第1話

 季節は春。

 桜が少しずつ散り始めたけれど、まだ少しだけ咲いている暖かい季節の春。


 ――チュンチュン、チュンチュン。


 雀が鳴き出し、真司は自然とフッと目が覚め、セットしていた目覚まし時計を見る。時間は、朝の7時だった。まだ眠ることが出来るが二度寝をしようにもスッキリと目覚めてしまったため寝返りをうっても中々寝つけないでいた。

 真司は眠ることを諦め、ベッドから起き上がる。布団の中は炬燵みたいに温かかったが、起き上がると冷たい部屋の空気が肌を刺した。



「うっ、寒い……春だけど、やっぱり朝はまだ寒いなぁ」



 腕を摩りながらカーテンを明け窓を開けると、朝一番の外の空気を吸う。澄んだ空気が体の中に入り、息を吐くとリラックスできた。

 ふと、桜の木に目が行った真司。いつしか満開だった桜も雨風を受け、花は散り、枝だけが見えていた。



「そういえば、雛菊さんは元気かな?」



 真司は春先の出来事を思い出す。それは、ほんの数週間前のこと。

 霊に取り憑かれた心の優しき桜の精霊――雛菊。

 これも〝縁〟が紡いだものなのか、同じくして霊の名前もまた『雛菊』だった。


 生前に体の弱かった彼女は、身分差はあっても愛しい人との逢瀬を楽しんでいた。

 しかし、その逢瀬は長くは続かなかった。恋人が道中に亡くなってしまったからだ。

 その事を知らない彼女は、愛しい人を待ち続け、やがては彼女も命が尽きる日が訪れてしまった。


 彼女の体は結核に侵されていたのだ。


 彼女は病に侵された重い体を引きずりながらも、彼と約束を交わした桜の木へと向かい、そして彼から貰った桜貝の半分を土の中に埋め、満開の桜の下で最期を迎えてしまった。

 彼女は体は朽ち『魂』だけになってもこの世に留まり愛しい人を待ち続け、時には自ら行動を起こし恋人を探し始めた。

 行く年も霊として愛おしい人を探し、彼を求め、彼を想う毎日。それは次第に理性を無くし、やがて、自分と同じ名を持つ桜の精に取り憑いてしまったのだった。


 そして、色々あった末、真司のクラスの担任――白石稔のおかげで、もう片方の桜貝が見つかり無事に貝は合わさった。

 彼女は、貝に取り憑いていた恋人と再会し、長い年月をもって漸く成仏できたのだ。


 雛菊は霊に取り憑かれていた影響なのか、知らずうちに一部の記憶を無くしていたことに気づく。その記憶とは『稔に恋をしている記憶』だった。


 人間である雛菊と、その恋人である薬師の八郎。

 桜の精霊で同じ名前を持つ雛菊と、八郎の血族かもしれない白石稔。


 この二人が出逢い、雛菊が稔に恋をしたのは〝縁〟が紡いだのかはわからない。けれど、真司はこれが菖蒲の言う『縁』に思えた。

 縁が紡ぎつむって、違う形として巡り巡って二人は出逢った。

 この二人の出逢いは、既に決まっていたのかもしれない……真司はそう思っていた。


 雛菊の恋がこの先どうなるのかは、わからない。しかし、真司は信じていた。

 雛菊の恋が叶うことを。

 きっと今も、学校の桜の木から稔が自分を見下ろす姿を楽しみにしているに違いない。真司は雛菊のことを考えていると、雛菊と話しをしたくなった。



(よし、教室に行く前に雛菊さんのところに寄ってみよう)



