第9話
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翌日。真司は、例の女性に会うべく昨日よりも少しだけ早くに目覚ましをセットした。
目を覚ますと服に着替えリビングに向かう真司。
(母さん、今日は寝てるんだ)
昨日は電気が電気がついていたが、どうやら今日は母親は就寝中のようだ。
真司はリビングにある食卓テーブルに『母さんへ。今日も朝の散歩に行ってきます。真司』と置き手紙を書き残すと、キッチンにあるロールパンを一個食べた。
そして、両親を起こさないように静かに廊下を歩き靴を履くとそーっと玄関の扉を開けて外に出たのだった。
「行ってきます」
小さな囁き声で言う真司は、また、そーっと玄関の扉を閉めて鍵をゆっくりと掛ける。
「ふぅ」と、小さく息を吐くと真司は昨日と同じく学校へと向かった。
そして、真司は頭の上にちょこんと乗っている夜雀に「そう言えば、体調はもう大丈夫なの?」と話しかけた。
夜雀は真司の頭の上から肩に飛び乗り「チチチッ」と鳴いた。
(う、うーん……なんて言っているかわからないけど、でも何だか元気そう)
フッと笑みをこぼす真司は夜雀の小さな頭を優しく撫でる。
「元気そうでよかった」
「チチチッ」
真司は夜雀の頭から手を離すと、ふと雛菊と稔のことが頭に浮かんだ。
(雛菊さんと先生のこと、どうしよう……)
『好き』という気持ちはあっても中々一歩を踏み出せない雛菊と、雛菊のことを知ろうと一歩踏み出す稔。
真司は、どうしたらお互いの距離を縮めることができるのかわからなかった。
(雛菊さんの気持ちも、改めてちゃんと知らないと)
なぜ雛菊が稔から距離を置くのか――その理由を知らない真司は、まず雛菊の気持ちを知らなければいけないと思っていた。
聞こうにもどこまで踏み込んでいいのかわからず、昨日はそれを聞くことはできなかった。だが、それじゃ駄目なんだと真司は思ったのだ。
(でも、先ずは夜雀のことだよね)
「頑張ろう」
グッと手を握る真司は目を閉じる。目を閉じると幼少期の頃を思い出してた。
『ねぇねぇ、あそこに誰かいるよ』
そう真司が言っても、周りの子は誰も信じなかった。
周りの子には、真司が見ているモノが見えていなかったからだ。
『また変なこと言ってる』
『あの子、おかしいよ』
真司が何かを言うたびに、周りにいた子は冷たい目でそう言った。
本当に何かがいるのに、誰かがいるのに、誰も言葉に耳を傾けず信じてくれないことに、真司はもう何も言わなくなったのだ。だが、今日は違う。
誰も信じなくても、冷ややかな目で見られても、今日はもう一度自分の言葉で相手に伝えるのだ。
「その人の命が危険なんだ……信じてもらえなくても、ちゃんと言わないと」
話してみないと結果はわからない。話してみた結果、駄目だったのならまたその時に考えればいい。
今までの真司なら、そういった行動は起こさず、ずっと俯いていただろう。それに真司は心の片隅で信じていた。
あの女性は話をちゃんと聞いてくれ、信じてくれると。
(昨日会ったばかりで、あの人のことを全然知らないけど……)
そう思ったのは、恐らく女性が前をしっかりと見すえ、目に見えない景色を見えているように歩いているからだろう。だからこそ、自分の言葉もきちんと向き合って聞いてくれるような気がしたのだ。
やがて、正門前に着くと真司はキョロキョロと周囲を見回しながら女性のことを探し始めた。
「うーん……いないなぁ。もう少し、先の方に行ってみようかな」
真司がそう呟いた瞬間、夜雀が「チチチッ」とひと鳴きしどこかへ飛んで行ってしまった。
真司は慌てて夜雀と後を追う。
「あ、待って!」
正門を過ぎ真っ直ぐと飛ぶ夜雀と後を追う真司。
すると、夜雀はそのまま右に飛んで行ってしまった。
丁度、学校の角にあたり夜雀の姿が見えなくなってしまった真司は「あっ!」と声を上げる。
(どっ、どうしよう見失った!)
