第16話
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時折、雛菊が稔を気にしながらチラチラと見る中、電話が終わると稔は真司の方を向いて親指をグッと立てた。
それを見て真司は嬉しさのあまり立ち上がる。
「先生、本当ですか!?」
「おう。ただ、探すのに時間がかかるそうだ。まぁ、うちの蔵は無駄にデカイからなぁ」
「それでも大丈夫です!」
(やっと雛菊さんが八郎さんに会えるんだ!)
長い長い時を経て二人はもう一度会える。真司は高ぶる気持ちを抑え、稔から詳しい話を色々と聞いた。
どうやら稔がまだ小学生の時に、その貝を見つけたらしい。その記憶は今日まで忘れていたが、突然ふと思い出したようだ。
その瞬間、真司はまるで噛み合わなかった運命の歯車が綺麗にカチッと合わさったような気分になった。
切れてしまった〝縁〟が、また繋がったような気がしたのだ。
すると、授業が終わるチャイムが鳴った。
昔話に花を咲かせ心配に話していた稔は顔を上げ「お、なんだ、もう終わりか?」と呟いた。
「早いなぁ。っと、次は一年生のクラスに行かないと」
「僕も教室に戻らないと」
真司と稔は同時に立ち上がりササッとカップとお菓子を片付けると、真司は準備室を出て稔と別れ自分の教室へと戻る。その道中、真司は人気のないところに行き雛菊と話した。
「あの、雛菊さん」
「はい、なんでしょうか?」
小首を傾げる雛菊に、真司は周囲に人がいないことをさらに確認し話を続けた。
「これから教室に戻って授業があるんですが……その……離れられないのなら雛菊さんも一緒に授業を受けることになります。だっ、大丈夫ですか?」
真司がそう言うと雛菊はニコリと微笑んだ。
「はい。どうか、私のことはお気にならず。……それに少し楽しみなんです」
「楽しみ、ですか?」
今度は真司が首を傾げた。
雛菊はそんな真司を見て小さく頷く。
「はい。私は、あまり自分の桜から離れることはありません。……あくまでも私は介入する側ではなく、人の世と桜を見守る側なので。だから、私にとってはすごく新鮮なんです。授業もとても楽しみです♪ 人の子は、いったいどんなことをいつも学んでいるのかしら♪」
妖怪と言っても全員が大昔みたいに人の世界で人を驚かし、時には暴れ、介入するわけではない。雛菊みたいに、ただのんびりと過ごし人の有様を見守る妖怪もいる。
そういった妖怪は、きちんと人と妖怪の一線を引いているのだろう。
それが無くなった今、雛菊にとっては校内も授業もどれもが真新しい物に見えたに違いない。楽しそうに話す雛菊を見て真司は少しポカンとするが、それは直ぐに無くなり、真司は子供みたいに心嬉しそうにする雛菊にクスッと笑った。
「なら良かったです。では、教室に行きましょう」
「はい♪」
そう雛菊が返事をすると、真司は階段を上り教室へと戻る。すると真司が教室に入った途端、海が真司の名前を呼びながら犬のように駆け寄ってきた。
「真司! お前、もう大丈夫なんか?」
「うん。心配かけてごめんね」
海は真司の顔色を窺うと、ニカッと歯を見せ笑った。
「よし! 顔色もだいぶ良くなってんな!」
海がそう言うと、遥も後から続き「たしかに。さっきよりかはマシやな」と言う。
遥は苦笑いを浮かべる真司をジーッと見る。
「神代?」
「あんま、無理すんなよ」
まるで弟を心配する兄のように、遥がおもむろに真司の頭をクシャッと撫でる。真司は擽ったそうにクスリと笑った。
「急にどうしたの?」
「……別に。つーか、なんかお前見てると放っておけん。海とは別の意味で心配するわ」
「なっ!? 別の意味ってなんやねん!」
遥の隣にいる海が噛み付くように吠える。それをあしらうように遥は「お前の場合は、阿呆過ぎて心配するってことや」と海に言った。
「あ、阿呆って……。いや、まぁ、否定はせんけどな!」
「あはは……」
(そこは否定しようよ……)
苦笑しながら内心そう思う真司。そんな三人の様子を雛菊は後ろから微笑ましそうに見ながら笑っていたのだった。
授業が始まると雛菊は興味津々な表情でずっと授業を聞いていた。
そして、真司はその日の授業をいつも通り過ごす。それでもやはり雛菊のことが気になるのか、真司は時折、他の人に変な風に思われない程度に雛菊のことをチラッと見ていた。
