第14話

 香夜乃と真司はベンチに座り、送り狼は香夜乃の向かいにしんどそうに伏せていた。

 菖蒲はその一人と一匹の隣に立っていた。

 菖蒲に力を吸い取られた送り狼は、目だけで香夜乃を見ると疲れたかのように「はぁ……」と息を吐き話を続けた。



「俺達が会ったのは、まだ香夜乃が三歳の時だ。俺達が山から何気なく人里の……香夜乃の家を見ていると、縁側で遊んでいるお前と目が合った。見えないはずなのに、お前はこっちに気づくとジッと見て手を振っていた」

「私、が?」



 香夜乃は自分の目にそっと触れる。


「俺は一々人間なんぞ覚えていねぇ。人間っつーのは、俺らの気づかない内にあっという間に歳を取ってコロコロと変わっていくからな。だが……俺と夜雀は、不思議と気持ちが浮き立った」



 送り狼は恥ずかしそうに香夜乃から目を伏せ、尻尾をユラリと揺らした。



「ま、まぁ……今思えば嬉しかったのかもしれねぇな……。怖がられることなく笑って手を振ってくれたことによ……チッ……」



 恥ずかしい気持ちを紛らわすように舌打ちをする送り狼に菖蒲は袖口を口元に当てクスリと笑う。



「ふふふっ、なんじゃ。さっきまでの威勢とは裏腹に偉く可愛げがあるじゃないかえ」

「なっ!? うっせぇ!!」



 真司は送り狼と菖蒲とのやり取りに苦笑いを浮かべると隣にいる香夜乃を見た。

 香夜乃も一人と一匹の光景に少しだけ心が落ち着いたのか、少しだけ口角が上がり微笑んでいた。

 すると、菖蒲は話を戻すように「さて、と」と呟いた。



「娘、名前はなんじゃ?」



 菖蒲が香夜乃に尋ねる。



「杉浦香夜乃です」

「香夜乃か。良い名じゃな。……お前さん、この送り狼をどうしたい?」



 菖蒲の問いかけにその場にいる真司と送り狼の心臓がドクリと鳴った。

 菖蒲は目を細めニコリと微笑んでいる。

 ただの笑みのはずなのに、真司は少しだけ菖蒲が別人に思えたのだった。

 もしここで香夜乃が送り狼を殺したいと願った場合、菖蒲はどうするのか……真司は菖蒲の取る行動に不安の種があった。



(でも、菖蒲さんならきっとそんなことしない)



『送り狼を殺すこと』――真司は、菖蒲はそんなことをしないと信じていた。

 真司が落ち込んだとき、悩んでいるとき、困っているときは微笑みながらそっと背中を押してくれる。優しくて、眩しくて、春のように暖かくて、ちょっぴりお茶目なところもある……真司にとっての菖蒲は、そんな印象だった。

 そして、真司自身が最も尊敬している人でもあるのだ。



(大丈夫)



 そう心の中で呟くと香夜乃が口を開いた。



「私は……夜雀と送り狼を安全な山に返してあげたいです」

「安全な山、か……ふっ」



 香夜乃の言葉に送り狼が皮肉げに笑うと再び目を動かし香夜乃を見た。



「いいか。今のこの時代にはな、俺達にとっての安全な山ってぇのは無いんだよ。昔よりも人は山を荒らし、汚し、時には自らの命を断つ。……ま、昔も今も、命を断つ奴はいたがな。全く……人間というのは愚かだぜ」

「送り狼、そう言うな。私らにも今も昔も色んなことがあった。ただ私らは人よりも長く生き、長い時間を掛けて色々なことに向き合っただけじゃ。人と私らは似て非なるものじゃが、そう言うても結局は同じなんよ……何かに対して抗い、その日、その時を……その瞬間を生きておる」

「…………」



 菖蒲の言葉に送り狼は目を伏せる。



「まぁ……そうだな……」



 送り狼は昔のことを思い出すようにジッと地面を見ながらポツリと呟く。真司は送り狼の様子に「きっと、彼も菖蒲さんと同じように色んな出会いと別れを経験したんだろうな……」と思ったのだった。

