第12話
✿―✿―✿
深い霧の中、鈴から放たれる一筋の光を頼りに真司は背中に雛菊を抱えて歩き続けていた。
「どこを歩いても霧……段々自信が無くなってくるな……」
それでも、真司は菖蒲がくれた鈴の光を頼りに歩き続けた。
時には挫けそうにもなった。しかし、その先に菖蒲がいると思うと自然と頑張ろうという気持ちになれたのだ。
正直、どれぐらい歩いているのかわからない。数分……いや、数時間は歩いているのかもしれない。
一人だとそれこそ心が挫けそうになるだろうが、今は一人ではない。背中には眠ってはいるが雛菊も一緒だ。
ほんのりと春のように暖かい温もりが背中から伝わってくる。
「大丈夫……」
そう自分に言い聞かせた時だった――どこからともなく声が聞こえてきた。
だが、周りには自分達以外の人影は居なかった。
すると突然声が聞こてきた。
「ねぇねぇ、あの子知ってる?」
「あぁ、あの子ね。噂じゃ、一人でブツブツと何かを言っているらしいわよ」
「私なんて、この前見たのよ。誰も居ないのに誰かに話しかけるところを」
「いやねぇ」
その話し声に歩き続けていた真司の足がピタッと止まった。
真司の顔は強張り、額には汗が滲んでいる。聞こえてくる話し声は段々増えていき、コソコソと話しているのに不思議とその声は真司の耳にハッキリと聞こえてきていた。
「ねぇー、ママー。あの子、誰と話してるのー?」
「しっ! 見ちゃダメよ! いい? あの子には近づいちゃダメよ?」
「うわっ! こっちに来るな! 気持ち悪い!」
「皆、逃げろー! こいつに呪われるぞー!!」
「触らないでよ!」
次から次へと聞こえてくる声に、真司の体は次第に震える。顔色も段々青白くなっていた。
「あ……あ、あぁ……っ」
何かを言おうにも言葉が上手く出ない。足も震え、もう歩くことすらままならなかった。いや、歩くことを忘れてしまったのだ。
そして遂に、真司はその場に膝から崩れ落ちた。その瞬間、雛菊も背中から落ちたが、今の真司には雛菊を気にかけることはできないでいた。
周りから聞こえてくる声と恐怖で、視界も心も狭くなっていたのだ。
「あ……あ……ぼっ、僕は……」
「ねぇ、どうして俺をこんな目に遭わせたんだ?」
「――っ!?」
ゆらりと霧から誰かが現れた。それは、真司が知っている人物だった。
「ねぇ、どうして? 俺は、あんなにもお前を気にかけていたのに。友達だと思っていたのに」
「しょ、翔平、くん……」
一歩また一歩と真司に近づく翔平という少年。翔平は、小学4年5年生ぐらいの男の子で、小学生らしい短パンに青い半袖を着ていた。
だが、一つだけ普通の人とは違うところがあった。
それは翔平という少年の額や足から大量の血が流れていたのだ
真司は翔平の血だらけの姿を見ると言葉を失った。全身が震え、その瞳には怯えがあった。
翔平は血にまみれた顔で真司を指さしこう言った。
「友達だと思ったのに……人殺し、化け物」
「っ……!!」
翔平がそう言った途端、真司の周りからも『人殺し』『化け物』という言葉が飛び交う。
「人殺し」
「化け物」
「――っ!! や、やめ――!」
大勢の声に真司は耳を塞ぎ、目を強く綴じる。目には涙が溜まり、ポタポタと地面に落ちていた。
真司は耳を塞ぎ泣きながら首を横に振る。
「違う――違うよ――! 僕は殺してない――僕は、助けようと――!」
「人殺し」
「化け物」
「違う……違う……違う!」
聞きたくない言葉なのに聞こえてしまうことに耐えられない真司は、塞いでいた手で耳をガリっと思わず引っ掻いてしまったが、今の真司がその痛みに気づくことはなかった。
涙がいくつも地面に落ちる。だが、それでも罵声は止むことはなかった。
その時、地面に落ちていた鈴が強く光り出した。その光りはどこまでも強く、太陽のように眩しかった。
「ギャァァァァァァァ!!」
悲痛な叫びが周りから響き渡る。真司は何が起きているのかわからず、涙が溜まった瞳でポカンと口を開けていた。
