第8話

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 菖蒲が電話をしてその数十分後、チリリンとお店のドアベルが鳴った。



「ごめんくださーい」


 お店の方から女性の声が聞こてくる。その声に白雪がスっと立ち上がった。

 菖蒲はお茶を飲み「来たか」と小さく呟く。

 そして、その人物成らぬ妖怪が白雪に案内され居間に入ってきた。



「お邪魔します、菖蒲様」

「うむ。よう来たの、姑獲鳥うぶめ



 真司は姑獲鳥という女性の妖怪を見る。

 姑獲鳥の目は白目の部分が無く目も髪も真っ黒で、髪に関しては鳥の羽根そのものだった。

 着ている着物は白地に赤と黒の斑模様が入り、まるで鯉のようだ。だが、遠くから見るとその柄は血の跡のようにも見え、人のようで人ではない独特な雰囲気に真司は久しぶりにゾクリとした。

 姑獲鳥は真司の視線に気づき、ふと真司を見る。



「初めまして、人間さん。噂はかねがね聞いています」

「は、初めまして……」



 緊張気味に挨拶を交わす真司。

 すると、姑獲鳥の胸に抱いている赤ん坊が起きたのか突然泣き始めた。

 姑獲鳥は、赤ん坊を揺らしながら「よしよし、泣かないで坊や」と言う。

 真司は、慌てて自分が座っている座布団を取り姑獲鳥の足元にそっと置いた。



「あの、どうぞ」



 真司の優しさに姑獲鳥は嬉しく思ったのか、ニコリと笑みをこぼすと出された座布団に静かに腰を下ろした。



「どうもありがとう」


 姑獲鳥が真司にお礼を言うと泣いていた赤ん坊が真司をジッと見つめ、まるで鳥が鳴いているようにキャッキャッと笑い始めた。

 姑獲鳥は赤ん坊の楽しそうに笑う姿を見て「あら、この子は人間さんのことを気に入ったみたいね」と言った。

 真司は姑獲鳥に抱かれている赤ん坊を見る。

 柔らかそうな布に包まれている赤ん坊は、姑獲鳥と同じく髪が鳥の羽根のようで小さな手にある爪は鍵爪のように鋭かった。

 そして、やはりその目は白目が無く真っ黒だった。

 真司は思わずゴクリと息を飲む。



「つ、爪が……」



 真司が赤ん坊に驚いていると姑獲鳥はクスリと笑った。



「ごめんなさいね。この子、まだまだ抑えることや化けることができなくて。引っ掻くかもしれないから、なるべくこの子には触れないようにしてね」

「は、はい」



 姑獲鳥の忠告に真司は返事をしながらコクコクと何度も頷く。

 ぷっくりとした頬や楽しそうに笑う無邪気な笑顔は可愛いのに、妖怪らしい姿に少しばかり緊張する真司だった。

 すると、眠っていた夜雀が目を覚ました。



「あら、目を覚ましたみたいね。こんにちは」



 夜雀に顔を近づける姑獲鳥。

 そんな姑獲鳥に夜雀はビックリし、その場でバタバタと翼を羽ばたかせた。



「チチチチチッ!!」

「落ち着いて。私は、別にあなたを捕って食べようなんて思わないから」

「チチチッ!?」



 姑獲鳥は可笑しそうに笑う。その笑い声は、まるで鳥が鳴いているようだった。

 菖蒲は姑獲鳥に苦笑いを浮かべると「これ、姑獲鳥。そこまでにしんしゃい」と言った。

 姑獲鳥は菖蒲と目を合わせると素直に謝る。



「すみません。この子、すごく可愛いから、ふふっ」

「お前さんは相変わらず子供が好きやねぇ」

「はい」



 ニコリと微笑む姑獲鳥は改めて夜雀に話を聞いた。



「私は姑獲鳥。こちらは菖蒲様。それと、この方は――」



 姑獲鳥は夜雀にそれぞれ紹介すると、真司の番で言葉がピタリと止まった。

 姑獲鳥は真司の方を向き苦笑いを浮かべながら「私、人間さんのお名前を聞いていなかったわ」と言った。

 真司もその事にハッとなる。



「あ、そうでした。僕は宮前真司です」

「宮前さんですね。……だそうですよ」



 姑獲鳥は夜雀の方を見てニコリと微笑む。

 菖蒲や姑獲鳥、その場にいる星達の方を向く夜雀は最後に真司を見た。

 すると「チチチッ! チチチッ!」と、何かを訴えるように真司に向かって鳴いた。

 その場にいた白雪達は夜雀の言葉がわからず同時に首を傾げる。



「何を伝えようとしているのかしら?」

「わかんなーい」

「……僕、も」



 白雪達の言葉に真司も眉を寄せ「右に同じくです……」と残念そうに呟いた。

 だが、姑獲鳥だけは違った。

 姑獲鳥は「助けてほしい、ですか?」と、夜雀に言った。その言葉に菖蒲の眉がピクリと動く。



「助けを求めているのかえ?」

「そうみたいです。夜雀さん、詳しいことを教えて話してもらってもいい?」



