様とか悪魔とか妖怪とか見えるってことか……?」

「あ、悪魔は会ったことがありませんが……神様と妖怪は……そう、ですね」



 稔と目を合わせずに答える真司。

 稔は眉間を軽く揉み始め「そうかぁ……」と呟いた。



「いや、でも……うん。なんつーか、納得できるって感じかもなぁ」

「え……?」



 稔は眉間を揉むのを止めると改めて真司の方を向いた。



「転校してきた当初、ずっと俯いてなにかに怯えるように廊下を歩いていたし。かと思えば、突然、走り出すし……なんていうか、独特な子だなとは思っていたんだ」

「あ……」



 真司の奇怪な行動に稔も気づいていたらしい。その事を知り、真司は「変な子って思ったよね……」と思い落ち込んだ。



「ほら、世の中って色んな子供がいるだろう? 感受性豊かな子供がいるように、なにか特殊な子供がいたりさ。例えば、何かを覚えるのにその時の匂いで記憶したりする子供がいるように」

「…………」



 また俯き今度は返事もしない真司に稔は話を続けた。



「だから、宮前も人とどこか違う物を持っているんだろうなって思ったんだよ。普通の人には無い、宮前だけが持っている才能みたいなやつを」

「才、能……」

「人とどこか違うことは異質でもなんでもない。それは本人しか持ち得ない〝才能〟と俺は思ってる」



 初めてそんなことを言われた真司は顔を上げ稔を見た。

 稔は真司から目を逸らさず真っ直ぐに真司のことを見て、真司が話したことを受け止める。菖蒲は真司のことを暗闇から引っ張ってくれたが、稔はそんな真司を受け止めてくれたような気がした。

 真司の目に、菖蒲とは違う光が映る。それは一人の人間として受け入れてくれたような春の木漏れ日のような光だった。



「先生……ありがとうございます。僕……僕、そう言ってくれたの凄く嬉しいです」



 真司の目に涙がこぼれる。真司は、その涙を落とす前に眼鏡を上げて腕で涙を拭うと少年らしい笑みをこぼした。

 真司の笑顔を見て、稔もフッと笑う。



「でも、そっか……宮前には、神様や妖怪が見えるんだな。これは秘密にしないといけないな」



 コソッと小声で話す稔は、ふと「そういえば」と呟いた。



「この事は荻原達は知ってるのか?」

「いえ……言おうかとは思っているんですけど……」

「まぁ、そうだよな。中々言えないよな、そういうのは」



 またもや落ち込む真司に稔は慌てて話題を変える。



「あ、あー、宮前。それで雛菊さんの話ってのはなんなんだ?」

「それが……その……」



 言い淀む真司に稔は「どうした?」と尋ねる。真司は、顔を上げるが稔とは目を合わせず何とも言えないような微妙な顔で「雛菊さん……妖怪なんです」と呟いた。



「…………え。ひ、雛菊さんが……よ、妖怪?」

「はい……」

「いや、でも……俺、見えてるけど……」

「実は、これにも事情がありまして……」



 真司は雛菊が何の妖怪なのか、そしてなぜ稔に見えているのかを説明した。

 真司が全てを話し終えると、稔は魂が抜けた抜け殻のような状態でペンギンを見ていた。真司はそんな稔が心配になり「せ、先生……?」と恐る恐る声を掛ける。



「あの……先生、大丈夫ですか?」

「え……あ、あぁ。ちょっと……その……頭の中の整理ができてないというか……」

「ですよね……あはは……」



 苦笑する真司に稔は頭を押え「そっかぁ……だから、あんなに見る物に驚いてたり感動してたのか」と独り言を呟いた。



「お金持ちのご令嬢なのかなって最初は思ったけど、それでもなんか違和感あるなとは思ったんだよ……そっかぁ……」

「先生、雛菊さんのこと……嫌いになりましたか……?」



 真司の質問に頭を押えていた稔が勢いよく顔を上げた。



「は!? そんなこと無い無い! 有り得ん!」

「…………」



 嫌いになったかという真司の質問に即答で否定する稔。真司はそのことにビックリしていた。



(てっきり、雛菊さんが人じゃないと知って、雛菊さんに対する気持ちも変わるかもって思ってた……)



 だが、それは真司の思い過ごしのようだ。

 稔は雛菊が人ではないにしても、自分のために姿を見せてくれたことや学校からいつも見守っていることに嬉しかった。そして、雛菊も自分と同じように好いていることに幸せを感じていたのだ。