そして、あっという間に一日の終わりを向かえた。
その日の授業を終えた真司は家に帰らず本来ならそのまま商店街へと向かうのだが、今回は疲れも溜まっているのか体も少し怠く商店街に向かうのを止め真っ直ぐと帰宅した。
(菖蒲さんのお店に電話入れなきゃ……)
頭の中ではわかっているのに体が言うことを聞かない。帰宅してから倒れ込むようにベッドに顔を埋める真司。
真司の頭の中は次第に微睡みの中へと溶け込み、やがて、その意識はプツリと途切れてしまった。
傍にいた雛菊が申し訳なさそうに真司を見る。「私のせいでごめんなさい」と、本当は言いたかったが真司が眠ってしまったので声を掛ける事ができなかった。
雛菊は真司の部屋の窓から外を眺める。外はオレンジ色の空で、雛菊の心をいつもよりも少しばかり寂しくさせたのだった。
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真司は眠っている。そして、夢を見ていた。
その夢は彼処側で雛菊の記憶をこの目で見て体験したように、真司が第三者となって見る夢だった。
それでも、ただ一つ違うことがある。それは真司がその場に立っておらず、その光景を俯瞰し眺めていることだった。
まるで、雲がゆっくりと動きながら人の様を見るように。
まるで、神様が人の世を空から傍観するように、真司は目の前の光景を上空から見ていたのだ。
その夢の中で一人の美しい女性が桜の下で微笑んでいた。
「今年も、ここに新しい人達が沢山やって来るのね」
胸の前で手を合わせ「ふふっ」と笑う女性。真司はその女性のことを知っていた――それは、桜の精霊である『雛菊』だったのだ。
そう。これは雛菊の夢。真司は、今度は精霊である『雛菊』の方の過去を〝夢〟として見ていた。
「どんな方達が来るのか楽しみだわ。……今年は誰か、この桜を見てくれる人がいたらいいのだけれど」
雛菊は、少し寂しそうに桜の木を見ているとハッと我に返り、自分の頬を軽く叩く。
「いけないわ! 今日は、皆さんを歓迎しなければいけないのに私ったら!! 桜の精――雛菊。私は、皆さんを歓迎致します。ここで過ごすあなた達の三年間が素晴らしいものになりますように……」
祈るように雛菊がそう呟くと、風で桜の枝がゆらりと動き、無数の花弁が地面に舞い落ちた。
風に乗って桃色の花弁が遠くまで舞って行く。それはまるで桜木も新たな出会いと訪れに祝福しているようだった。
その時、ガサッと誰かが草を踏む音がした。
雛菊は顔を上げ、足音がした方を振り向く。そこにはスーツを着た男性が頭を掻きながら、雛菊がいる方へと向かっていた。
勿論、その男性には雛菊の姿は見えていない。
「あ〜、だる……。やっと解放されたわぁ」
男性は締めていたネクタイを緩めると桜の下に座り込んだ。姿が見えないとは言え、突然隣に座られた雛菊は動揺しその場で慌てふためいていた。
「わ、わわっ、人が来ました! ここに人が……!」
どうしたらいいかわからずにアタフタしていると、隣に座る男性が「ふぁ〜ぁ」と、大きな欠伸をした。
「あー……糖分糖分っと」
男性はスーツの裏ポケットから棒付きキャンディーを出すとパクッと咥え、桜の木に背を預けボーッと桜を見上げる。
真司は、雛菊の隣で気だるそうにしているこの男性を知っていた。
それもそのはずだ、この男性は真司のクラスの担任である白石稔なのだから。
いつもの稔は髪もボサボサで無精髭も生えていたが、桜を見上げているこの稔はパリッとしたスーツを着て、髪も髭も身なりを綺麗に整っていた。
恐らく、今の稔の姿を見れば女子生徒は騒ぐだろう。それぐらい普段からのギャップが凄く、この稔の姿はカッコよく見えのだ。
稔は、棒付きキャンディーをコロリと口の中で飴を転がす。
「にしても、こんな所に桜の木があったんだな。こんな学校の裏にポツンと立って……何だか寂しいな」
「……っ!!」
雛菊が決して口には出さなかったことを、隣にいる稔はボソリと呟く。雛菊は、まるで心を読まれているみたいで落ち着かなかった。
そう言ってくれた人も初めてだからという驚きもあるが、その反面、不思議と嬉しい気持ちもあった。