そう思った時、学校を囲うフェンスの向こう側から「真司さん、今日もお散歩ですか?」と雛菊の声が聞こえてきた。
真司は振り返り雛菊を見る。
「雛菊さん」
雛菊は、自分の桜の木の下でにこりと微笑んでいた。
「おはようございます」
「おはようございます! あっ、あの、こっちに夜雀って飛んできましたよね?!」
「夜雀ですか? それなら直ぐそこにいますよ」
「ありがとうございます!」
真司は雛菊にお礼を言うと、また走り出しそのまま右に曲がる。雛菊は慌ただしく通り過ぎてしまった真司の背を見送り「どうしたのかしら?」と、小さく首を傾げていたのだった。
そして、曲がった真司は夜雀の姿を見つけるとホッと安堵の息を吐いた。
「よかった……」
「チチチッ♪」
突然、なぜ夜雀が飛んで行ったのか。それは、夜雀が護りたいと思っている人、真司が探していた女性がそこにいたからだった。
夜雀は、女性の肩に止まると頬に頭を擦り寄せた。
「チチチッ♪」
嬉しそうに鳴く夜雀に真司は小さな笑みをこぼす。
すると、女性は白杖をピタリと止めて「あら?」と呟きながら首を傾げた。
「もしかして、昨日の学生さんがそこにいらっしゃいますか?」
「え!? あ、はい!」
言い当てられたことに驚く真司は慌てて返事をする。
「こ、こんにちは!」
「こんにちは」
女性は白杖を動かし真司の方に歩み寄る。そして、お互い向かい合うと女性はニコリと笑みを浮かべ「今日もお散歩?」と真司に尋ねた。
「いえ、えっと……今日は、僕、あなたに会いに来たんです」
「私に?」
「はい。話したいことがあって……」
真司がそう言うと女性は「じゃぁ、公園でお話ししましょう」と言った。
「はい!」
話を聞いてくれることにホッとした真司は元気よく返事をすると、女性と一緒に公園へと向かったのだった。
真司と女性が公園に向かっている道中、二人は簡単な自己紹介をしながら歩いていた。
「学生さん、あなたのお名前を聞いていいかしら?」
「宮前真司です」
「私は、
「二年になったばかりです」
「じゃあ、そろそろ進路も考えないと駄目ねぇ」
「そうですね、あはは……」
苦笑する真司に香夜乃は「ふふっ」と笑う。
「なりたい夢はある?」
「夢、ですか?」
真司は空を見上げ「うーん……」と、唸りながら考える。
「今のところ無いです……でも……」
「でも?」
真司は商店街の妖怪達の笑顔や優しさ、菖蒲が背中を押してくれたことを思い出し自然と笑みがこぼれた。
「僕、誰かの背中を押せるような……支えてあげられるような人になりたいです。それが将来的にどう行くかはわかりませんが……色んな物を見て、これから考えようと思っています」
「素敵な夢ね」
「そう言えば、杉浦さんのお仕事ってなんですか?」
「私? 私は、プログラマーよ」
真司は香夜乃の仕事に目を見開き驚く。
「え!? プログラマーですか!?」
「パソコンは目が見えていた頃から触っていたからボードの位置も覚えているし打つと音声も出るから、父の知り合いに仕事を紹介してもらったの。と言っても、プログラマーの補佐みたいな感じなんだけどね」
「へぇー。それでも、すごいですね」
コツコツ、コツコツと誰もいない道に白杖の音が響く。
真司は横目で窺うように香夜乃を見た。
(目が見えない人って初めて会ったけど……皆、こんなにも前を向いて毅然としてるのかな?)