 稔は改めて雛菊のことを好きになる。



「宮前……こんなこと言うのは大人気ないって思うかもしれないけどさ、俺……今、お前みたいに青春してるわ」



 口元を押えニヤける顔を無理に抑える稔に真司は首を傾げた。



「え? 僕みたいにですか?」

「そう、お前みたいに」

「…………」

「…………」



 二人の間に男の沈黙が訪れる。すると、稔が驚いた顔で「まさか……」と呟いた。



「み、宮前……気づいていない、のか?」

「えっと……何のことか全然わからないんですけど……」



 頬を掻き苦笑する真司に稔は呆れたように溜め息を吐いた。



「いやいや……いやいや。ははっ、まさか……えっ、マジで?」



 笑ったと思うと驚いた顔で真司を見る稔は、徐ろに真司の肩を掴んだ。

 肩を掴まれた真司はビックリして目を見開く。そんな真司に稔は真剣な表情で真司に言った。



「宮前……自分の気持ちに気づいていないのか!?」

「あ、あああの……じ、自分の気持ちですか?」

「そうだよ! あの黒髪美女……えっと、菖蒲さんだっけ? その人のことが好きなんだろ!?」

「えぇっ!?」



 真司は驚嘆の声を上げる。



「たっ、確かに菖蒲さんのことは好きですけど、それは尊敬して好きというか僕の目標というか……けっ、敬愛ですっ!!」

「ここまで鈍ちんとは……」



 稔は真司の肩から手を離すと又もや溜め息を吐いた。



「お前なぁ……損してるぞ? その気持ちに気づいていないなんて」

「え、え?」



 稔の言っていることがわからず真司は困惑する。そんな真司に稔は話を続けた。



「あの花見の時に、宮前が菖蒲さんに送る視線……あれは、恋の視線だ!」

「そ、そんな視線出してますか……?」

「出してる出してる。どんな視線かって言われると難しいけど、でも、これだけは確実に言える。宮前が菖蒲さんと話している時は嬉しそうな顔をしているってな」

「…………」



 真司は自分の顔に触り『そんな顔してるのかなぁ?』と暫し考える。すると、稔が「それにだ」と言って話を続けた。



「花見の時、あの人、宮前にお弁当をお皿に分けて渡してただろ?」

「は、はい」

「その皿を受け取った時の宮前の表情……ありゃぁ、誰がどうみても恋してるってわかるぞ」

「えぇっ!?」



 真司は自分の両頬をムニムニと触り「うぅ……わかりません……」と答える。



「自分では気づいていないか、それとも気づかないふりをしているのか俺にはわからんが……そうだなぁ、その人のことを好きになると意識するようになって、ふとした時にでも好きな人のことを考えてしまうな。緊張もする。宮前も菖蒲さんには感じないか? そんな気持ちが」

「…………」



 真司は稔に言われて今まで自分が感じていたことを思い出す。

 菖蒲の笑った顔やいつもと違う姿に胸が痛くなり、そんな菖蒲と話をする時は少しだけ緊張するけど嬉しくて幸せな気持ちになる。意外な一面を見れた時は、自分の知らない部分も見れたようで気分が上がることもあった。

 真司の視界が新しい扉を開いたように眩しくなる。



(そうか……僕、菖蒲さんのこと……)



 今までにも真司が菖蒲のことを好きと言われたことはあった。が、真司はそれを否定していた。

 好きだけど、尊敬として好きだと思っていたからだ。けれど、稔に言われてようやく気づいた。

 菖蒲のことを恋愛として好きということに。



「……っ」



 自覚すると一気に恥ずかしくなる真司。稔は俯き耳を赤くしている真司を見て笑みをこぼす。



「漸く自覚したな? にしても、宮前は自分のことになるととことん鈍感なんだなぁ」

「そ、そんなことは無いと思うんですが……」

「いやいや、鈍感じゃなかったら既に自覚してるからな」



 稔にバッサリと言われ肩を落とす真司。

 すると稔は「ふぅ……」と一息吐くと椅子から立ち上がった。



「宮前、雛菊さんってまだここに居ると思うか?」



 真司は立ち上がる稔を見上げると「はい、居ます」と答えた。



「よし。じゃぁ、俺、雛菊さんと話さないとな」

「はい。雛菊さんは、この裏の海辺で待ってます」

「そっか。……宮前、ありがとうな。先生が生徒に助けられるって何だか気恥しいけどさ……お前が俺の生徒で良かった」

「先生……」



 担任の先生に初めてそう言われて真司の心がジワリと温かくなる。

 稔は、そんな真司を見るとニカッと笑い「じゃぁ、行って来るわ」と言って水族館の外へと出て行ったのだった。

 稔の背を見送る真司は自分も立ち上がり、外で待っているだろう菖蒲の元へと向かう。稔に自分のことを打ち明け、更には菖蒲のことに関して自分の本当の気持ちもわかって真司の心は軽かった。

 そして、これから菖蒲と会うことに少しばかり緊張していたのだった。

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