第18話
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――翌日。
真司が目を覚ますと、既に起きていた雛菊が「おはようございます、宮前さん」と、言いながら真司に小さく頭を下げてきた。
「お、おはようございます……」
真司は目を覚ますと美人な女性が傍にいることに未だに慣れないでいる。目を覚ます度に、その影にビクッと驚いてしまうのだ。
これが海の場合なら、恐らく喜んで毎朝起きるだろう。遥の場合は――などと考えながらいつものように着替えようとするが、突然その手がピタリと止まった。
真司は雛菊の方を振り向くと、気まずそうな表情で「あ、あの、着替えるので……ちょっと……」と、雛菊に言う。気にせず着替えろと、世の中の人は言いそうだが、こんな美人な人の前で着替えるのは逆に恥ずかしくなるというもの。
雛菊は思い出したかのようにハッとなると、顔が赤くなり慌てて両手で目を隠し真司に背を向けた。
「もっ、申し訳ありません! はぅ……」
「いえ。あ、あはは……」
苦笑すると真司は慌てて私服に着替え、真司と雛菊は学校へと向かったのだった。
学校へ着くと、既に門の前で菖蒲が待っていた。
休日で学生は誰もいないので、今回は菖蒲に騒ぐ学生はいなかった。
真司は「もしかしたら部活生がいるかもしれない」と思っていたが、今日は運動部も休みらしい。
「おはようさん」
「おはようございます」
「おはようございます、菖蒲様」
菖蒲は真司と雛菊の顔を見ると挨拶を交わし、ニコリと微笑んだ。
「さて、早速行こうか」
「はい。あ、でも、菖蒲さんは中に入る靴を持ってないんですよね……? なら、来客用の方から――」
『来客用の方から行った方がいいですよ』と、真司が言い切る前に、菖蒲は小さな和柄の手提げ鞄から折り畳みの靴を真司に見せた。
「安心おし。準備は万全じゃ」
「そ、そうですか」
グッと親指を立てドヤ顔をする菖蒲に真司は苦笑すると、真司は自分も靴に履き替えるために下駄箱へと向かい靴を履き替え職員室へと向かったのだった。
職員室は下駄箱を出て右に行き、突き当たりを左に進んだ二階にある。
菖蒲にドアの前で待ってもらうよう頼むと、真司はもう色が落ちてしまっている金色のドアノブに触れ職員室のドアを開けた。
「失礼します」
ドアを開け、職員室の中へと入る真司と雛菊。
休日なだけあって、先生の数も少ないだろうと思っていたが、どうやら他の先生達もやることは多いらしい。職員室の中は、いつもよりかは人数が少ないものの、数名の先生達がせっせとデスクワークをしていた。
真司は担任の稔を探すためにキョロキョロ職員室を見回す。
「お、宮前来たか」
「あ、先生。おはようございます」
「おぅ、おはよーさん。ほれ、飴ちゃんやろ」
真司が見つけるより先に稔が先に真司を見つけ挨拶をすると、稔はポケットから林檎味の飴玉を真司に手渡した。
大阪のオバチャンらしい言い方に、真司は苦笑しながらも飴を受け取りお礼を言う。
「ありがとうございます」
「休みの日まで学校来るとかしんどいからなぁ」
「先生も休みなのに学校に来てるじゃないですか。お疲れ様です」
真司の優しい言葉に稔は顔を上げ目頭をグッと押さえる。
「くぅ! お前、本当にピュアだな! 先生、嬉しい!!」
「は、はぁ……あはは……」
「ま、ここで立ち話もなんだ。……あそこ行くか」
稔の言う『あそこ』とは、稔の秘密の教室――中に入ると実はお菓子が沢山ある準備室のことだ。勿論、そのお菓子は全て稔の持参である。
真司は、ドアの前で待っているだろう菖蒲のことを伝えるために、職員室を出ようとする稔を引き止めた。
「せっ、先生、待ってください!」
「ん、なんだ?」
「あの……実は今日、もう一人この学校に来ている人がいるんです。僕がお手伝いしているお店の店主で、桜貝が合わさる所を見たいって言ってて――」
「――ちょ、待て待て。お手伝いしているお店? お前、まさかバイトを……?」
ぎくっと一瞬なってしまいそうなものをグッと押さえ込み、真司は稔に嘘をつく。
「ち、違いますよ! 本当にただお手伝いしているだけです! そりゃぁ、たまにご飯とかは頂いてますけど……」
「なら良かった良かった。これで、金銭的なやり取りをしていたら、さすがに俺も注意するところだったぞ? 中学生のバイトはまだ早過ぎるからな」
いち教師として、さすがに稔でもバイトは許さないが『お手伝い』なら、社会勉強にもなりいいらしい。注意されるのではないかと思っていた真司は、内心ホッとしていると稔は「で、その人がここに来てるんだな?」と、真司に言った。
真司は稔の言葉に頷く。
「はい。今、ドアの前で待ってもらっています」
「そうか。なら、担任として挨拶はしないとなぁ」
そう言いながら、だらけたワイシャツをキチンと直しボタンも上まで止め、髪を手櫛で軽く整えはじめる稔。
(あ、先生もそういうところはちゃんとするんだ……)
『それでも正直あまり変わっていない気もする』と思ったことは、真司の心の中に留めて置くことにしたのだった。
稔と真司は職員室のドアを開ける。が、本来ならそこに菖蒲の姿がいるはずなのに、そこには誰もいなかった。
真司はポカンと口を開け、隣にいる稔は辺りを見回すが、やはりそこには誰もいなかった。
稔は真司の方を振り向き「本当に来てるのか?」と、尋ねる。
「は、はい。確かに、ここで待っててくださいってお願いしたんですけど……」
(菖蒲さん、どこに行ったんですかー!?)
