第19話
準備室に辿り着くと、ドアの前で菖蒲が立っていた。
「あっ、菖蒲さん?!」
「あやめさん? えーと……宮前の言ってた、もう一人来てるって人か?」
「は、はい……」
真司は稔と菖蒲の間に立ち、菖蒲を稔に紹介する。
「先生。この人が言っていた人です」
「菖蒲と申します。よろしゅうに」
深々と頭を下げる菖蒲と菖蒲の姿を見て唖然と立ち尽くしている稔。
稔はハッと我に返ると、自分も頭を下げはじめた。
「みっ、宮前真司君の担任をしております、白石稔です!」
どうやら菖蒲の美しさに見惚れ照れているようだ。耳が微かに赤くなっていた。
雛菊は無意識の内に焼きもちを焼き、まるでお雪のようにぷくーっと頬を膨らましていた。
(あわ、あわわわ……! 先生の気持ちもわかるけど、雛菊さんが!)
菖蒲にも勿論、雛菊の姿が見えている。菖蒲はそんな雛菊の姿に袖口を口元に当てクスクスと笑った。そして、稔には聞こえない声量で「これこれ、やきもちをやくではない」と、ボソッと雛菊に呟いた。
「え!、 やっ、焼きもちだなんて……! 私は、別に……はぅ……」
「いや~、てっきり男性の方かと思えば、まさかの女性でしたかぁ~。しかも、こんな綺麗な人だなんて、あははは!」
何も言い返せないでいる雛菊と照れながら菖蒲を誉める稔。
稔は笑いながら真司の肩を掴み、グイッと自分の横に引き寄せる。聞かれたくない話しのか真司をそのまま引き寄せると菖蒲に背を向け、稔は菖蒲について真司に問いただす。
「みっ、宮前! あの人は、本当に手伝いしている店の店主なのか!?」
「え? そ、そうですけど……」
「てことは、成人はしてるんだな!?」
「ま、まぁ……」
若干目を逸らしつつ答える真司。というのも、菖蒲は元妖怪で今は神様なのだ。真司にも菖蒲の正確な歳はわからなかった。
外見の年齢は高校生~二十代にも見える。しかし本当の年齢は恐らく何十……いや、何百歳かもしれない。かと言って、ここで本当のことを言うわけにもいかず真司は稔に嘘をつくしかなかった。
稔はというと、真司の返答に驚きを隠せないでいた。
「ま、マジか……。待て……店の店主をやっているぐらいだ……年上という可能性も大だな」
「あ、あはは……」
「これ二人とも。何をコソコソと話しておる?」
真司と稔に近づき顔を近づける菖蒲。
稔は菖蒲が近づいたことに気付かず驚くと「そっ、そうですね!」と、言いながら準備室の鍵を慌てて開け中に入る。菖蒲も稔の後に続いて準備室に入ろうとしたところを真司に腕を捕まれ、入るのを引き止められた。
「ちょっ、菖蒲さん!」
「どうしたんじゃ?」
「さっきまでどこにいたんですか!? てっきり、待っていると思ったのにいなくて驚きましたよ!」
コソコソと話しをする菖蒲と真司に雛菊も頷いていた。雛菊も菖蒲がどこにいたのか気になるようだ。
菖蒲は思い出したかのように「あぁ」と、言いながら手を叩く。
「実はの、雛菊を桜を見に行っていたのじゃ。雛菊も随分気にしていたからねぇ」
「私の桜を? 菖蒲様……」
菖蒲の優しさに雛菊は感動し、胸の前で手を組み瞳を潤ませる。
「私のために見に行ってくれていたのですね……私、嬉しいです……!」
「ふふっ。とは言ったものの、お前さんに黙ったまま行くのは良くなかったの。すまぬな、真司」
素直に謝られ真司は何となく気まずくなり、菖蒲から目を逸らすと頬を掻いた。
「べ、別に怒ってはいませんので……」
そう。真司は決して怒ってはいなかった。