 夜雀は姑獲鳥の方を見ると、また羽根を羽ばたかせながら「チチチッ」と鳴き姑獲鳥に全てを話した。

 そして、姑獲鳥は夜雀の言葉を聞き、それを菖蒲達に訳したのだった。


 姑獲鳥曰く、夜雀は『ある女の子』を自分なりに守っていたが一人じゃどうしようも出来ないと知り、この堺市に来て〝噂〟を聞いたようだ。

 その噂というのが、堺市には妖怪にとっての桃源郷――妖怪だけの街があり、そこには強い妖怪から弱い妖怪達が手を取り合い暮らしているという噂だった。

 その噂を聞いた夜雀は憑いていた女の子から一時離れ、その街を探し飛び回った。だが、どこを探しても見当たらない夜雀は、やがて力尽きてしまったのだ。

 このまま女の子の傍にいれば、女の子が弱ってしまう。夜雀は、それだけは避けたかった。

 そんな時、女の子は真司と出会ったのだ。

 夜雀は真司の独特な空気に惹かれ、真司のことをずっと気になっていた。そして、真司の後を着け、体を休めるために真司に憑いたのだった。

 しかし、真司が菖蒲に貰った数珠の力で夜雀の体力は中々回復出来なかったのだ。夜雀は、真司が何か強いモノに守られていると知ると、何がなんでも真司に取り憑いた。たとえ、数珠の力で何度も引き離されそうにも。

 その結果、回復は出来なかったものの無事に商店街を見つけることができ、こうして辿り着くことができたのだった。


 一通りの話を姑獲鳥から聞いた真司は「じゃあ、あの夢は僕に見せたんじゃなかったんだ」と呟いた。

 夜雀は真司の言う〝夢〟がわからずコクリと首を傾げる。

 すると菖蒲が何かを考えるように真司が見た〝夢〟についての考察を話した。



「ふむ……恐らく、夜雀の〝助けたい〟〝なんとかしなきゃ〟という想いが強すぎて憑いている真司と夢を通して共有してしまったのかもしれぬな」

「夢の共有ですか」



 菖蒲は小さく頷く。



「ともあれ、助けてほしいというのは、お前さんが見た〝女の子〟のことじゃろう。そこも詳しく聞かねばならぬの。姑獲鳥、話を聞いておくれ」



 姑獲鳥は頷くと夜雀に「夜雀、その女の子や助けてほしいことを詳しく教えて」と言った。

 夜雀は姑獲鳥に事情を話している間、真司は姑獲鳥から聞いた夜雀の言葉を思い出していた。



「そういえば、僕とその女の子が出会ったって言ってましたよね」

「言っていたの」



 真司は夢で見た女の子のことを思い出すが顔は朧気だった。そして、最近、女の子と会った記憶も無かった。

 菖蒲は「心当たりがあるのかえ?」と真司に尋ねるが、真司は首を横に振る。



「いいえ。そういう子と出会った覚えはありません。うーん……誰なんだろう?」



 真司が考えていると姑獲鳥が「え!?」と驚きの声を突然上げた。

 その姑獲鳥の反応に居間にいた全員が姑獲鳥を見た。



「どうしたのー?」



 お雪が姑獲鳥に尋ねると姑獲鳥は眉を寄せ「あ、その……」と、なにやら言い淀んでいた。

 菖蒲は姑獲鳥の背中を押すように「どうしたのじゃ?」と声を掛けると姑獲鳥は恐る恐る菖蒲と目を合わす。



「その女の子は……送り狼に狙われているみたいなんです」



 真司はその〝送り狼〟のことがわからずポカンとしていたが、山童や木魚達磨が言っていた言葉をふと思い出した。



(確か、夜雀といつも一緒にいて……たっ、食べられるって言ってたっけ……)



 傍にいた白雪は同じ妖怪なだけあって送り狼のことを知っているのか「えっ!?」と、驚いた声を上げた。

 すると、黙々と本を読んでいた星がゆっくりと本を閉じ真司の服をくいっと引っ張った。



「送り狼……山の主……山犬。山の中で転ぶと……襲いかかってくる」

「それが〝送り狼〟やからの。しかし、正しい対処をすると送り狼は山の中で守ってくれる力強い存在になる。……仮に山を抜け、送り狼から逃げきれても、そこまで執拗に追いかけることはないはずじゃが……」



 菖蒲が顎に手を当て考えていると夜雀が「チチチッ」と何かを訴えるように菖蒲に向かって鳴いた。

 姑獲鳥は夜雀の言葉を聞き、それを菖蒲に伝える。



「どうやら、ここ最近、山に人が現れては不必要な伐採や自分の命を断つ者が多いらしいです」

「なるほど。山が穢れてしまった故に、送り狼の精神もおかしくなったというわけか」

「どういうことですか?」



 真司が尋ねると菖蒲は真司の目を見て、送り狼と山の関係性のことを話す。



「さっき星が言ったとおり、送り狼は山の主でもある。最も山を愛し、山のことを知り尽くすモノ……それが送り狼なのじゃ。その送り狼が自分の大切にしている山を荒らされ、人の血で穢されたとなると送り狼は怒り狂うじゃろう。自我も失う」