 そう思うと、横目で壁に掛けてある時計を見る。時間は起きてからまだ数分しか経っていない。登校するにも早過ぎる時間だ。

 真司は、今からどうしようか暫し考える。



「……うーん……折角、早起きしたんだから散歩に行ってみようかな」



 思い立ったら即行動だ。

 真司はクローゼットを開け、春用の服に着替え始める。着替えが終わると、真司はまだ両親は眠っているだろうと思い、ゆっくりと階段を降りた。

 だが、降りている途中で、リビングの電気が付いていることに気がつくと首を傾げた。



「あれ? 誰か起きてる……?」



 一体誰だろう?と、思った真司はリビングのドアを開く。そこには真司の母親――春奈が、鼻歌を歌いながらお弁当の用意をしていた。

 春奈は真司に気がつくと、動かしていた手を止めリビングのドアで立っている真司を見る。



「あら、もう起きたの? 早いわねぇ、おはよう」

「あ、おはよう。なんだか綺麗に目が覚めちゃって」

「そうなの? でも、たまには早く起きるのもいいものよぉ。ふふふっ」



 春奈は年頃の娘のようにコロコロと可愛らしい笑い方をすると、真司の服装に気づき首を傾げた。



「そういえば、真司はこれから出掛けるの?」



 いつもなら学生服を着てリビングに下りて来るのだが、今日は私服に着替えて下りて来ているので、春奈は首を傾げながら真司に言った。

 真司は頷き、散歩に行くことを春奈に言うと、春奈は両手を合わせ「あら~、いいわねぇ。ちょっと待っててね」と、言った。

 再び鼻歌を歌いながら何かをし始める春奈。どうやらお散歩用の朝食の用意をしているらしい。

 春奈はテキパキと手を動かすと、お弁当箱を小さなトートバッグに入れ、真司に手渡した。



「はい、これ。水筒の中にはお味噌汁が入っているわ。後、小さいお握りも。よかったら持って行って食べなさい。まだ桜も全部は散ってないはずだから、朝のぷちお花見でもしてくるといいわ」



 ふふっと笑う春奈の姿は、家庭的な温かさと愛嬌がある。そういう所は、少し白雪に似ているのかもしれない。

 しかし、怒るとぐぅの音も出ないほど怖いので、普段とのギャップがすごい。


 真司は春奈が用意してくれたお弁当を受け取ると、ニコリと笑った。




「ありがとう」

「気をつけて行くのよ? 後、学校に行く時間には必ず戻って来ること!」

「うん。それじゃぁ、行ってきます」

「いってらっしゃ~い」



 ひらひらと手を振る春奈。

 パタンと、リビングの扉が閉まると春奈は再び「ふふふっ」と、笑った。



「あの子、ここに来てから笑顔が増えるようになったわね。やっぱり、ここに来て正解だったのかもしれないわ、おじいちゃん。これもあの子の運命なのよね……?」



 春奈は、今は亡き祖父――真司にとっての曾祖父が言っていたことを思い出す。

 それは、まだ春奈が子供の頃の時だった。

 縁側で大好きな祖父と暖かい陽射しを浴びのんびりしている時、その会話は突然始まった。



『春奈、これから言うことは、ちゃーんと覚えておくんやぞ?』

『え、うん』



 春奈はきょとんとした表情で祖父を見上げる。春奈の祖父は、縁側からどこか遠い場所を見つめるように春奈に話し出した。



『お前が大人になれば、いずれ子供が出来るやろう。その子はな、とてもとても大変な目に合う』

『大変?』



 春奈が首を傾げると、祖父は黙ったまま頷き話しを続けた。



『あぁ。それがその子の運命なんや。それは決して逃れられん。その子に本当の笑顔が戻る時まで、お前はその子の背を支えてやれ。絶対に見離しちゃあかんぞ?』

『ようわからんけど……うん、わかった!』



 春奈は、物知りで骨董品等の古い物を集めるのが趣味だった祖父のことが大好きだった。

 時には大事にしていた物を割ってしまい怒られた日もあったが、その後は、祖父お手製のべっこう飴を二人で家の縁側で食べていた。

 だから春奈は祖父の言うことを信じ、約束し、元気よく返事をしたのだった。

 春奈の元気な返事に、春奈の祖父はクシャッと頭を撫でる。その顔は、なぜたか少しだけ悲しそうだったのが印象的で、春奈はその日のことを鮮明に覚えていた。



「あの子にも色々あったわ……本当に……でも、あの子が決めたことなら、どんなことでも応援しないと! よーし!」



 グッと菜箸を握ると、春奈はまた鼻歌を歌いながらお弁当の仕度に取り掛かったのだった。

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