真司はただ彼処側に行き菖蒲と離れてしまったことから、また菖蒲と離されたのではないか?と不安に思っていただけだったのだ。
勿論、そうではないとわかってはいるが、頭の片隅では「もしかしたら」という考えが浮かんでいた。
だから、決して怒っているわけではなかった。
むしろ、菖蒲が見つかって内心はホッとしている。すると、準備室でお茶の用意をしていた稔かドアから顔を出し真司と菖蒲に声をかけた。
「おーい、そこのお二人さん。中に入らないのか?」
「あ、直ぐに行きます!」
真司が慌てて返事をすると、菖蒲が真司と雛菊の名前を呼んだ。
「真司、雛菊、いよいよじゃな」
「はい」
「やっと、彼女がこの世から解放されるのですね」
雛菊と真司、そして菖蒲は顔を見合わせると頷き合い準備室へと入った。
準備室の中は相変わらずお菓子の山が置かれ、部屋には甘い匂いが立ち込めている。そんな中、稔は二つのカップにお茶を淹れていた。
真司と菖蒲は、稔から渡された椅子に腰を下ろす。
「ほい。お待たせ」
「ありがとうございます」
「おおきに」
カップをそれぞれの前に置くと稔は棚からお菓子を取り出すと、菖蒲は思い出したかのように和柄のバッグからある物を取り出した。
「実はの先生に土産があるのじゃ」
「はい、なんでしょうか? って、そっそれはもしや――!!」
菖蒲が取り出した物――それは、妖怪小豆洗いが作った羊羹だった。
羊羹の包みには、達筆で『小豆屋』と書かれている。真司は口に吹くんだお茶を思わず吹き出しそうになるのをグッと押さえ込み、無理矢理にでも飲み込んだ。
「そ、それって小豆ちゃんの店の!?」
「うむ。手土産一つ無く訪れるのもあれやと思ってねぇ」
稔は羊羹を見ると、まるで奉納された高級品を受け取るかのように両手で羊羹を受け取り菖蒲に礼を言った。
まるで「ははーっ! ありがたき幸せ!」という台詞が聞こえて来るようだ。稔は菖蒲から羊羹を受け取るとプラスチックの小さなナイフで羊羹を切り分けお皿に乗せ、羊羹に爪楊枝を刺し一切れ食べた。
「――っ!?」
まるで体に電撃が走ったかのように驚く稔。
「う……美味いっ!! こんな美味い羊羹は食べたことがないぞ!! なっ、なんだこの羊羹は……まさか、神が作りたもうたお品か!?」
「ふふふっ」
稔の大袈裟過ぎる台詞に可笑しく思い菖蒲は袖口を口元に当てクスクスと笑う。
(本当は神様じゃなくて、妖怪が作った物なんだけどね……)
本当のことは言えないが、稔の言うとおり小豆が作った和菓子はどれも絶品なのも事実だった。
見た目はもちろん味も美味しく、あんこは甘すぎず食べた後も胃もたれしない。甘党なら、きっとどんどん食べれるだろう。
「気に入ってくれてよかったです。ふふっ、それにしても先生は甘党でいらっしゃるようで」
「いや~、そうなんですよぉ~」
稔は、頭を掻きながらデレ顔になる。雛菊は菖蒲に対して鼻を伸ばしている稔に、また、ちょっとばかり焼きもちを焼いていた。
「む~~っ!」
「あっ、菖蒲さん!それよりも貝を見せていただきましょうよ!」
「ふふっ、そうやね」
真司は、すっかり頬を膨らませプンプンと怒っている雛菊を見て慌てて本題の話しへと切り替えさせた。
稔は思い出したかのように「おぉ、そうだったな」と、言うと、お菓子が入っている棚から大人の男性の掌に納まるサイズの四角い木箱を取り出した。
稔はその木箱を机の上に置き、木箱に結ばれている紅い紐を解き箱を開けると、ゴクリ……と真司の喉が鳴った。
(やっと、この時が来たんだ……)
