第7話

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 真司と菖蒲は霧深い道を歩く。辺りは何も無く、あるのは濃い霧だけだ。

 歩いているはずなのに、歩いていない感覚。立っているはずなのに、立っていないような感覚。それはまるで夢の中にいるような気分だった。

 その不思議な感覚に真司が少し酔っていると菖蒲が「真司」と、真司の名前を呼んだ。

 二人は立ち止まり、真司は菖蒲と目を合わす。菖蒲は真司の手を取り、ある物を手渡した。


「お前さんに、これを渡しておこう」


 真司は菖蒲からある物を受け取ると、それをジッと見た。菖蒲から貰った物――それはお守りのように赤い紐で結ばれた透明な鈴だった。

 勿論、音は鳴らない。


「これは?」

「万が一の物じゃ。もしお前さんの身に何か起これば、それを使いんしゃい」


 "万が一"という言葉に真司の喉がゴクリと鳴る。


 どんな事がこれから起こるのか、真司には予想できないでいた。

 しかし、これだけは思えた。

『今までと違う事が起こる』と。

 真司は鳴らない鈴をポケットに入れ、二人は無言のまま霧の中を歩き続ける。すると、まるで二人を避けるように辺りの霧が晴れはじめてきた。

 それはとても不思議な現象だった。


「霧が……」

「晴れたの」


 菖蒲は「真司、見えてきたぞ」と言いながら前方を指さす。そこには太い幹の桜木が咲き誇っていた。

 そして、その木の下には桜と同じ色の着物を着ている可憐な少女が立っていた。

 歳は真司と同じぐらいに見える。艶やかな長い髪には立派な簪が挿してあり、凛とした背筋は気品のあるお姫様のようだった。

 菖蒲がその少女のことをジッと見ると「ふむ……」と、小さく呟いた。


「……あれは確かに雛菊であって雛菊だはないな」

「え?」


 真司は首を傾げ少女を見る。菖蒲はその少女を見て「私の知る雛菊ではないが、私の知る雛菊も見えるということじゃ」と真司に言った。

 真司は、また少女を見ると、初めて会った時の彼女の姿を思い出した。


「そういえば……僕が会ったのは白雪さんみたいな大人の人だったような……」

「……とりあえず、話をしてみるしかなさそうやの」


 真司が頷くと二人は桜木の下まで歩いた。

 少女は菖蒲達に気づいたのか、ゆっくりと顔を向ける。


「誰……?」

「あっ、えっとっ、そのっ!」


 少女の方から話しかけられ思わず狼狽える真司。

 それと反対に、菖蒲は堂々とした姿で少女に話しかけた。


「お前さんこそ何者じゃ? お前さん……雛菊をどこへやった?」


 いつもの菖蒲には想像がつかないぐらい鋭い眼差しに、真司は内心ビックリしてしまった。

 まるで、瞳の奥に小さな炎が燃えているようだった。

 菖蒲は少女と話を続ける。


「返答次第では、お前さんには消えてもらおう」


 その台詞と眼差しに真司は驚きはしたものの、それを恐れるわけではなく、なぜだか菖蒲のことを〝美しい〟と思えたのだ。

 少女は、そんな菖蒲にもビクリともせずに話を続ける。


「私は……あの人を待っているの……見つけるの。……探しているの……探したいの。あの人は、どこ? 私は、ここよ……ここにいるわ」


 そう言うと、少女は顔を手で覆い泣き始める。しかし、菖蒲はそんな彼女の気持ちを無視し、一方的に話を続けた。


「雛菊はどこじゃ。今すぐ雛菊を出せ!」


 菖蒲の力強い言葉に、泣いていた少女は突然ピタッと泣きやむ。その途端、少女の姿はユラリと揺れた。

 まるで映像が切り替わるみたいに、少女だった姿は大人の姿へと変化したのだ。

 長い髪は結い上げられ、つまみ細工で出来た白と淡いピンク色の桜の簪が色鮮やかに咲き誇っていた。

 花下から垂れ覗く房は、まるで簪からヒラヒラ舞い落ちる花弁のようだ。蕾だった花が開花するように少女が挿していた簪も変化し、着物も大人びた物へと変わった。

 少女が着ていた桜色の着物は羽織へと変わり、大人の姿は赤い生地に白の糸で刺繍された牡丹柄の着物を着ている。少女の姿では〝東洋のお姫様〟に見えたが、こちらの姿ではそのお姫様の姉、もしくはそのお姫様の若い母親のようにも見えた。