 そうでなければ、そんな表情はしないと思ったからだ。

 菖蒲は苦笑いを浮かべ送り狼の頭を撫でた。



「穢れ無き山というのは今はもう無いが、お前さんに新しい居場所を提供できるが……どうする? 元いた山に帰るのも良しじゃ」

「……帰らねぇし、その〝居場所〟ってぇのもお断りだ」



 送り狼の返事に真司も香夜乃も驚く。

 少しだけ体力が戻ったのか、送り狼は気だるそうに体を起こしゆっくりと立ち上がる。



「俺は、こいつの傍にいる」



 そう言いながら送り狼は足を動かし香夜乃の足元に移動した。

 見えない香夜乃は「え、え?」と言いながら困惑していた。

 真司はそんな香夜乃に「送り狼は杉浦さんの傍にいるって決めたようです」と伝える。



「私の、傍に……? でも、どうして……」

「まぁ、あれだ。せめてもの詫びってやつだ。理性を失ってしまったと言っても、俺はお前を怖がらせ食い殺そうとしていたからな……」



 送り狼は右前足を香夜乃の足の上にちょんと触れると耳を垂らし小さく「……すまなかった」と謝る。自分の足に感じた重みに香夜乃は少し驚いた様子を見せるが、それは直ぐに優しい微笑みへと変わっていた。

 すると、ずっと香夜乃の掌の上で眠っていた夜雀が目を覚ました。



「チ、チチ?」

「おや、目が覚めたかえ?」



 目が覚めた夜雀は近くに送り狼がいたことにビックリし、まるで猫が毛を逆立てるように全身の羽が大きく膨れた。

 だが、先程の香夜乃のようにそれは直ぐに収まった。

 夜雀は、送り狼が正気に戻っていることに気がついたのだ。



「夜雀……お前にも迷惑をかけた。すまねぇ……」

「チ……チチ……チチチッ! チチチッ!」

「うわっ!?」



 夜雀は嬉しそうに送り狼の顔に飛びつき何度も羽を羽ばたかせる。送り狼は苦笑しながら顔を夜雀から逸らすと「やめろって」と夜雀に言った。

 じゃれているように見える送り狼と夜雀。

 真司はそんな種族の違う一匹と一羽を見て笑みをこぼす。



(本当は仲が良かったんだね)



 真司が夢で見たとき、既に送り狼は殺気立っていたのだ。

 恐らく、本来の送り狼の姿は話す口調は悪くても性格は案外優しいらしい。まるで兄弟のように見える送り狼と夜雀に真司はクスリと笑ったのだった。

 それは香夜乃にも伝わったのか、香夜乃もまた真司と同じように小さく笑っていた。



「夜雀」



 香夜乃が夜雀を呼ぶ。

 夜雀は送り狼の頭の上にちょこんと佇みコクリと首を傾げた。



「チチチ?」

「私のことを今まで守ってくれてありがとう。それと、送り狼……私はあなたに何をしてあげたらいいのか、どう接すればいいのかまだよくわからないけれど……これから、よろしくね」

「おぅよ」



 夜雀は、送り狼と香夜乃の二人の会話についていけずまた小さく首を傾げ「チチ?」と鳴く。

 夜雀の言葉を訳すことはできなくても、この状況がわからないというのだけは菖蒲にもわかったのか、菖蒲は送り狼の今後のことを夜雀にも説明した。

 全ての話を菖蒲から聞いた夜雀は、菖蒲に向かって羽を羽ばたかせる。



「チチチッ! チチチッ!」



 なにかを訴えるように何度も菖蒲に向かって鳴く夜雀。しかし、菖蒲にはなにを言っているのかわからず、菖蒲は眉を寄せ困ったように「む、むぅ……」と呟いた。

 すると、香夜乃が菖蒲に「夜雀は、自分も私のところに居たいと言っています」と言った。

 菖蒲と真司、そして送り狼は目を見開き驚いた様子で同時に香夜乃を見る。



「杉浦さん、夜雀の言っていることがわかるんですか?」

「はい。……最初は、鳥の鳴き声しか聞こえませんでしたが、夜雀が送り狼にやられた時、痛々しい夜雀の声が聞こえたんです。それで私、必死で手探りで夜雀を探していたら、この子の鳴き声と共に頭の中で別の声が聞こえたんです。『逃げて』って……」



 香夜乃の話に送り狼は罰が悪そうな表情をし、耳をしょんぼりと垂らす。



「本当にすまねぇ……夜雀、香夜乃……」

「ううん、いいの! 私の方こそ、ごめんなさい。説明とは言え、あなたを傷つけてしまって」

「チチチ」



 送り狼の頭の上で夜雀が小さく羽ばたく。

 どうやら送り狼には夜雀の言葉が理解できるらしい。送り狼は少し目に涙を溜めて「夜雀……ありがとうな」と弱々しく言ったのだった。

 送り狼は前足で器用に涙を拭うと、改めて菖蒲の方を向いて頭を下げた。

 それは、送り狼の頭の上にいる夜雀も同じだ。



「名前を聞いてねぇが、九尾の姐さん。どうかお願いがある。あんたの力は相当強い。だからこその願いだ。……もし、香夜乃の目を元に戻せるならやってほしい。代償ならなんでも支払う……だから、頼む!!」