それは昨日も思ったことだが、やはり真司にとって香夜乃はどこか体の内に一本の線が立っているように明るく立派に見えた。
それは菖蒲も同じだ。真司にとって菖蒲も常に前を向き、凛として咲いている一輪の美しい花のように眩しい存在だった。
真司は思う「僕も、こんな風になりたい」と。
香夜乃は目が見えなくても、そんな真司の視線に気づいたのか前を向きながら小さく笑った。
「ふふっ、私の顔になにかついている?」
「あ、いえ! す、すみません」
香夜乃からパッと目を逸らし申し訳なさそうに謝る真司。
すると、香夜乃が「そう言えば、私に話があるって言っていたけれど、歩きながらでも聞いても大丈夫かしら?」と真司に尋ねた。
真司はその瞬間、心臓がドキッと鳴る。
口の中にある唾液をゴクリと飲み込み、真司はグッと手を握った。
「すっ、杉浦さんは妖怪とか人じゃないモノって信じますか!?」
「……………」
コツコツ、コツコツと地面を小さく叩く白杖がピタリと止まると香夜乃の歩みもピタリと止まった。
真司は恐る恐る香夜乃の顔色を窺うが、香夜乃は依然として前を向いていた。
香夜乃がゆっくりと口を開く。
真司は、もし香夜乃の口から『信じない』と言われたらどうしようという不安があった。
(その時はその時に考えるって思ってても、やっぱり、いざ言うと……っ)
『怖い』その言葉が真司の頭の中にあった。
(また、変って言われたら……)
それは呪いのような言葉で、真司がいくら前向きに考えてもどこまでも着いてくる言葉だった。
だが、それでも真司は自ら変わることを望んだ。自分から伝えると菖蒲に言った。
真司は、どんな言葉でも受け止められるように、またグッと手を握った。
「人ではないモノ……。私は、そういった者がいることを信じているわ」
「…………」
『信じている』という言葉に真司の不安だった心がパァっと晴れる。それはまるで、雲に太陽が差し掛かったような気持ちだった。
香夜乃は、またコツコツと音を鳴らしながら歩みを進める。真司も香夜乃の隣を歩く。
香夜乃は前向きながら真司に話を続けた。
「私の方こそ信じてもらえるかわからないけれど……実はね、私、目が見えなくなってから違うものが見えるようになったの」
「違うもの、ですか?」
香夜乃はコクリと頷く。
「見える時よりも見えない時の方が、色んな物が見えるって言う人もいるけど……こういうことなのかな〜って」
「何が見えるようになったんですか?」
真司がそう尋ねると香夜乃は「色よ」と答えた。
真司は首を傾げ「色ですか?」と言う。
「人にはそれぞれ〝色〟があるの。赤、黄、青、緑……。その〝色〟に寄って、あぁ、この人は情熱的な人なんだなぁ〜って思ったり、この人は今悲しんでいるとかわかるようになったの」
真司が香夜乃の言っていることに驚いていると、香夜乃は「それとね……」と、話を続ける。
「その色が見えるようになる前に、私、小さな鳥に救われたの」
「え……」
〝小さな鳥〟と聞いて真司は香夜乃の肩に止まっている夜雀をチラッと一瞥した。
香夜乃は真司の視線には気づかず、過去を思い出すように昔話を真司に話す。
「昔……と言っても中学の時なんだけど、私、夜に山に入ってはいけないとおじいちゃんに言われてたのよ。でも、当時の私はそれを守らなかった。友達と山の中にある小さな神社まで肝試しをしていたの」
「きっ、肝試しですか……」
妖怪は少しずつ平気になってきてはいるが、それでも真っ暗な場所でお化けが突然出てきたりするとビックリしてしまう真司には肝試しもお化け屋敷も少々苦手意識を持っていた。
香夜乃は、当時のことを思い出したのか可笑しそうにクスクスと笑う。
「本当は約束を守るつもりだったのよ? でも、友達に「怖いの?」って言われてカチンと来ちゃって……ふふっ」