 雛菊は、長い睫毛をゆっくりと上げ菖蒲と目を合わす。


「菖蒲、様……」

「雛菊」


 菖蒲に名前を呼ばれた雛菊は、今度は隣にいる真司と目を合した。


「貴方は……?」

「ぼっ、僕は宮前真司です!」


 雛菊は真司が人間だとわかったのだろう。真司を見ると眉を寄せ、悲しみの目で真司を見た。


「あぁ……また、私が知らずに呼んでしまったのですね……ごめんなさい」

「い、いえ、大丈夫です」

「雛菊。お前さんが無事でよかった」


 菖蒲が雛菊の身を按じると、雛菊は神のご慈悲を貰ったかのように胸の前で手を組み歓喜した。


「あぁっ、菖蒲様……! なんとお優しいお言葉を……!」


 雛菊の元気そうな姿に菖蒲はホッとすると、今度は苦笑しながら「それで、こうなった理由はなんぞ?」と、雛菊に尋ねた。

 その瞬間、雛菊がまた悲しみの目をしながら小さく俯いた。


「その……私が、彼女に同情してしまったからです」

「同情ですか?」


 真司がそう尋ねると、雛菊がコクリと小さく頷いた。


「はい……初めて会った時、彼女は地上をさ迷っていました。それは、とても辛そうでした……私はそんな彼女を見ていられず、思わず声をかけてしまったのです」


 雛菊はその時のことを思い出す。

 その年がいつかはわからない。雛菊が桜の木に住み着いて、幾年か過ぎた春の季節の時だった。

 雛菊が変わらず自分の桜を眺めていると、どこからか少女がフラフラな足取りで現れた。

 着ている着物は上物だったが、その少女の目は虚ろで歳相応の光が目に宿してなかったのだ。その少女は、何かを探すように辺りをキョロキョロと見回すと、虚ろな目から一筋の涙がこぼれ落ちた。

 こう言った者に声をかけるべきではないとわかっていたが、その時の雛菊は彼女の悲しそうな姿に胸が締め付けられ、つい声を掛けてしまったのだ。


『そこのあなた』

『…………』


 雛菊が声を掛けても、少女からの返事は帰って来なかった。

 それでも雛菊は少女に向かって話を続けた。


『ねぇ、あなたのお名前はなに?』


 そう雛菊が聞くと少女の虚ろな目がゆっくりと雛菊の方を向き、青くなっている唇からか細い声が聞こえた。


『ひな……ぎく……』

『え……?』


 その声はどこまでも細く少し掠れていたが、不思議と雛菊にはハッキリと聞こえていた。

 少女の名前を聞いた瞬間、雛菊は目を見張るように驚いた。

 雛菊はその時のことを思い出しながら菖蒲達に話す。



「私は、彼女と同じ名前で不思議と親近感が湧きました。彼女……雛菊の記憶と意識は霊になってかなりの年月が過ぎているのか、どこか曖昧で……たまに、暴走もするんです……」

「暴走ですか?」


 真司が聞くと雛菊が「はい」と、返事をしながら頷いた。

 すると菖蒲が真司の名前を呼んだ。


「真司。霊となって月日が経つと次第に心も記憶も薄れていくのじゃ。そこに自我は無く、残るものは未練のみ。天に召されることなく地上に残った霊は、最悪、地縛霊から悪霊にもなり得る」

「悪霊、ですか……」


『悪霊』――それは、人に悪さをし、人に害する存在の悪い幽霊。

 雛菊は悲しい表情をすると「暴走した彼女は、その寂しさのあまり無関係な人を何度もここに連れてきたのです」と、言った。


「憑かれてしまった私は、私の意識がある間に彼女が連れて来た人達を現世に返してあげました」


 そう言うと雛菊は細い眉を寄せ、今度は困った表情で真司の傍まで歩み寄り頬にそっと触れた。

 真司は一瞬驚いたが、春の陽射しのような温もりが頬から伝わり、不思議と逃げようとは思わなかった。


「……ごめんなさい。彼女のせいで、あなたをここに連れて来てしまって……」

「気にしないでください。僕は大丈夫ですから。それに、今日は自分から来たんです」

「自分からですか?」


 真司はコクリと頷く。


「はい。雛菊さんの願いを叶えてあげたいんです。何より、僕にその力があるなら僕は……雛菊さん。あなた達二人を助けてあげたい」


 その言葉に雛菊の目は微かに大きくなる。


「宮前さん……あなたは、もしかして――」

「雛菊」


 菖蒲に名前を呼ばれハッとなる雛菊。

 菖蒲は静かに首を横に振り微笑んでいた。どうやら、それ以上は言ってはいけないらしい。

 真司は菖蒲と雛菊のやり取りに首を傾げると、雛菊はフワリと優しい微笑みを浮かべ「そうなんですね……」と、真司には聞こえない声で小さく呟いた。

 そして、雛菊の瞳からジワリと涙が溢れた。


「え!? 雛菊さん!?」


 突然泣き出した雛菊に驚く真司。雛菊は袖で涙を拭い、またニコリと微笑んだ。


「あの?」

「いいえ、何でもありません。宮前さんのその言葉に嬉しくて、つい涙が……ふふっ」


 その瞬間、突然、雛菊の顔から笑みが消え、苦しそうな表情へと変わった。


「うっ……っ……」

「雛菊さん!」

「雛菊!」


 真司達は慌てて膝を崩す雛菊に歩み寄る。すると雛菊は真司の肩をギュッと力強く掴んだ。


「宮前……さん! は……早く、ここからっ……うぁっ!」

「わわっ! な、なにこれ!?」


 突如、強い風と共に桜の花弁が舞い花弁は菖蒲と真司の距離を引き離す。花弁が真司と雛菊を覆うように二人を包む中、菖蒲は真司の手を掴もうと腕を伸ばすが、花弁と風がそれを許さなかった。


「真司っ!」

「菖蒲さん!」


 お互いにお互いの名前を呼び合う。だが、風の強と花弁同士が擦れる音のせいなのか、声は聞こえずらかった。


「私は、お前さんを助けることが出来ぬ! そのす――とに――け!」


 風の音が菖蒲の言葉をかき消す。その間にも花弁の数は増え、真司はついに目が開けられない状態へとなってしまった。

 それでも、雛菊の温かい手だけは決して放さない。放しては駄目だと思ったのだ。


(菖蒲さんっ……!)

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