「自ら命を落とす人がいる……というのが、最も送り狼さんに影響を与えているのかもしれません」



 悲しそうに言う白雪に菖蒲は小さく頷く。



「命を断つ者の負の感情や想いなどが、そのまま山に吸収されるからの……。そうなると山も少しずつ穢れてしまうのじゃ」

「穢れてしまった、その山はどうなるんですか?」

「山としての〝生命〟が機能しなくなる。動物は減り、草木や土は死んでしまうのじゃ。辛うじて山として生きていたとしても、死者の魂や『死にたい』という人間を呼び寄せる山に変わってしまう」



 菖蒲は小さく溜め息を吐くと「樹海になるんじゃよ。そして、彼処と繋ぐ空間が生まれる……」と言った。

 菖蒲の言う『彼処』――その世界には名前が無く、人間がいる現世と死者が行く黄泉の狭間のことをいう。

 真司は雛菊の件で、その『彼処』に行ったことがあった。そのことを思い出した真司の背中に自然と悪寒が走る。



「彼処と繋ぐ空間……だから、樹海に行くと迷って出られなくなるとか帰って来なくなるとか言われるんですか……?」

「そうじゃ。ともあれ、その山の影響を受け送り狼は自我を忘れたのかもしれぬ。なんとかせねばならぬな」



 真司もその場にいた白雪達もコクリと頷くと、菖蒲は夜雀を一瞥し「先に、その女の子というのを守らねばならぬな」と言った。



「女の子、かぁ……うーん……」



 真司はその女の子との出会いを思い出すが、やはりいくら思い出そうとしてもそんな女の子に出会ったという記憶は無かった。すると、夜雀が「チチチッ、チチチッ」と、また鳴いた。

 真司はそんな夜雀を見て首を傾げ、姑獲鳥は夜雀の鳴き声にウンウンと頷く。



「どうやら、彼女と人間さんは今朝お会いになったとか」

「今朝…………あ! もしかして、あの人!?」



 真司の言葉にお雪が「あの人ってだれー?」と言いながら首を傾げる。



「あ、えっと……朝早くに目が覚めたんで、雛菊さんのことも気になっていたし散歩しにちょっと学校の方に行ったんです。それで、その時にぶつかった女性がいて……多分、その方だと」

「ほぉ〜」



 菖蒲が興味深そうに頷くと「それで、どんな人物だったんじゃ?」と真司に尋ねる。



「ちょっと話をしただけなんで、どんな人かは詳しくはわかりませんが……優しそうな人でした。後、凄いなって思いました」

「はて、すごいかえ?」

「はい。目が見えないのに、まるでその風景が見えているみたいで……なんていうか、ずっと前を見ている……前だけを見ているような気がしたんです。僕なら、絶対俯くと思うのに」



 そう言うと真司は「あはは……」と、苦笑いを浮かべた。

 菖蒲達は真司が出会ったという女性の話を聞くと「これも、また〝縁〟が引き合わせたのじゃな」と微笑みながら小さく呟く。



(縁が引き合わせた、か……。そう、だよね。僕があの人と出会わなければ夜雀は弱ったままで、あの人も送り狼に襲われてたかもしれないんだよね……)



 菖蒲の呟きが聞こえていた真司は、そう心の中で思った。



「チチチッ?」



 夜雀が首を傾げながら真司を見上げている。真司は「あ、えっと、なに?」と夜雀に聞いた。

 すると、姑獲鳥が夜雀の言葉を通訳してくれた。



「あの子を助けてくれる?と、言っています」

「うん」

「任せんしゃい」



 菖蒲と真司が夜雀を見て微笑むと、夜雀な嬉しそうに鳴き翼をバタつかせる。



「チチチッ♪」

「喜んでいるみたいですねぇ」



 白雪が頬に手を当てニコリと微笑む。菖蒲もそんな夜雀を見て「ふふっ」と小さく笑った。



「ともあれじゃ。先ずは、その女性と接触せんとあかんね」

「そうですね。……明日、同じ時間にまた外に出ようと思います。なんとなく、また会うような気がするので」



 真司はなんとなく『また会える』ような気がしたのだ。

 その自信はどこから来るのかわからない。だが、真司の直感が『会える』と言っていた。

 菖蒲はそんな真司を見てニコリと微笑む。



「そうかえ。話はどう切り出すつもじゃ? 私から話した方がいいなら、私も同行するが――」

「――僕にやらせてください」



 真司の遮るように言った言葉に菖蒲は驚いた様子を見せると、目を閉じ「わかった。お前さんに任せよう」と言った。

 菖蒲の口元は少しだけ上がっていた。

 真司は菖蒲の言葉を遮ったことにハッとなり慌てて謝る。



「あっ、すみません!」

「謝らんでええよ。ふふっ、もし何かあれば、いつでもここにおいで」

「はい!」

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