しかし、真司は光りが強くなった瞬間、確かにこの目で見たのだ。
――まるで真司を何かから護るかのように手を広げ、真司の前に立つ菖蒲の姿を。
「菖蒲……さん……?」
名前を呼ばれた菖蒲は振り返ると何も言わず、ただニコリと微笑む。真司は菖蒲に触れようと手を伸ばす……が、真司が手を伸ばした瞬間、菖蒲の姿はフッと消え鈴が代わりにコロッと地面に落ちたのだった。
真司は呆然とした様子で落ちた鈴を広い上げる。真司が鈴を手にした瞬間、鈴からまた一直線にどこかを指している光が放たれた。
「……菖蒲さん」
真司は再び目を閉じ鈴をギュッと握りながら胸に手を当てると、頭の中で、ここ来る前に言った多治速売命の言葉を思い出す。
『己の心と耳を信じるのじゃぞ』
そう多治速比売命は言った。
「あの時……確かに聞こえた。菖蒲さんの声が……」
そう呟くと、真司は光の中現れた菖蒲の言葉を思い出した。
「この者に手を出すことは許さぬぞ! 去れ、下郎共!」
あの時、あの瞬間、菖蒲は確かにそう言った。
真司は眉を寄せ強く祈るように呟く。
「心と耳を信じる……僕の…心……」
真司は涙を腕で無造作に拭い自分の頬を力強く叩いた。
そして、倒れている雛菊に「落としてしまいすみません……」と謝ると、雛菊を背負い直し、真司は鈴から放たれる光の先へ再び歩き始めたのだった。
突然現れた菖蒲が本物の菖蒲なのかはわからない。若しかしたら『菖蒲に助けて欲しい』という気持ちが無意識の内に強く表に出たせいで、幻を見たのかもしれない。
けれど、真司は信じることに決めた。
自分の心を……あの時聞こえた、菖蒲の声を。
「菖蒲さん、待っていて下さい!」
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――バチッ!!
桜の幹から微かに電気が流れ、触れていた菖蒲の手が跳ね返される。菖蒲は眉間に皺を寄せ、桜をジッと睨んでいた。
怒りで力が表に出ているのか、菖蒲の漆黒の髪が微かだがゆらりと揺れていた。
「忌々しい……しかし、真司は見つけた。チッ……真司を誘惑しおって、下郎共が……!」
普段の菖蒲からにしたら想像出来ない言葉が口から出てくる。真司が今の菖蒲の姿を見たら、さぞ驚くだろう。
今の菖蒲の姿は『神』ではなく正に『妖怪』に近いからだ。髪は怒りで揺れ、爪や歯は獣のように伸び鋭く尖っていた。
そんな菖蒲の前に、突然、人影が現れた。
菖蒲は真司かと思い、その影に走って近づく。
「真司!」
「…………」
菖蒲が名前を呼んでも返事は返って来ない。菖蒲はその違和感から直ぐに影が真司ではないと気がついた。
慌てて影から距離を取り様子を見る。よく見ると周りの霧がさらに濃くなっていることに気づき、菖蒲は又もや舌打ちをした。
「遂に、私のところにも来たか」
「…………」
「ふっ……一体、何処の誰が現れるんやろね? いや、もう現れていたの。さてはて、顔をよく見せておくんなまし」
挑発的な笑みを浮かべる菖蒲。すると、影はゆっくりと菖蒲に近づき始めた。
段々影のシルエットがハッキリと見えてくる。そして、ソレは濃い霧の中から姿を現した。
「…………っ!! お前、は……!」
霧の中、菖蒲の目の前に現れたのは平安時代の
その男の顔は、どことなく真司にも似ている。菖蒲は現れたソレに驚愕しながらも、その者の名前を呟いた。
「
「おいで、菖蒲……」
それと同時に、過去の記憶が菖蒲の中で一斉に蘇る。
それは、山の頂上での思い出。
『時成、見てみよ! これは絶景だな!』
『そうだね、菖蒲。この景色を目に焼き付けておかないとね』
それは、見たことの無い物に触れた思い出。
『時成、これは何だ?』
『これは
それは、初めて食べた物の思い出。
『菖蒲、ほら』
『むぐっ!? ………甘い』
『あれ……? 眉間に皺が寄っているけど、もしかして不味い?』
『いや、美味だ。とても美味い!』
時成と過ごした思い出たち……記憶が鮮明に蘇り、菖蒲の頬に一筋の涙がこぼれ落ちた。
