第13話

 ✿―✿―✿―✿


 稔と話していて約束より少し遅れてしまった真司は、慌てて待ち合わせの公園へと向かい走っていた。



「はぁ、はぁ、はぁ」



(杉浦さん、一人で大丈夫かな? 傍には夜雀もいるはずだけど……杉浦さんには夜雀の姿は見えないだろうし……)



 送り狼に狙われているとなると、きっと一人だと怖くて心細いに違いない。朝に話したときは、そんな様子は見られなかったけれど、誰だって見えぬものに襲われると恐怖を抱く。

 姿が見える真司だって襲われるとわかれば恐怖するのだから、香夜乃はもっと怖い気持ちになっているかもしれないと真司は思っていた。



「はぁ、はぁ、はぁ」



 保育園を通り過ぎ坂を下る真司。

 そして、公園へと辿り着くと真司はその光景に目を見開いた。



「あれ、は……」



 真司が見た光景――それは、一匹のくすんだ灰色の獣が香夜乃に向かって牙をむき出しながら威嚇している光景だった。



「い、犬?」



 そう思った真司だが、それが普通の犬ではないと直ぐにわかった。

 その獣の前には、夜雀を守るように胸の前で優しく抱いている香夜乃がいたからだ。



(あれは……送り狼!)



 真司がそう思った時、送り狼が香夜乃に今にも飛びかかろうとしていた。

 真司は鞄を投げ捨て慌てて香夜乃に向かって走る。



「危ないっ!!」



 まるで時間がゆっくりと流れるように、送り狼が香夜乃に飛びかかり真司が走る。

 数分、数秒のことなのにスローモーションのように感じる感覚。真司は頭の中で『守りたい』という強い気持ちがあった。



(間に合え……間に合え!)



 めいいっぱい腕を伸ばす真司。



(間に合えっ!!)



 そう強く思った瞬間、香夜乃と送り狼の間に大きな光の壁が現れ、その壁には見たことのある模様が浮かび上がっていた。

 だが、今の真司にはそんなことどうでもよかった。


 ――バチッ!



「ギャウッ!!」



 送り狼がその壁にぶつかると、静電気が音を鳴るような小さな音がした。

 送り狼はその壁に弾かれ地面へと落ち、真司は香夜乃を守るように覆い被さる。

 香夜乃は思わず倒れ込んでしまったが、顔をゆっくり上げると「宮前、君……?」と呟いた。



「杉浦さん、大丈夫ですか!?」

「え、えぇ。ありがとう、宮前君」



 真司は香夜乃に怪我が無いことにホッとすると、香夜乃の掌に包まれるように抱かれている弱っている夜雀を見た。



「夜雀、大丈夫!?」

「チ、チチ……」



 夜雀が弱かった声で小さく鳴く。

 香夜乃はそんな夜雀を見て、ポロリと涙をこぼした。



「この子、私を守ってくれたの……。私のせいでこの子まで……っ……」

「杉浦さん、夜雀のことが見えるんですか!? ……いや、今はそれどころじゃないですね。早くここから逃げましょう!」



 真司が香夜乃の腕を掴み香夜乃を立たせると、真司はまだその場で倒れている送り狼を横目で一瞥した。



(気絶、してる……今のうちに、どこかに逃げなきゃ!)



 だが、一体、どこに逃げればいいのかわからなかった。

 このまま商店街に行けばいいが、真司以外の人間が商店街に入れるのかもわからない。入れたとしても、商店街の妖怪たちは他の人間が町に入ってくることはよく思わないかもしれない。



(一体、どこに行けば……)



