第15話

「菖蒲さん、で宜しかっでしょうか? あの……私の目のことですが……お願い致します」



 菖蒲は送り狼と夜雀と目を合わせると、送り狼達も香夜乃の言葉と同時に頭を下げ始めた。

 それぞれの覚悟と決心がわかった今、菖蒲は深く頷く。



「あい、わかった。と言っても、私がやれることはほんの一部じゃ」

「そうなんですか?」



 香夜乃の隣に座っている真司が菖蒲に言った。

 菖蒲は「うむ」と言いながら小さく頷き話を続ける。



「残念ながら私はそこまで大それたことはできん。幻と言った幻覚を見せたり、自分自身が他の者に化けるのは大の得意なんやけどねぇ」



 そう言いながら、いつもの仕草でクスクスと笑う菖蒲。

 真司は菖蒲の得意分野を知り内心驚くと、心の中で「それだけでもかなり大それてると思うんですけど……」と思ったのだった。



「まぁ、私のことは置いといてじゃ。やり方は至極簡単……夜雀に私の妖力を分けるだけじゃ」

「夜雀にか?」

「チチ?」



 送り狼と夜雀が首を傾げる。



「夜雀は相手の視界を奪う妖怪じゃ。なら、逆に何らかの形で与えることも可能かもしれん。じゃが、今の夜雀には相応の妖力は無い。そこで、じゃ……」



 菖蒲はそう言いながら自分の人差し指をガリッと噛んだ。

 菖蒲の指から赤い血がジワリと出てくる。菖蒲は、その指を送り狼の頭の上にいる夜雀の前に差し出し話を続けた。



「その相応の妖力を私が一時的に与える。血は生命の源……ここから取った方が効率的に夜雀の体内に巡るじゃろうて。そこから先は、夜雀と香夜乃次第じゃ」

「私と夜雀のですか?」

「うむ。なにせ前例が無いからのぉ。つまりは、お前さんらの想いと絆……後は、運ぐらいかの」



 しかし、菖蒲には確証があった。これは必ず成功すると。

 なにせ、夜雀の言葉を香夜乃が理解できたからだ。

 既に二人の〝縁〟は固く結ばれている。だからこそ、前例が無くてもこの二人なら成功させることができると思ったのだった。



「さぁ、夜雀。私の血を飲みんしゃい」



 菖蒲が夜雀に言うと、夜雀はくちばしを菖蒲の人差し指に当て血を舐めた。

 そして、夜雀は香夜乃の頭の上に飛び移ると「チチチッ チチチッ」と鳴いた。

 真司は夜雀が香夜乃の頭に飛び移ると同時にベンチから立ち上がり、菖蒲の隣に移動して香夜乃と夜雀の様子を見る。

 すると、夜雀の体から闇のように真っ黒なモヤが出てきたのだった。

 真司が驚愕しながら驚いていると夜雀から出たモヤが香夜乃の目をアイマスクのように覆った。

 真司は息を飲むように香夜乃と夜雀を見守ると、夜雀の真っ黒な目が一瞬にして金色の目へと変化した。



(あの目の色!)