菖蒲は一歩、また一歩と時成に近づく。時成は、まだ菖蒲に手を差し伸べている。
菖蒲も手を差し伸べ時成の手を取ろうとする――――が、菖蒲は涙を溜めた瞳で時成を睨み、その鋭い爪で時成の姿を写し取った幻影を引き裂いた。
「ギャァァァァァァ」
菖蒲が引き裂いた幻影から痛々しい声が聞こえるが、菖蒲にはそんなことはどうでもよかった。
「下郎が……! よりにもよって、この者の姿を借りるとはっ……! 去れ!!」
引き裂いた幻影が霧に戻り消えていく。菖蒲が怒りを露わにしながらそう言い放った瞬間、濃かった周囲の霧が元に戻り始めた。
菖蒲は顔を上げ目を閉じる。すると、過去の記憶がまた頭の中に流れた。
それは、菖蒲には辛い悲劇の思い出だった。
『時成……嫌だ……嫌だ! お願い、逝かないで……!』
菖蒲の腕の中で血塗れになり倒れる時成。
菖蒲はそんな時成を抱き締める。時成の流れ出る血が菖蒲の服や腕、頬に着いても菖蒲は気にもとめなかった。
『許さぬ……。……決して、許さぬぞ……人間共っ!!』
菖蒲はハッとしたように目を開く。
「時成……私は、あの時の過ちを直せているだろうか……?」
霧の中、空があるのかもわからない空を見上げポツリと呟く菖蒲。
菖蒲は自分の両掌をジッと見つめると苦笑いを浮かべた。
「こんな私が、よもや神を名乗るなんての……ふふっ。お前さんの言う通りになってしまったな、時成。そして、私は――――」
「――菖蒲さーん!」
「っ!? この声、は……」
突然名前を呼ばれた菖蒲は、何かを言おうとした言葉を止め後ろを振り返る。するとそこには真司と背中に背負われている雛菊の姿が見えた。
まるで引っ張られるように菖蒲は真司に向かって走って行く。
「真司っ!!」
「菖蒲さ――わわっ!! あ、菖蒲さん!?」
飛びつくように真司の胸にしがみつく菖蒲。
「よかった……本当によかった……」
突然胸に飛びつかれ、真司は思わず雛菊を落としそうになる。体力の無い真司は雛菊が落ちないように学ランの上着をベルト代わりに雛菊と一緒に腰に巻いているが、それでも何度かは落としそうになったり、足に力が入らず倒れ込みそうになった。
真司はグッと腕に力を入れ雛菊を落とさないようすると、自分の胸で顔をうずめている菖蒲の姿を見た。
驚きと恥ずかしさ、そして、菖蒲との距離が近いせいなのか少しばかりの緊張もあったが菖蒲の肩が微かに震えているのに気づき、真司はもう一度菖蒲の名前を呼んだ。
「菖蒲、さん……?」
(泣いてる……?)
真司は安心させようと震える菖蒲の肩にそっと手を置く。妖怪からも信頼し、妖怪から神様になり、真司を暗闇から救ってくれた菖蒲は真司にとってはとても大きな存在だった。
だが、そんな菖蒲でも肩が震えることもある。真司は、それほど心配をさせてしまったのかと思うと申し訳ない気持ちになってしまった。
「菖蒲さん、心配かけてすみませんでした……」
真司がそう言うと、菖蒲は顔を上げニコリと微笑んだ。てっきり泣いていると思っていた真司は菖蒲が泣いていないことに内心ホッとする。
「とても心配したんやえ。無事でなによりじゃ……」
そう言うと、菖蒲は真司の耳元に顔を近づけ「ふぅー」と息を吹きかけた。
「うわっ!! あ、菖蒲さん!?」
「ふふっ。何も驚くことはなかろうて。怪我を治しただけじゃ」
「怪我……? あ、そう言えば……」
真司は先程の出来事を思い出す。それは、ほんの数分前の事。
過去の
現に、菖蒲に言われるまで忘れていたぐらいだ。
「ありがとうございます、菖蒲さん」
「うむ」
「ん………」
真司がお礼を言うと、真司の背中にいる雛菊が身動ぎをした。
「雛菊、気づいたか。身体の具合は大丈夫かえ?」
「私は……一体……?」
雛菊の目が覚め、真司は背中から雛菊をそっと下ろす。雛菊は少しふらつきながらも自分の足でしっかりと立ち上がると辺りを見回した。
「……そうだわ。私、またあの子に……。すみません……」