緊張が全身を走り、膝の上にある手を無意識の内にギュッと握る。
「いや~、結構大きい蔵なんで、こんな直ぐに見つかると思いませんでしたよ。宮前が持っている貝と合うといいけど……どうなんだろうな? 俺もかなり久しぶりに見るし」
そう言いながら箱の上蓋を取る稔。
ついに木箱が開けられ真司は開けられた木箱の中ををジッと見た。
中には紺色のクッションが敷かれ、その中央に薄汚れ端が欠けてしまっている桜色の小さな貝が鎮座していた。
「これが……」
「真司、お前さんの貝を」
「は、はい!」
真司は貝が入っている巾着袋を鞄の中から取り出し、貝を掌に静かに落とす。木箱に入っている貝と同様に真司の掌に桜貝が落ちると、真司は木箱の貝と自分が持っている貝のつけねをゆっくりと合わせた。
ピタリと貝が綺麗に合わさると、真司は「貝が、合わさった……!」と、小さく呟いた。
「おぉー!」
真司と稔は貝殻が合わさったことに嬉々たる喜びの声を上げる。その瞬間、合わさった貝が光を帯び貝から二匹の蒼い蝶が現れた。
二匹の蝶は貝から現れると、そのまま窓の外へと飛び立ってしまった。
貝が光を帯びたことや蝶のことは、どうやら稔には見えないらしい。蝶を目で追っていたのは〝見える者〟の真司達だけだったからだ。
稔の後ろに窓があるせいか、稔は真司達の視線に首を傾げていた。
蝶は外へと飛び立つと、その場で仲睦まじそうに交差しながら空の彼方へと消えて行く。蝶が消えた後、真司達は目にした。
真司が彼処側で見た八郎と元気な姿の雛菊がお互いに抱き締め合っている姿を。
「菖蒲様、宮前さん。私の体が……」
雛菊の言葉に真司が振り向くと、ハッキリとしていた雛菊の体が段々薄くなっていることに気がついた。
菖蒲はそんな雛菊を見て「うむ」と小さく呟く。
「本来の依り代に戻るようやの」
「よかった……」
「宮前さん、菖蒲様。本当にありがとうございます。もう一人の雛菊の変わりに、私からお礼を申し上げます」
深々と頭を下げる雛菊。
そして、雛菊が顔を上げた時には幽霊の雛菊も桜の精の雛菊も、その姿は完全に消えてしまった。
「戻ったようじゃな」
「はい」
菖蒲や雛菊には聞こえていたのかわからないが、真司はハッキリと聞こえていた。
もう一人の雛菊と八郎の言葉を。
『八郎さん! やっと……やっと、あなたに会えた……!』
『雛菊様、お待たせしてしまってすみません』
『ううん、いいの。また、こうやって会えたのだから……』
『もう二度と離れません。ずっと一緒です』
『えぇ』
真司は、この日の出来事を忘れないだろう。生前愛し合っていた二人が離れ離れになり、死後もその魂は愛しい人を何十年何百年と探し、そしてようやく二人は出会うことが出来たのだから。
雛菊と八郎の表情は、本当に幸せそうだった。
真司は願う――もし、生まれ変わりがあるのなら、生まれ変わっても雛菊達には一緒にいてほしい、と。
埋められなかった二人の時間を埋めてほしい、と。
「よかったの、真司」
菖蒲がニコリと微笑むと、真司もつられて微笑んだ。
そんな二人に春のような暖かい空気が漂う中、恐る恐る手を挙げる者がいた。
「あ、あのー……さっきから二人で何の話を? 依り代って何? というか、え、二人共どこ見てんの?」
すっかり稔のことを忘れていた真司と菖蒲は、思い出したかのように互い稔の方を見ると顔を合わせ「あ……」と、呟いたのだった。
(終)
次章→第七ノ伍幕~花見~
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