「それで山の中に?」
「そうよ。若気の至りっていうやつなのかしら」
香夜乃は閉じてある目にそっと触れる。
「……夜に山に入り山の中で雀のようなそうでないような鳴き声が聞こえると、それは不吉なことが起こる前触れ……そして、山の中で転ぶと怖いお化けに食い殺されてしまう。そう、私のおじいちゃんが言っていたの。でも、私はそれを破ってしまった」
そう話している内に近くにある【ひつじ公園】に真司達は辿り着いた。
二人はその公園に入ると、大きくて広い白い石の滑り台の隣にあるベンチに座る。真司は香夜乃の腕を持ち座るのを手伝う。
「どうもありがとう」
真司の優しさに微笑みながらお礼を言う香夜乃。
香夜乃はベンチに座ると、そのまま話を続けた。
「不思議な鳥の鳴き声が聞こえた後、私、やっぱり引き返そうと思って山を降りたの。その時に転けちゃってね……その後、狼のような遠吠えが聞こえたの」
「狼……」
真司はその瞬間、それが『送り狼』だと気がついた。
「それで、その後はどうなったんですか?」
促すように香夜乃に質問する真司。
香夜乃は、以前と前を向きながら話を続けた。
「怖くなって、走って走って走り続けたわ。皆がいる場所に戻ろうとしたけど、暗くて怖くて自分がどこに向かって走っているのかわからなかった……それでも足を止めなかった。近くであの狼が吠える声が聞こえたから」
「…………」
「そして、私は崖から落ちた」
その一言に真司は息を飲んだ。
香夜乃は自分の目にそっと触れると苦笑いを浮かべ「その時の怪我の後遺症でね、目も段々見えなくなったの」と真司に言った。
けれど、香夜乃は決してそれを悲しいとは思わなかった。その事故が起きた後、ぼんやりとしつつも視覚はちゃんと機能し、香夜乃の目はやがて見えなくなると医者から言われた時、香夜乃の父親は香夜乃以上に泣いていたからだ。
「先生から失明することを告げられた時、不安で不安で仕方がなかった……。でも、父が私よりも涙を流してくれたこと……おじいちゃんが私を抱きしめてくれたことは嬉しかった」
そう言うと香夜乃は真司の方を向きニコリと笑う。
「だから、私、失明することにちゃんと覚悟を持つことができたの」
「そうだったんですか……。それで、小さな鳥に救われたって言っていましたけど、あれってどういうことですか?」
「……崖に転げ落ちた時、その狼が目の前に立っていた。暗くて意識も朦朧としていたから姿まではよく見えなかったけど、あの真っ暗な中、狼の目だけはハッキリと見えていた……藤の花のように綺麗な目の色をしていたけどね、片目だけ血のように真っ赤だったの」
真司はその様子を想像してしまい背筋がゾクリとする。香夜乃もその時のことは忘れられないのか、ギュッと膝の上にある手を握っていた。
香夜乃は口をゆっくりと開け、話を続ける。
「もうダメだって思った時、不思議な鳴き声のする鳥が私の前に現れたの。そこからは記憶が無いけれど、その鳥と狼が何か……お互い話しているように聞こえたわ。そして、私は気がついたら病院にいた」
話を終えると香夜乃は「ふぅ……」と息を吐き空を見上げる。
「なんだか、あの小さな鳥に助けられたような気がしたの。ううん……きっと、助けられた。あれが山に住んでいる普通の動物なのかわからないけれど、あの綺麗な目を見ると、あれはこの世の生物じゃないって思った」
空を見上げていた香夜乃は不意に真司の方を向くと「宮前君には見えているの?」と、真司に質問する。真司は香夜乃から顔を逸らし小さな声で「はい」と答えた。
真司のその返事に香夜乃はただ「そっか」と答えるだけだった。
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