「お前さんが悪い訳では無い」
「菖蒲様……」
申し訳なさそうに菖蒲の名前を言う雛菊。
真司はそんな二人を見て、もう一人の雛菊のことを思い出した。
「あの、僕、雛菊さん――あ、えっと……もう一人の方の雛菊さんの〝未練〟っていうのでしょうか? それが何なのかがわかりました。多分……あれが、雛菊さんの探し人なんだと思います」
「ふむ……詳しい事を聞きたいが、この場所では何ともなぁ。かと言って、雛菊を置いていくのも……うーむ……」
菖蒲が顎に手を当て、どうするかを考えていると雛菊が「菖蒲様、私のことはどうかお気になさらず」と菖蒲に言った。
しかし、菖蒲は雛菊の言葉に首を縦に振らなかった。
「そうはいかぬ」
「えっと……普通に連れて帰るというのは駄目なんですか?」
真司の質問に菖蒲は小さく頷く。
「うむ。……若しかしたら、もう一人の雛菊が又もや暴走するかもしれぬからの。故に、容易に連れて帰ることは――――いや、待て」
菖蒲は何かを思いついたのか、徐に真司のスボンのポケットに手を入れた。
真司は驚いた様子で菖蒲を見る。
「え!? あ、菖蒲さん!?」
「動くな真司」
「へっ!? は、はい……!」
近くでモゾモゾと両ポケットをまさぐられ、真司は自分の心の置き場に少し困惑する。菖蒲が近くにいるせいで菖蒲の髪から花の匂いがし、顔もいつもより近いからだ。
真司の心臓はドキドキと速く鳴っていた。
(うぅ……な、何だか凄く緊張する……)
顔をなるべく菖蒲から逸らし、なるべく菖蒲を見ないようにする真司。
すると、菖蒲は何かを見つけたのか「あった」と、小さく言った。
菖蒲は真司のポケットから〝ある物〟を取り出す。それは、一枚の桜の花弁だった。
「僕、ポケットに花弁を入れた記憶が無いんですが、いつの間に……?」
「雛菊に呼ばれた時点で何かしらの痕跡が残ると思ってな。真司の場合は、それは〝花弁〟だったということじゃ」
「痕跡、ですか?」
真司が菖蒲に聞くと、菖蒲は小さく頷いた。
「現世からここに連れて来られた者は、何かしらの〝痕跡〟が残るのじゃ。残るというよりも、ここの者が態と残すんじゃがな。私の物になった、という証としての……」
菖蒲の言葉に真司の背中がゾクリとする。
「え……私の、物……? じゃ、じゃぁ、僕は……」
「安心おし。それは『例えば』の話じゃ」
「そ、そうなんですか……」
真司がホッと安堵の息を吐くと菖蒲は「うむ」と頷き呟き、手にある桜の花弁を見た。
「そして、これを雛菊の依り代に使い外に連れ出す……と言っても、一時的じゃがな」
「依り代ですか」
「雛菊の場合は桜の精霊やからね。花弁でも、桜が一番雛菊と相性が合うのじゃ。……さぁ、雛菊」
「はい、菖蒲様」
雛菊は目を瞑り胸の前で祈るように手を組むと、雛菊の体が淡いピンク色へと光だした。
やがて体は小さな光の粒となり、桜の花弁へと吸い込まれるように入っていった。
菖蒲は花弁を大事にするように胸の中にしまうと真司を見る。
「これで一時は大丈夫じゃろう。さて、真司。帰ろう……私達の家へ」
真司に真っ直ぐと手を差し伸べる菖蒲。
真司は菖蒲の手をジッと見る。菖蒲はまるで真司なら必ずこの手を取るという確信があるのか、自信にありふれた笑みを浮かべていた。
真司はそのことが嬉しく思い『自分はこんなにも誰かに愛されている』という気持ちを今日この日、初めて知る。
過去の言葉が自分を闇へと引き摺り孤立させ『自分はこの世界から疎まれている』と、真司はずっとそう思っていた。
だが、そうでは無かった。
菖蒲は真司を守り、こうやって手を差し伸べてくれる。それが、今の真司にはどうしようもなく嬉しかったのだ。
自分の手を取るのを待っている菖蒲に真司の頬は自然と上がり、真司は菖蒲の白く細い手をギュッと握った。
菖蒲達は離れないように手を繋ぎながら濃い霧の中を進む。
真司のもう片方の手には鈴があり、その鈴は真っ直ぐと光を指している。
「この光の場所に行けば戻れるんですよね?」