 そう思った時「グ、グゥゥ……」と、送り狼が気絶から目を覚ました。

 送り狼は覚束無い足取りで立ち上がる。



「人間、風情がっ……!」

「っ!!」



 赤色の瞳が真司を睨み、鋭い牙を見せる。



「宮前君、私を置いてあなただけでも逃げて」

「そんなこと出来るわけないじゃないですか! 僕だって……夜雀と同じく、杉浦さんを守ります! もう二度と誰かが傷つくところを見たくないんです!」



 香夜乃は真司の強い想いの言葉に少し驚き言葉を失う。

 まだ会って間もないが、香夜乃は真司のことを優しく時々臆病なところがあるように思っていたからだ。

 だが、それは香夜乃の思い違いだったらしい。



「君は、優しくて強いんだね」



 香夜乃には真司がどんな姿をしているのかわからない。けれど、何となく想像できるような気がした。

 太陽の光のように眩しい白。

 綺麗で、暖かくて、まるで誰かの不安や悲しみをも受け入れ全てを真っ白にしてくれるような真司の〝色〟。



「兎に角、ここじゃないどこかに行かないと!」



 切羽詰まった声で真司は香夜乃の腕を引っ張り公園から抜けようするが、送り狼は真司達をここから逃がす気は無かった。いや、逃げることを許さなかったのだ。



「ここから逃げれると思うなよ、人間がぁっ!!」



 送り狼が、今度は真司に向かって飛びかかってくる。



「っ!?」



 真司は飛びかかってくる送り狼に驚き、思わず息を飲んだ。

 送り狼の鋭い牙が真司の肩目掛けて向かってくる。真司は香夜乃から手を離し身構えるが、その牙は真司の肩を食いちぎることは無かった。

 ふわりと、ほのかな花の匂いが真司の鼻腔を掠める。

 身構える時に目を閉じていた真司がゆっくりと目を開くと、目の前には真っ黒な長い髪をゆらりと揺らした菖蒲が立っていたのだ。

 真司は目の前に菖蒲が立っていることに驚愕すると菖蒲の名前を呼んだ。



「菖蒲さん……」



 すると、菖蒲を呼ばれた菖蒲が「間に合ってよかった。大丈夫かえ?」と真司を心配する。



「は、はい」

「そうか。ならよかった」



 そう菖蒲が言うと、菖蒲は右手を大きく横に振り払った。

 菖蒲の背中にいた真司は、菖蒲の右手に送り狼の太い足の片方を軽々と持っていることに唖然としながら驚いていた。

 菖蒲の手によって吹っ飛ばされた送り狼。



「ギャウッ!!」



 大型犬よりも一回り大きい送り狼を軽々と投げる菖蒲と二度もコケにされたことに腹が煮えくり返るほど怒りを露わにする送り狼。



「真司、そこの娘を連れて、私から離れんしゃい」



 菖蒲が真司に背を向けながら言うと真司は慌てて返事をし香夜乃の手を取って菖蒲と送り狼から距離を置く。

 香夜乃は真司に引っ張られるがままに歩くと真司に「宮前君は誰と話していたの?」と尋ねた。

 真司と香夜乃は公園にある倉庫らしき建物の裏に隠れる。



「そっか……菖蒲さんが化けない限り声も聞こえないんだっけ」

「その人は菖蒲さんと言うの?」



 真司は「はい」と返事をすると香夜乃に菖蒲のことを少しだけ話した。



「菖蒲さんは……人ではないけれど、僕の恩人で最も尊敬する人です。優しくて、眩しくて、いつも凛としていて、人望も厚くて……僕の憧れの人なんです」



 香夜乃は真司の話を聞いて小さな笑みを浮かべる。

 すると真司は恥ずかしいことを口走ってしまったと思い少し顔を赤らめると「そっ、それよりも、菖蒲さん大丈夫かなっ!」と言いながら菖蒲と送り狼の様子をコソッと窺ったのだった。

 覗き込むように菖蒲と送り狼の様子を窺うと、真司はその光景に目を見開きながら言葉を失っていた。



「…………菖蒲、さん?」



 真司の目に映るもの――それは、人の姿をした『菖蒲』ではなく黄金色の四肢に九本の長い尻尾をユラリと揺らした大きな狐だったのだ。

 その狐は送り狼よりも遥かに大きく、狐はまるで子猫の首根っこを噛んでいるように送り狼の首根っこを噛んでいた。



「キュウゥ……」



 噛まれている送り狼は、目を回し項垂れている。

 真司が香夜乃と話しているのはほんの数分間のことなのに、この数分間の間に菖蒲と送り狼に一体何が起こったのかと真司は内心驚きながらもそう思ったのだった。



(なにか凄い音がしたわけじゃないのに……)