 そう。その金色の目は、菖蒲が九尾化した姿と同じ色だった。

 夜雀の目が金色になった瞬間、黒いモヤも一瞬にして金色へと変わるとモヤは次第に消えて行く。そして、香夜乃の目を覆っていたモヤは次第に薄くなり消えて行った。

 モヤが完全に掻き消えると、菖蒲は「香夜乃、どうじゃ?」と香夜乃に言った。

 真司と送り狼、香夜乃の頭から飛び降り再び送り狼の頭上に移った夜雀が息を飲みながら様子を見守る。


「………見える」


 香夜乃はゆっくりと目を開けると恐る恐る瞼に触れた。



「朧気だけど……見える……!」



 香夜乃はキョロキョロと周囲を見回すと真司の方を見た。



「君が、宮前君だよね?」

「は、はい」



 真司がぎこちなく返事をすると香夜乃はベンチから立ち上がり真司の前まで歩み寄る。そして、香夜乃は両手で真司の頬を優しく挟んだ。



「っ!?」



 突然触れられたことに驚く真司。

 だが、香夜乃の嬉しそうな表情を見るとそれすらもどうでもよく感じられた。

 香夜乃は、まるで少女のように嬉しそうに微笑み、笑みで細くなった目元には涙が溜まっていたからだ。



「やっぱり、私の想像通り。君はとても優しそうな顔をしている。でも、眼鏡をかけていたとは思わなかったなぁ。ふふふっ」



 次に香夜乃は真司の隣に立っている菖蒲を見る。



「あなたが菖蒲さん、ですよね?」

「うむ。自己紹介がまだじゃったかな? 私は菖蒲と申します。よろしゅう」

「宜しくお願いします。それと、ありがとうございます」



 菖蒲は「ふふっ」と笑い口元を袖口で隠す。



「私は何もしとらんよ。私よりも、夜雀に例を礼を言うといい」



 菖蒲と真司は微かに笑みを浮かべながら送り狼と夜雀を見る。香夜乃も二人のその視線を追うと、香夜乃は一瞬驚きはしたものの直ぐに送り狼と夜雀の傍に歩み寄った。

 そして、香夜乃は送り狼達と目を合わせるようにその場にしゃがみ込む。



「あなたたちが送り狼と夜雀ね」

「チチチッ!」

「……お、おぅ」



 送り狼はやはり気まずいのか、香夜乃とは目を合わせようとしなかった。

 すると香夜乃が無理矢理送り狼の頭を自分の方に向けた。

 送り狼と香夜乃がバッチリと目が合う。

 香夜乃に顔を手で挟み込まれているので、送り狼は逃れられぬ香夜乃の視線をジッと見つめる。送り狼の額には薄らと汗が滲んでいた。



「送り狼さん」

「っ!!」



 呼ばれた送り狼はビクッと体を上がらせる。それでも香夜乃は送り狼の顔を離さず話を続けた。



「送り狼さん、私は……あなたを許します。あなたの取った行動は、そもそもあなたの意思ではないんでしょう?」

「あ、あぁ……全て人間が生み出した穢れから来て、俺は理性を失い人間に……俺のことが見えたお前に怨みを抱いた……」

「それなら謝るのは私の方。送り狼さん、他の人達の代わりに私が謝ります。ううん、謝らせてください。……あなたたちの存在がわからないと言っても、私達は山を汚し、あなた達にとても迷惑をかけてしまった。……本当に、ごめんなさい」



 香夜乃は眉を寄せ落ち込んだ様子で話を続ける。



「きっと、これからも人は過ちを起こします。……けれど、どうか嫌いにはならないで。中には山のことをちゃんと考えて管理し、環境を戻そうとしている人もいるの。……これは、私の勝手な我儘で勝手な言い分かもしれないけれど……嫌いにはなってほしくないの」



 香夜乃の真っ直ぐな目と言葉に送り狼もジッと見つめ返し口を開いた。



「……俺は、もう人間を嫌いとは思ってねぇよ。腹は立つが……その……人間の中にも優しい奴がいるってことは知っているしな。お前みたいに」

「送り狼さん……」



 送り狼はやはり恥ずかしいのか、無理矢理香夜乃の手から逃れるとパッとそっぽを向く。



「まぁ……でも、お前の目が少しでも見えるようになってよかった」

「うん」


 送り狼と香夜乃の空気が良いものに変わり、香夜乃の目が見えるようになったのが嬉しく、夜雀は羽を羽ばたかせて「チチチッ! チチチッ!」と鳴いた。

 そして、夜雀は送り狼の頭上からピョンと飛び降り香夜乃の頭の上に移ろうとする。が、夜雀は何故だかフラフラとした様子で飛んでいたのだった。

 あまりの夜雀のふらつきに香夜乃は優しく夜雀を手で包み込む。

 真司はそんな夜雀に「どうしたの? また、体調が悪くなった?」と心配そうな表情で声をかけた。

 それは夜雀を包んだ香夜乃もそうだった。



「……大丈夫?」

「チチチッ」



 真司には夜雀の言葉を訳すことはできないが、きっと夜雀のことだ。『大丈夫だよ』と言っているに違いない。

 すると菖蒲が「ふむ」と小さく呟いた。



「視力を分け与えたから、まだ自分の視力に慣れていないのかもしれぬな。なにせ、前の視力のいくらかを香夜乃に与えたからの。……しかし、これでは危なっかしくて心配じゃな」

「……大丈夫です。私が、ずっとこの子の傍にいます。今度は私が、夜雀を守るわ」



 優しい笑みを浮かべながら微笑む香夜乃。

 夜雀はそれが余程嬉しかったのか目に涙を溜めて「チチチ……」と鳴いた。

 菖蒲と真司は二人のそんな姿を見てお互いに目を合わせるとフッと微笑んだのだった。


 こうして、香夜乃の周りに起こる危険なことは何もかもが終わりを告げた。


 香夜乃は夜雀と送り狼を連れて、一先ず帰宅する。目のことや送り狼達のことを家族に話すかはわからないが、真司と菖蒲は香夜乃達ならきっと上手くいける関係を築けるだろう……勇と清太郎みたいに良き隣人、良き家族としてやっていけると思ったのだった。

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