「うむ。私を信じよ」
「はい」
菖蒲がニコッと微笑み真司も微笑み返す。もう、先程の恐怖や怯えは無い。
(菖蒲さんがいるだけで、こんなにも自分の心が変わるなんて……)
「――やっぱり、凄いや」
「ん? 何か言ったかえ?」
「あ、いえ! なんでもありません!」
思ったことがどうやら口に出していたらしい。真司は慌てて苦笑するが、菖蒲にはそれが嘘だとバレているのだろうか? 菖蒲は袖口を口元に当てクスクスと笑っていた。
「わ、笑わないでくださいよ……」
「あぁ、すまんすまん。何だか、お前さんといると安心してね」
「…………」
菖蒲と同じ気持ちで真司は心なしか嬉しい気持ちになる。自然と笑みがこぼれた瞬間、目の前の景色が蜃気楼みたいにボヤーとなり始めた。
真司は何が起こったのかわからず足を止めるが、菖蒲はそんな真司の手を引っぱり歩き続けた。
「菖蒲さん、大丈夫なんですか!?」
「うむ。問題あらへんよ」
景色がゆらりと揺れる。やがて、蜃気楼の奥から風景も見え始めた。
その風景は真司も馴染みのある風景――自分のもう一つの家でもあり、大事な人達が待っている家だった。
「あ!」
「ふふっ。な? 言ったやろう? 問題あらへんと」
「無事、帰れたんですね」
「うむ。やれやれ、ものの数分の出来事のはずやのにねぇ……なんだか、何日もいたような感覚じゃ」
「ですね……」
真司と菖蒲はお互いに苦笑し合うと、その蜃気楼に向かって歩き続けた。
その頃、二人を待ち続ける白雪達は各々心配そうな顔で襖の先をジッと見ている。だが、中の様子を見ても濃い霧に包まれているため中は全然見えなかった。
「真司お兄ちゃん、大丈夫だよね?」
「信じましょう」
「……きっと……帰って来る……」
お雪が白雪の手をギュッと握ると、白雪は微笑みを浮かべてお雪を安心させるように言った。
星も帰ってくると信じてはいるが、やはり不安はあるのかルナを胸に抱いていた。
ルナはそんな星を元気づけるように「にゃー」と、鳴きながら星の頬をペロリと舐める。そんな時だった。
「ええい、やめい!!」
さっきから黙っていた多治速比売命がバンッとテーブルを叩いたのだ。
白雪達は驚いて一斉に多治速比売命の方を振り向く。
「そんな辛気臭い顔で菖蒲や童子達を迎えてどうする! もっと普通にせい! 菖蒲達が大変な時こそ、我らが笑顔で迎えなければならぬじゃろうが! それが我らのここでの役目、役割じゃ!」
白雪達に喝を入れる多治速比売命。
口を開けポカンとする白雪達は多治速比売命の言葉で我に返り、白雪達はお互いに顔を合わせると小さく頷いた。
「……良いこと、言うね……」
「うん!」
「流石、神様です。ふふっ」
白雪達はそれぞれ手を握り合い大切な人達の帰りを待つ。
お雪の顔には、もう不安な表情も消えている。いつもの花のような可愛らしい笑顔で白雪や多治速比売命、星を見ると、またジッと襖の奥を見たのだった。
その時、襖の奥から人影が現れた。
その影は次第にハッキリとその姿を現し、お雪は「あ!」と声を出した。
そう。菖蒲と真司が霧の中から帰って来たのだ。
「ただいま」
「た、ただいま帰りました」
真司達が白雪達にそう言うと、お雪が白雪の手を離し、いつもの如く真司に飛びつくように抱きついた。
「真司お兄ちゃん!
「……お兄ちゃん」
星もお雪の後に続き、そっと近づき真司にギュッと抱きつく。白雪はそんな二人を見てニコリと微笑むと「二人とも、おかえりなさい」と、言った。
多治速比売命も菖蒲に近づき、菖蒲の頭のてっぺんから足の爪先まで見るとコクリと頷いた。
「うむ。怪我も無く帰って来たようじゃな」
やはり多治速比売命も不安な気持ちがあったのか、菖蒲達に怪我が無いことを確認するとホッと安堵の息を吐き、多治速比売命はまるで愛娘達を見守るかのように優しい笑みで微笑んでいたのだった。
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