 真司が口を開け驚いたままでいると、真司の視線に気づいた菖蒲がゆっくりと真司の方を向いた。

 見上げるほど大きい九尾の狐に真司は思わずゴクリと息を飲む。

 狐の姿になった菖蒲と真司が見つめ合う。

 真司は何かを言うべきなのだろうが、何を言えばいいのか、どう声をかければいいのかわからなかった。

 すると、菖蒲が咥えていた送り狼をパッと離した。

 気を失っている送り狼は、そのまま地面に落ち相変わらず目を回したままだ。

 菖蒲の体が白い煙に包まれ少しづつ見えなくなると、煙は風が吹く方向へと今度は少しづつ消えていく。そして、菖蒲の姿が見えてきた時には、菖蒲の体は大狐からいつもの美しい女性の姿へと変わっていた。

 まるで神様が地面に降り立つように、そっと菖蒲の足が地面に着く。



「……お前さんには、あの姿を見せるのは初めてだったの」



 珍しく目を伏せ気まづそうに話す菖蒲。

 その菖蒲の目からは『不安』が微かに見えているような気がしていた。



「…………」

「…………」



 不安気な菖蒲を見るのは初めてで、真司は内心驚いていた。



(菖蒲さんもこんな表情するんだ……)



 何か遠くを見つめるときや悲しそうな目をするときは何度か見たことがあるが、こうやって目の前で不安そうに話す菖蒲を見るのは初めてだったのだ。



「その……やはり怖かった、かえ?」



 菖蒲の問いかけに真司が答えようとした時、恐る恐る窺うように倉庫の裏から香夜乃が「あ、あの……宮前君、もう大丈夫なの?」と声をかけてくる。真司はハッとなり慌てて返事をする。