雛菊の口元は自然と上がる。聞こえないとわかっていても、雛菊は稔に感謝の言葉を伝えた。
それは、何に対しての言葉かは雛菊にはわからない。けれど、雛菊はどうしても、この言葉を稔に言いたかったのだ。
『ありがとう』と。
「……ありがとうございます」
雛菊が稔にそう言うと、稔は、ふと顔を上げ教室の窓を見た。
稔から見える教室の窓からは、何やらゴチャゴチャとした影が見えていた。
どうやらそこは、あまり使われておらず物置化された教室らしい。稔は暫し窓を見上げながら考えると、何かを思いついたように手を叩いた。
「お、いいこと思いついたぞ」
「……??」
雛菊は首を傾げ稔と一緒に窓を見上げるが、雛菊には稔が何を思いついたのかわからなかった。
「よしよし……むふふ……こりゃいいな~」
何を考えているか雛菊にはわからないが、何やらよからぬ事を考えているようだということだけは、稔の含みのある笑みで察しがついた。
雛菊は、隣で細く笑む稔を見て思う。「この人は、一体、何を思いついたのかしら?」と。
そして夢は……雛菊の過去は、次へと進んだ。
日が経ち、雛菊は桜の下で佇みながら稔のことを考えていた。
「あんなこと言われたのは初めてだわ。……また、来てくれるかしら?」
そう雛菊が呟いた直後、二階の教室の窓が開き誰かがむせながら顔を出した。
顔を上げると、そこには埃で顔が汚れている稔の姿があった。
「あの方は……!」
「げほっ、こぼっ! くっそ、もろに埃被ったじゃねーか! でも……まぁ、一通りは片付いたな。一服一服」
稔は頭の埃を手で叩きながら落とすと、ズボンのポケットから棒付きキャンディーを取り出し、口の中へと放り込む。そして、ポツンと咲いている桜を見下ろすとフッと微笑んだ。
「……ここから見る桜も良いもんだ。一人じゃ寂しいからな、俺がこの学校にいる間は話し相手になってやるよ」
「………!!」
「……って、俺、なに桜の木に話しかけてんだろな」
後頭部を気だるそうに掻きながら、一人で会話をしていることに稔は可笑しくなりクスッと笑う。雛菊はそんな稔を見ると、何故だか心臓が高鳴った。
雛菊の顔は次第に熱くなり、雛菊は自分の頬を両手で挟むと小さく俯いた。
桜がヒラヒラと舞い落ちる中、顔を赤らめる雛菊の姿は誰が見ても美しく、また、恋する可憐な少女のようにも見えた。
「どうしましょう……私……私……」
まるで上目遣いをしているように、赤くなった頬で目だけを上げ稔を見る。この時、この瞬間、桜の精霊である『雛菊』は人間の男に初めて〝恋〟をしたのだった。
そこで、真司は目が覚めた。
「――っ!?」
勢いよくベッドから起き上がると、真司は慌てて雛菊の姿を探す。雛菊は、真司の部屋の隅で三角座りをしながら俯いていた。
よく見ると耳が茹で上がったタコのように赤くなっている。真司は雛菊の様子が心配になり、恐る恐る声をかけた。
「ひ、雛菊さん……?」
「っ!! み、宮前さん……わっ、私の記憶……見ました、よね……?」
雛菊は肩を少し上がらせると小さな声で真司に言った。真司は雛菊から目を逸らし、気まずい気持ちで黙ったまま頷いた。
すると雛菊が声にならない言葉を発し、また俯いた。
「〜〜っ!! は、恥ずかしいですっ!」
「みっ、見たくて見たのではなくて――ふっ、不可抗力です! いえ、それよりも、雛菊さん先生のこと知っていたんですね。それに、どうして僕が見たってわかったんですか?」
雛菊は赤らめた顔をゆっくりと上げ、不思議そうに見ている真司と目を合わす。
「私は、宮前さんに憑いてしまっています……。もう一人の雛菊の過去も見れたあなたには、自然と私の過去も見ることができると思ったのです。今、私は、宮前さんと繋がっているような状態ですから」
「そう、だったんですか……」
真司が納得すると、雛菊は、また少し俯き話を続けた。
「彼のことは先程、思い出したのです……窓から外を見ている時に。私……私、どうして彼のことを忘れていたのかしら……」
悲しそうに話す雛菊の目には微かに涙が溜まっていた。
それも当然だろう。なにせ好きな人の思い出と、その想いを忘れてしまったのだから。
それは、決して忘れたくない記憶に違いない。
(僕も菖蒲さんや皆との思い出は絶対に忘れたくないもん……)