心の中で真司は叫び隣にいた雛菊は苦笑いをしながら「菖蒲様も多治早比売命様と同じで、自由なところもありますから」と、真司に言うと、真司は肩を落とし項垂れた。
そして、渋々、稔と一緒に秘密の準備室へと向かったのだった。
……………
………
…
誰もいない廊下を歩く真司と稔。
真司は休日に学校が来ることがまず無いので、こんなに静かな校内を歩くのは初めてだった。
勿論、放課後も生徒はほぼ帰り廊下は静かだが、それでも学校に残っている生徒や部活生の声等も聞こえている。今日の静けさは、放課後とはまた違う静けさだ。
暖かい春の陽射しが窓から差し込み、肩がポカポカと温かくなる。真司はこの静かな時間を『いいな』と、密かに思っていた。
それが稔にも伝わったのか、稔は真司の顔を見ると「こういうのも良いだろ?」と、言って少年のようににかっと笑う。
「放課後の静けさも俺は好きだが、誰もいないこの感じもいいよな。なんつーか、まったりのんびりできるっていうか……昔、サボってた時のことを思い出すな!」
「いや、それは駄目ですよね!?」
テンポ良く真司に返された稔は呆然とすると、直ぐに腹を抱え可笑しそうに笑い始めた。
すると、徐ろに真司の頭をクシャッと撫でた。
「ちょっ!? せ、先生!?」
「良いツッコミだ! お前も、大阪に馴染んできたって感じだなぁ~」
「…………」
そんなつもりは無かったが、稔からにしたらそう見えたのだろう。今度は真司が口を開け呆然となっていた。
それもそのはずかもしれない。転校して来たばかりの真司は人を避け、孤独を自ら選んでいたのだから。
でも、今は違う。あやかし商店街では菖蒲達がいて、この人間の世界では新しい友達もできた。
馴染んできたのかよくわからない真司は、段々と実感が湧き嬉しさと共に少しだけ気恥ずかしい気持ちにもなった。
真司が照れたように少し俯くと稔はクスリと笑い、再び真司の頭を撫でる。そして、そんな真司の傍にいた雛菊は、真司と稔とのやり取りに微笑ましく思っていた。
だが、心の中の片隅では仲良さそうに話している二人に『羨ましい』と、思っていた。
雛菊は想像する。
『もし自分の姿が稔にも見えたら』と。
でも、それは雛菊には想像がつかなかった。
稔とどんな風に接したらいいのか、どんな会話をすればいいのかがわからなかったからだ。
真司とはこうやって会話ができ、真司も雛菊の姿が目視できる。それは真司があの方で、特別な人だからできること。
「私も……お話しができたらいいのに……」
それは自然と言葉に出していた。
真司は、そんな雛菊の無意識に呟いていた言葉を聞き胸が痛くなる。どんなに距離が近くても、お互いが目の前に立っていたとしても、その視線は片方だけ届き、片方は見えないのだから。
それは言葉も同じ。どんなに声をかけても、決してその声は相手に届くことはない。ただただ近くで見ているだけしかできない。
――それが、人と人ではないモノの〝理〟
真司は願う。『雛菊の姿と声を先生に届けたい』と。
そして真司は、この件が終われば雛菊と稔のことを菖蒲に相談してみようと思ったのだった。
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