「はい、大丈夫です!」



 真司の返事でゆっくりと倉庫裏から出てくる香夜乃。



「あの、その方が宮前君が言っていた人ですか?」

「はい。って、あれ? 杉浦さん、菖蒲さんの姿が見えるんですか?」

「いいえ。でも、宮前君と同じく〝色〟が見えます。とても眩しくて、まるで後光のような……」



 菖蒲は香夜乃の言葉にクスリと小さく笑う。



「お前さんが夜雀が守りたい人かえ。なるほどねぇ。そして、どうやら私の声も届いているみたいやね」



 真司は首を傾げ「どういうことですか?」と菖蒲に尋ねる。

 菖蒲は、また笑うと人差し指を口元に当て含みのある笑みを浮かべた。



「実はの、今の私は他人が見えるように化けてはいないのじゃ」

「え!?」

「だから、普通の人間には私の姿も声も届かぬ」

「そ、そうだったんですか……」



 菖蒲は興味深そうに香夜乃の傍により上から下をジーッと見つめると、ふと、香夜乃の掌の上にいる夜雀を見た。



「おや、夜雀じゃないかえ」



 菖蒲の言葉に香夜乃はハッとなり菖蒲に夜雀を見せる。



「あっ、あの、この子送り狼に! 酷い怪我とかしていませんか!? 私、見えなくて……この子がどういう状態なのか全然わからなくて……」

「ふむ。気絶しているだけで問題はないの」

「そ、そうですか……よかった」



 香夜乃は腰を抜かすようにその場にへたり込むと、菖蒲は香夜乃に「大丈夫かえ?」と優しく声をかけた。



「は、はい……あの、送り狼は……」



 真司は地面に倒れている送り狼をチラッと見る。



「生きてはいるんですよ、ね……?」

「うむ。一々突っかかってきて面倒じゃからの、あやつの妖力を限界まで吸い尽くしたのじゃ。当分は起き上がれん」

「そうなんですか」



 菖蒲は小さく息を吐くと真司の方を見る。



「真司。その人とそこのベンチに座ってておくれ」

「は、はい」



 真司は香夜乃の手を取り立たせると、一緒にベンチへと腰掛けた。

 菖蒲は気絶している送り狼の首根っこを掴み軽々と持ち上げ、真司達が座っているベンチに移動する。



 ――ドサッ。



 菖蒲が送り狼をまた地面へと落とすと「さて、と」と小さく呟いた。

 真司は、これから菖蒲がなにをするのかわからず首を傾げる。香夜乃は心配そうな表情で掌の上にいる夜雀を目が見えない目でジッと見ていた。

 すると、菖蒲が袖の中から小さな小瓶を取り出した。

 その小瓶の中には透明な液体が入っている。



「菖蒲さん、それはなんですか?」



 真司がそう尋ねると、菖蒲は小瓶の蓋を開けながら「これは水じゃよ」と真司に言った。

 そして菖蒲は、その小瓶の中の水を送り狼の口に入れ無理矢理飲ませる。

 ゴクリ……と送り狼の喉が鳴ると、気絶した送り狼が突然カッと目を覚ました。

 目を覚ました送り狼に慌てて立ち上がり香夜乃の前に立つ真司。

 菖蒲は、そんな真司の勇気のある行動にクスリと笑った。



「安心おし、真司」

「え……?」



 真司がどういうことなのかを聞こうとした瞬間、目を覚ました送り狼が苦しそうな声を上げ始めた。



「グルァァァァァァッ!!」

「っ!?」



 送り狼のその声にビックリする香夜乃と真司。

 菖蒲だけは平然とした様子で送り狼をジッと見ていた。

 菖蒲は「送り狼の目を見てみんしゃい」と真司に言う。

 真司は菖蒲の言う通り送り狼の目を見た。



「あ……送り狼の目の色が……」



 真司が見た時、送り狼の目はまるで血のように真っ赤な色をしていた。だが、その目は次第に色が変わり薄紫色へと変化し始めたのだった。



「グゥゥゥゥッ!」



 蹲るように体を丸め苦しむ送り狼。

 すると、そんな送り狼の体から黒いモヤのようなものが体から出てきた。



「うわっ! 菖蒲さん、あれなんですか!?」

「あれは『穢れ』じゃ。送り狼の理性を失わせたものでもある。人々の不の想い、感情、血、それらが溜まりに溜まって穢れとなったのじゃ」



 まるで浄化されるかのように、その黒いモヤがシューっと音を立てながら掻き消えていく。全ての穢れが送り狼の体の中から消えたのか、今まで苦しんでいた送り狼も段々と落ち着きを取り戻した。



「グッ……ここ、は……」

「正気を取り戻したようじゃの、送り狼」

「てめぇ、誰――っ!!」



 菖蒲を睨みながら言う送り狼の言葉が突然詰まると、送り狼は毛を逆立て菖蒲を見る。どうやら、全ての記憶とまではいかなくても菖蒲にコテンパンにされたことは思い出したようだ。

 菖蒲は不敵な笑みを浮かべ「なんじゃ? まだやる気かえ?」と送り狼に言う。

 送り狼は気まずそうに菖蒲から目を逸らすと「や、やる訳ねぇだろ……」と小さく呟いたのだった。

 すると、送り狼は真司の後ろにいる香夜乃と夜雀に気づいた。



「香夜乃……夜雀……」



 真司も送り狼が無害とわかると香夜乃から少しだけ距離を置き送り狼に香夜乃を見せる。香夜乃は困惑気味で「どうして、私の名前を?」と送り狼に尋ねた。

 送り狼は、香夜乃から顔を逸らす。



「俺と夜雀は、まだガキだったお前と遊んだことがあるからな……」

「えっ!?」



 送り狼の言葉に真司も香夜乃も同時に驚く。

 菖蒲だけは興味深そうに「ほぉ」と呟いたのだった。

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