なぜ、どうして、雛菊が記憶を忘れてしまったのかはわからない。だが、無事にこうやって思い出せた。
真司は『思い出せただけでも本当に良かった』と思うと、真司はベッドから出て俯いている雛菊の隣にそっと座り込み雛菊に向かって微笑んだ。
「……雛菊さんと先生の出会いって、素敵ですね」
少しでも元気付けようとした言葉は、どうやら雛菊には逆効果だったらしい。
雛菊はまたタコのように顔を赤らめ「は、はぅ……」と、呟くと体を更に小さく丸めてしまった。
「不思議、です……」
「え?」
なにかを言った言葉が聞き取れず真司は雛菊に聞き返す。すると俯いていた雛菊がゆっくりと顔を上げた。
「あの人には私の声も姿も見えないのに、私の心を見られたような……ずっと蓋をしていた言葉を開けてくれたような気がしたのです。……それは、決して嫌ではなくて、とても不思議な……初めて感じた気持ちだったんです」
「なんとなく、その気持ちわかります」
雛菊は真司と目を合わせる。真司の頭の中では菖蒲の姿が浮かんでいた。
初めて菖蒲と出会い『一人じゃない』と言ってくれたときの言葉……背中を押されたような言葉に、真司は今でも覚えていた。
稔には雛菊の姿を見ることができないが、雛菊の思っていることは真司が思っていることと似ている部分もある。それは、とても言葉では言い表すことはてきず、ただ……不思議と心がお日様のように暖かな気持ちになったのだ。
だからこそ真司は、雛菊のその言葉に共感ができた。
雛菊は、真司が誰のことを考えているのかわかるとクスリと笑った。
「……宮前さんも私と同じなのですね」
「これって、言葉では伝えづらいですよね」
「はい。ふふっ」
お互いにその気持ちがわかるこそ、こうやって笑い合うことができる。すると、雛菊は真司に向かって微笑むと「やはり、宮前さんはあのお方なんですね」と、真司に言った。
真司は雛菊が言う『あのお方』が誰かわかず首を傾げる。
「あの方って、誰ですか?」
雛菊は無意識のうちに発していたのか、ハッとなると口元を両手で隠した。
「い、いえ! 気になさらないで下さい!」
「は、はぁ……」
真司は曖昧な返事をすると『雛菊がそう言うなら気にしないようにしよう』と思うが、いかんせんそうはいかない少年心というもの。内心では、もの凄く『あの方』について気になっていた。
(あの方って、本当に誰のことなんだろう?)
――――真司が『あの方』について知るのは、まだまだ先のこと。
雛菊は暫し目を閉じ、菖蒲とそれを想う『あの方』の姿を脳裏に映す。
その姿を一度だけ目にしたことのある雛菊。優しそうに微笑む『あの方』と少し拗ねている菖蒲……当時は、雛菊はまだ菖蒲とは挨拶を交わしたことは無く、ただ遠くからすれ違う程度だった。
桜の花弁のように風に乗って浮遊する雛菊は、たまたまその道を通ると、珍しいことに人と妖怪が仲良くしていることに驚きを隠せないでいた。
だが、その二人の姿は雛菊から見ても、とても幸せそうな光景だった。
驚きの目で暫しそんな二人を遠くから見る雛菊。
すると『あの方』が雛菊に気づきフッと笑みを浮かべた。その時は思わず驚いて、逃げ出すようにその場を去ってしまったが、それ以降、雛菊は菖蒲と『あの方』が気になり、遠くから少しだけ眺めることがあった。やがて雛菊は眺めていた二人と話すようになり『あの方』と菖蒲の最後の瞬間もこの目で見ていた。
雛菊は、菖蒲と『あの方』が再び出逢うということを知っていた。
でも、それを雛菊の口から言うべきではないと雛菊は思った。
現実に戻ってくるようにゆっくと目を開くと、首を傾げあの方について考える真司が目に映る。雛菊は、そんな真司を見て微笑むと貝の話しを切り出した。
「貝が合わさる時が楽しみですね」
「え? あ、はい、そうですね」
真司は名前を呼ばれ『あの方』の考えるのを止めると、今度はもう一人の雛菊のことを考えた。
稔の祖父が持っているという貝が本当に同じ桜貝なのかは直接見ないことにはわからない。だが、真司はそれでも願った。
(どうか、桜貝が無事に合わさりますように……)
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