「チチチッ!」



 菖蒲は頭を下げる送り狼と夜雀を見て腕を組み「ふむ……」と呟きながら考える。だが、菖蒲がなにかを言う前に香夜乃が「待って!」と送り狼達に言った。



「代償ってなに!? 私は、あなた達の何かの代償で目を元には戻したくない! このままでも私は大丈夫。だから、自分を犠牲にしないで……」

「それじゃぁ、俺の仁義が通らねぇ。俺は、時代が移り変わったと共に俺の中での送り狼としての役割、役目も変わったんだ。人間はもう殺さねぇ……それが俺が決めたことだ。だが、俺はそれすら忘れてお前をここまで傷つけちまった……このままじゃ、やるせねぇんだよ」



 悔しそうに話す送り狼と「でも――!」と言いながら、送り狼の言葉に反論する香夜乃。

 真司は送り狼が言っていることも、香夜乃が言っていることも、どちらの言い分も理解している。だからこそ、どうすれば二人が納得できるようになるのかわからなかった。

 真司は、菖蒲はどうするのだろうかと思い菖蒲を一瞥すると、菖蒲は送り狼と香夜乃の言い合いに割って入り「では、こうしよう」と言った。



「私に支払う代償はいらぬ。私も昔と変わったからの。これは、私の一つの案じゃ。目を治すことは出来ぬが、その視力を分けることは可能じゃ」

「そ、そうなんですか?」



 真司がそう言うと菖蒲は小さく頷いた。



「夜雀の言葉を理解できたのも恐らくは夜雀と香夜乃との間に強い想いが生まれ、強く結ばれたからじゃろう。長きに渡り夜雀が香夜乃の傍にいたというのもありうるかもしれぬが」

「強い想い……」

「うむ。夜雀は香夜乃を守りたいという想い。香夜乃は夜雀を助けたいという想いが、普通の人間なら理解できぬ夜雀の鳴き声に反応したのじゃろう」



 菖蒲は真司に笑みをこぼす。



「真司。強い想いというのは、時には私でも理解出来ぬ凄い力が生まれるんじゃよ」



 菖蒲はそう言うと話を折るように「さてと」と手を小さく叩いた。



「香夜乃よ。今一度お前さんに問うが、お前さんはどうしたい?」

「視力を分けることに関して……その……危険性とか無いでしょうか?」



 恐る恐る菖蒲に尋ねる香夜乃。

 菖蒲はそんな香夜乃の言葉に「無いとも言えない」と言った。

 香夜乃は不安げな表情で俯くと、菖蒲はそんな香夜乃を見て話を続けた。



「妖怪の視力を分けること……それはつまり、今まで見えなかったモノ達が見えるということになる。私ら妖怪にとっての危険性は無くても、香夜乃にとっては未知の世界、未知なる生物を見ることになるの。ここいらの妖怪は私と私の知り合いが見ているため大人しいが、他の地域に行けばお前さんにも危険が及ぶかもしれん」

「…………」



 香夜乃は不安なのか膝の上にある手をキュッと握る。

 真司は幼い頃から今もずっと人ならざるものが見えていた。だからこそ、香夜乃の不安さはよく理解しているつもりだった。



(そりゃぁ、不安になるし怖いよね……。菖蒲さんみたいに人に見える妖怪もいれば、そうじゃない妖怪もいる……変に関わってしまえば、自分だけじゃなく周りの人達にも危害が及ぶかもしれないんし)



 そう真司が思った瞬間、その真司の思ったことや香夜乃の不安を掻き消すように送り狼が「俺が、香夜乃を守る」とハッキリと菖蒲に言った。

 香夜乃は俯いていた顔を上げ、声がする送り狼の方を向く。



「送り狼、さん……」

「俺は夜雀よりも強いし、人間一人ぐらい守れる力もある。俺がこいつの隣にいる以上は、こいつには怪我一つ与えねぇ」



 菖蒲は送り狼の言葉に袖口を口元に当て静かに笑う。



「ふふふっ……まるで姫を守るナイトのような台詞やぇ。しかし、気に入った。お前さんのその生き様」

「ふんっ……たりめぇだ」

「では、守る側を送り狼。視力を分けるのは『 目に特化した妖怪』の夜雀が一番ええの。香夜乃、後はお前さんの返答次第じゃ」



 送り狼の意志の強さとその言葉に香夜乃の心が大きく揺れる。

 そして、香夜乃の心もまた決まった瞬間でもあったのだった。

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